中国人民解放軍の改編にみる新領域における戦略方針

  • URLをコピーしました!

2024年4月、中国人民解放軍(PLA)は、戦略支援部隊(SSF)を廃止し、情報支援部隊(ISF)、サイバー空間部隊(CSF)、軍事宇宙部隊を創設した。現地報道では、中央軍事委員会の指導と指揮の下、陸海空軍とロケット軍に加え、軍事宇宙部隊、サイバー空間部隊、情報支援部隊、統合兵站支援部隊の構造配置となり、「“四+四”的战略格局(4+4戦略パターン)」と表現されている※[1]

今回の改編について、米国に拠点を持つ大紀元時報の評価は手厳しく、旧戦略支援部隊を分割しただけと一蹴している※[2]。しかし、この評価はあくまで中国共産党(CCP)の「公式発表」の文字面を捉えたものだ。中国国防部の説明によれば※[3]、情報支援部隊はPLAの新しい構造の一部として、ネットワーク情報システムの統合と全軍の統合作戦能力を向上させる役割があるという。さらに、システム統合と全領域支援の戦略的要求に基づき、技術革新と開発を加速し、国防と軍隊の現代化に寄与するとある。いまいち、分かりそうで分からないこの新設部隊は、「国防と軍隊の現代化」の意図するところが分かればPLAの今後の方針が見えてきそうだ。

目次

中国株式市場で沸く軍事情報技術産業株

ISFの新設で沸いているのが中国株式市場だ。PLA改編報道を受け、ISFとCSFの関連銘柄の株価が軒並み高騰したのだ。PLAのIT技術の大半はサードパーティへの委託であるとされているため、関連企業への期待は大きいとみられる。

中国の投資家らは、情報支援部隊の設立により、各軍支部の責任と義務が明確になり、構造が合理化されたと説明している。これにより、軍の情報化と近代化の方向性が明確になり、情報リンクの統一と情報保護の強化、情報資源の統合が今後の情報能力構築の焦点となる可能性があると指摘している※[4]。また、一部の投資家は、ISFはAIを活用したデジタル部隊や「AI軍」などと揶揄している。これがまさに前出の「軍隊の現代化」を示すものではないだろうか。

これらの分析は、全人代や解放軍報で「人工智能(AI)」のキーワードが頻繁に登場するためだと考えられる。特に、「解放軍報(2024-5-21)」では、「新質戦闘力」という新たな戦闘概念が紹介されており、その解釈として、情報化戦闘力、智能化(インテリジェント)戦闘力、精確化戦闘力などの側面を含むとしている。具体的には、AI、クラウドコンピューティング、量子技術などの新興技術群を成長点とし、革新的な共通基盤技術、先端技術、破壊技術を通じて戦闘力の強化を目指すという。例えば、智能化戦闘力においては、AI技術の活用による無人作戦システムや智能決定支援システムなどの導入による作戦効率化などだ※[5]

技術革新の肝となるAI技術

上述の内容を踏まえ、仮にPLAの目指す「軍隊の現代化」がAI技術を活用するものだとすると、どのような技術革新を想定しているのだろう。その一端を窺えるのが、OpenAI社の「Sora」の発表を見たIT企業やセキュリティ企業のキーマンたちの反応だ。

第14期全人代第2回会議において、李強総理は政府工作報告の中で、ビッグデータと人工智能の研究開発応用を進化させ、「AI+」構想を実行することを提案した。「AI+」とは、例えば、「AI+ハードウェア」「AI+汎用アプリケーション」「AI+製造」といった具合に企業が自社の製造開発プロセスをAI技術の活用により応用することを指している。

この「AI+」に関しては、中国の大手セキュリティ企業である奇安信集団の斉祥東会長が、ChatGPTに代表される新世代※[6]。また、OpenAI社の発表した動画生成AI「Sora」に対して、軍事利用の可能性についての言及が散見されている※[7]。これは、Soraが、重力や摩擦といった現実世界の物理現象を再現する、汎用の「物理世界シミュレーター」だと言われているためだ。Soraは、気象変化、自律走行、生物挙動、さらには軍事シナリオまで、幅広い産業のシミュレーションに利用できる。そのため、軍事シミュレーションや軍事訓練への応用、軍事偵察や情報収集の観点から、ターゲットエリア、建物のレイアウト、人員の活動まで含む詳細な地図の作成などが可能になるというのだ※[8]

直近では、イスラエルのAIマシン「ラベンダー」によりガザ地区の標的選定を行なっていた疑いが報じられた※[9]。これらの報道からも、AIの軍事利用は世界的な潮流になりつつある。

米中のAI技術差は1年以上との評価

これらのSoraへの言及は、OpenAI社が「軍事利用禁止ポリシー」を撤回、米国防総省に協力姿勢を示す報道が影響していることは言うまでもない※[10]。PLAは、以前よりロシアの動向を窺いつつ、AIの軍事利用について模索を続けていただけに※[11]、Soraの登場は衝撃であったとみられる。科大訊飛・劉青峰会長や四川大学・徐樹平氏が、現状での中国と米国のAI技術格差について、1年以上の差があると言及している点は興味深い※[12]

新領域への技術偵察の可能性

米中技術競争に付きものなのが技術偵察だ。近年、サイバー攻撃による技術窃取が話題となるが、製造業などでは情報のみで技術をコピーすることは困難だ。しかし、ソフトウェアとなると別である。近年、企業からソースコードの流出事故がたびたび報じられており、そのリスクは年々増すばかりだ。

このような状況下において、2024年5月、Proofpoint社がAIの取り組みに携わる米国組織を標的としたサイバー攻撃を報告している※[13]。脅威アクターとして疑われるのは、中国を拠点とする「UNK_SweetSpecter」と呼称される攻撃グループだ。彼らは中華系マルウェアの1つであるGh0stのカスタマイズ版を悪用することで知られている。同グループは、2023年11月に韓国やウズベキスタンの外務省を攻撃しており、国家が支援をする攻撃グループ(APTグループ)である可能性が指摘されている※[14]

Proofpoint社は、この攻撃キャンペーンが、中国の脅威アクターによるもので、生成AIに関する非公開情報を入手することが目的であると分析している。その根拠として、この攻撃の時期が、2024年5月8日のロイター通信の報道と一致していることを挙げている。この報道は、米国政府が独自のAIモデルやクローズドソースのAIモデルの輸出を制限するための新たな規制を検討していると報じたものだ。確かに、この技術偵察活動は、中国の経済政策や軍事政策とも一致することを勘案すると、非常に興味深いものだ。

私見だが、近年の中国の脅威アクターによる技術偵察は、例えば、五ヵ年計画や卡脖子技術(中国が輸入に頼っている技術)といった国家目標が報じられてから継続的に実施されている印象がある。その点を勘案すると、本攻撃は継続的活動の一部が判明したということなのかもしれない。

新領域のリスクへの備えと官民協働の必要性

日本において、宇宙・サイバー・電磁波の3つの領域を示す「新たな領域(新領域)」は、2018年12月に策定された「平成 31 年度以降に係る防衛計画の大綱」の中で登場する※[15]。それから5年が経過し、国防大学政治学院の刘曙光氏は、2024年5月30日付の解放軍報の中で 「現在、戦争は新空間、新分野に拡大し続けており、深海、深宇宙、極地、仮想空間、情報空間、デジタル空間などの異分野が将来の戦争の新たな戦場になる可能性がある。(直訳)」と述べており、新領域がアップデートされていることを指摘している※[16] 。深海はまさに米中をはじめとして各国が注目しているジャンルであることは言うまでもないだろう。ちなみに、海底ケーブルの管理はPLAだ。

これらの新領域は、技術の進歩とともに重要性を増しており、国家安全保障だけでなく経済や社会全体に多大な影響を及ぼす可能性がある。特に、サイバーや情報領域が関係のない組織は殆ど無いのでは無いだろうか。従って、政府のみならず、民間企業も積極的に新領域への備えを進めるべきだと思う。民間企業や学術研究機関においては、例えば情報共有や共同研究などを通じて、安全保障対策の強化に貢献できるのではないだろうか。4月のPLA改編は、新領域における脅威に対して、私たちの安全保障に対する認識に新たな気付きを与えてくれた重要イベントだったと考えたい。

よかったらシェアお願いします
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

岩井博樹のアバター 岩井博樹 株式会社 サイント リサーチフェロー

2000年より株式会社ラック、2013年よりデロイトトーマツにおいてセキュリティ分野の業務に携わり、これまでセキュアサイト構築、セキュリティ監視、フォレンジック、コンサルティング、脅威分析などを担当する。現在は、脅威分析や安全保障分野を中心とした戦略系インテリジェンス生成を専門とするサイントを設立し、主にアジア諸国を中心に日夜分析に勤しんでいる。
経済産業省情報セキュリティ対策専門官、千葉県警察サイバーセキュリティ対策テクニカルアドバイザー、情報セキュリティ大学院大学客員研究員などを拝命する。
著書に動かして学ぶセキュリティ入門講座、標的型攻撃セキュリティガイド、ネット世論操作とデジタル影響工作(共著)などがある。

目次