サブカルチャーと情報工作
INODS UNVEILをお読みの皆さん、はじめまして、の方は、はじめまして。
藤田直哉と申します。サブカルチャーやネットカルチャーを中心とした批評を書いたり、映画の大学で教員をやらせていただいたりしております。
そんな人間が、どうしてサイバーセキュリティや、安全保障に関するコラムを書くのか? とお思いになられる方もいらっしゃるだろうと思います。なので、初回は、自己紹介も兼ねて、この連載コラムで何をしようと思っているのかを、説明していくところから始めようと思います。
世論戦と認知戦の時代に
現在の安全保障やサイバーセキュリティが、いわゆる兵器による物理的な戦いや、コンピュータにハッキングするようなもの“だけ”ではないことは、既に多くの方々がご存知のことかと思います。
「世論戦」「認知戦」と呼ばれる、世論や人々の考え方に影響を与える工作も広く知られておりますし、たとえばある重要なインフラなどを担う会社の株をある国が買い占めて影響を行使することを防ぐ「経済安全保障」なども、よく聞く言葉になっているのではないでしょうか。
防衛大学校安全保障学研究会編著『新訂第5版 安全保障学入門』には、「偽情報」について、このような言及があります(ここから、「ですます」調ではなくなりますが、ご容赦を)。「インターネットとソーシャルメディアが世界に普及している現代においては、政治的な意図を有した個人、組織、国が、いわゆるフェイク・ニュースや偽投稿を大量に流し、自動的にそのツイートの拡散さえできる。それを見た者が偽モノと見抜けないほど巧妙に仕組む。それが他国からの介入となると、2016年の米大統領選へのロシアの介入のように、国家間の争点、対立の原因になる。『偽情報』も相手国に多大な影響をもたらす点においてパワーの行使であり(……)サイバー攻撃の一つになる」(p123)。
インターネットなどにおける情報工作、世論誘導は、防衛大学の研究会がこう書くほどの安全保障上の脅威なのである。
この連載コラムでは、「世論戦」「認知戦」などの、新しい領域における攻撃を、サブカルチャーやネットカルチャーなどの観点から分析し、なるべく現代的・同時代的な題材を元に論じていこうと思っている。
どうして、サブカルチャーと安全保障が関係あるのか? その説明を、次節で行う。
現実から逃げ込む誘惑のある者たちへの工作
ジョンズ・ホプキンス大学教授トマス・リッドが世界の積極工作についてまとめた『アクティブ・メジャーズ』には、CIAが、東ベルリンに自分たちの「自由」の思想を広めるため、ゴシップ、占い、ジャズなどの、ライフスタイルやエンターテインメントを扱う雑誌を創刊して利用したケースが紹介されている。
それは、「モスクワ共産主義に対する攻撃のために西側が使える効果的な力」(p100)であった。その手法は「個人が過去の経験や希望と、日常生活の厳しい現実との折り合いがつけにくいような――それゆえにこの現実から『迷信やファンタジー』に逃げ込む誘惑がある」(p100)人々を狙ったものだった。
サブカルチャーは、良くも悪くも「個人が過去の経験や希望と、日常生活の厳しい現実との折り合いがつけにくいような――それゆえにこの現実から『迷信やファンタジー』に逃げ込む誘惑がある」人の需要に応えるジャンルである。だから、その愛好者は、様々な工作のターゲットとなってきた現実がある。
2016年のアメリカ大統領選では、トランプ当選に向けてロシアが工作したことが判明しているが、トランプ陣営は「弱者男性」向けに、カエルのペペなどのネットミームを駆使した選挙戦を行ったことが分かっている(アーサー・ジョーンズ監督『フィールズ・グッド・マン』、アーサー・ジョーンズ、ジョルジョ・アンジェリーニ監督『アンチソーシャル・ネットワーク: 現実と妄想が交錯する世界』など)。
2021年アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件を起こしたQアノンたちが育まれたのは、日本の影響も非常に強いオタク的な匿名掲示板である4chanやRedditだった。Qアノンの源流には「ゲーマーズゲート事件」があり、サブカルチャーの愛好者と、このような過激派や陰謀論者たちにはなんらかのつながりがあると見做され、アメリカでは安全保障上の問題になっている。
マイアミ大学教授ジョセフ・ユージンスキは、トランプを「陰謀論を用いて政治方針や政府の行動を正当化する大統領」(p159)と断定し、「トランプの陰謀論は(……)反主流派のアウトサイダーには熱狂する人たち――の心にうまく入り込んだ」(p165)と述べている。
サブカルチャーは、「サブ」、つまり、「副」の文化である。対義語はメインカルチャーで、主流の文化とは、学校や企業などにおける「正しい」「規範的」な価値観のことである。「サブ」カルチャーを愛好する者たちは、だから、基本的に、アウトサイダー的な自己認識と気質を持っている傾向がある。つまり、主流の世界を支配している価値観――リベラルや、エスタブリッシュメントと彼らは呼ぶが――に対して、アイデンティティ的に反発してしまいやすい心の癖を持つ傾向がある。
ユージンスキは、「陰謀論は敗者のもの」であると述べている。選挙で、負けた方の政党の支持者は、選挙に対する陰謀論を唱えやすいという世論調査の結果がある。そして、「無力感、社会的疎外感、自信のなさ、不安感、コントロールができないという気持ちは、陰謀信念と相関関係がある」(p108)。
陰謀論は、社会的に劣位の弱い境遇に置かれた者が抱きやすいのだ。これだけ日本が衰退し、中国やその他の国が成長するなかで停滞を続けているがゆえにアイデンティティや誇りが保ちにくく、不安になり、生活が苦しい者が増えている現在、同じような陰謀論の誘惑に屈しやすくなっている者は日本でもたくさんいるだろうと思われる。ここには深刻な安全保障上のリスクがあるのだ。
人生に意味を与える「物語」
陰謀論や過激派の背景に、ゲームの影響を指摘する論者も少なくない。
ワシントン&ジェファーソン大学英語学科特別研究員のジョナサン・ゴットシャルは『ストーリーが世界を滅ぼす』の中で、2018年10月27日にピッツバーグ郊外のツリー・オブ・ライフ・シナゴーグで起こった銃乱射事件について書いている。
犯人は46歳の男性で、11人が殺害された。銃乱射を行った理由は「ユダヤ人が、事実上のアメリカ侵略と白人種に対する緩慢なジェノサイドを進めている」(p20)という陰謀論だった。
ゴットシャルはこう書く。「事件の犯人は、ユダヤ人は邪悪だとする古来のフィクションの単なるマニアではなかった。どこかの時点で、彼は登場人物としてそのフィクションの中に入り込んだ。彼は壮大な歴史叙事詩の悪を倒す英雄にみずからを仕立て上げた。悪夢のようなLARP(ライブRPG〔引用者註、ゲーム世界の設定を再現して遊ぶ体験型ゲーム〕)ファンタジーにとらわれていたのだ。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の物語世界を演じながら楽しく森を駆け抜ける大人たちのように。/だが、彼に撃たれた被害者たちは現実の存在だった」(p23)
ゴットシャルは、陰謀論は単純な二項対立の物語だと述べた上で、「流行るのは陰謀物語がたいてい、気持ちをわくわくさせる虚構のスリラーだからである。信者の多い陰謀物語はほぼすべて、ハリウッド映画として大ヒットするはずだ。それに対して、陰謀物語の嘘を暴く検証記事のほとんどは、公共放送PBSのまあまあ悪くないドキュメンタリーにしかならないだろう」(p121)「世俗的な地球平面説信者〔引用者註、陰謀論者の一例〕はSFとミステリーとスリラーが入り混じった世界に生きている。世俗派たちは手がかりをつなぎ合わせ、犯人を暴き、その隠れた動機を解明するという探偵のような仕事を求められているのだ」(p128)と分析する。
二項対立で単純な「物語」を好むという志向性においても、サブカルチャーのファンと陰謀論者が重なりやすい側面は確かにあるだろう。筆者も、たくさんこういう物語を楽しんできた。「世界の真実を暴く」「陰謀を見抜く」「世界の危機に身を投げ出して戦う」物語も大好きである。
それが、リアルタイムの相互作用ゲームである点を、ゴットシャルは強調している。今が歴史の変わり目、運命が決する瞬間であり、そこに自分が「戦士」として参加しているというロールプレイの感覚こそが、自分自身の生や存在に意義や価値を与え、高揚感を齎してくれる点が重要なのだという。
おそらくそれが、ゲーマーゲート事件はじめ、SNSや掲示板を舞台にしているゲーム的な政治が力を持ちやすい理由であり、その背後には無力感や孤独感、無意味感が存在していると推測される。
SNSにおける対立と分断への介入
サブカルチャーの愛好家だけではないが、SNSを見ていると、人種だけではなく、ジェンダーや貧富などの差を利用して、単純な二項対立の「物語」が跋扈しているのが観察できる。
その「物語」は、基本的に、「あなたは悪くない」「悪いのはあいつらだ(倒せばユートピアが訪れる)」という物語により、自尊心を鼓舞し、自己肯定感を得て、自己正当化の免罪符を与えられる構造になっていることが多い。本当にそうなのか、自分に問題がないのか、敵は本当に彼らなのかの検討は甘い傾向がある。往々にして人はその物語を演じ、「戦士」として戦うことで、使命感や生の意味を獲得してしまう。
このようなSNSというメディアに適合したポピュリズム政治が蔓延する現代ではあるが、対立と分断に介入する工作に利用されてしまう可能性について、本気で検討しなくてはならない。
2016年5月21日、テキサス州のイスラム教ダアワセンターで、テキサスの伝統を称える保守主義者「ハート・オブ・レキサス」というグループと、移民の権利を支持する「ユナイテッド・ムスリムズ・オブ・アメリカ」というグループのデモ隊が衝突した。これはどちらも、ロシアにあるインターネット・リサーチ・エージェンシー(IRA)が作ったフェイスブックグループだった。前者はメンバー数25万人、後者は30万人。つまり、積極工作=アクティブ・メジャーズだったのだ。
ロシアによる2016年のアメリカ大統領選への介入について、ジョナサンはこう表現する。「あれは物語の電撃戦だった。物語と物語に対する人間の生来的な弱さの兵器利用だった。(……)長期的な目標は、同族意識から生まれる憤りに火をつけることによって、アメリカに長引くダメージを与えることだった」「ロシアの諜報機関はミーム、インフォグラフィック、フェイクニュースなどあらゆる武器を使った。そのすべてに共通していたのは、対立するナラティブを作り出してぶつけ合い火花を散らさせ、やがてアメリカ人同士を反目させて、自分の尻に噛みつこうと体をひねって追いかけるうちに目を回してふらふらになっていく犬のようにする企みだった」(p101)
私たちは、SNSを見ていると様々な義憤に駆られることがある。もちろん、それによって改善されたり、正義が実現したこともいっぱいあるだろう。しかし、このような事例がある以上、私たちはネットに触れるとき、それに反射的に反応したくなったとき、もう一呼吸おいて、メタ認知をし、反省的にリアクションする必要があるのではないだろうか。そこにある「物語」について、距離を置いて疑う目線が重要なのだ。
SNSにおける影響工作
TikTokやインスタグラム、YouTubeなども、もちろん、この「戦場」の例外ではない。
保坂三四郎『諜報国家ロシア』によると、KGBの教本に、積極工作として次のような行為が行われると書いてあるという。「『偽情報』の他、米国やその同盟国の『陰謀』を暴いて反米感情を煽り、ソ連に有利な外国勢力を形成する『暴露』、敵国の政府、政治家、反ソ組織に倫理的ダメージを与える『コンプロマット』」(p101)がある、と。
プーチンは、KGBの若手幹部として、「積極工作が最も狡猾だった時代に、とくに西独に対する積極工作を行うために設置されたドレスデン支局に勤務したこともある」(トマス・リッド『アクティヴ・メジャーズ』p343)人物である。冷戦崩壊で下火になった不正工作を1990年代に復活させたのは彼だと言う。では、そのプーチン政権の今、どんな工作が行われているのか。
IRAにおいて、「サンクトぺテルブルク国立大学の現役学生や卒業生などが1シフト120人の三交替制で勤務し(……)運営者の指示に沿って、ニュース記事に1人当たり1日100件程度のコメントを書いていた」(『諜報国家ロシア』p166)。彼らは、「米国が抱える主要な社会問題」の知識を持ち、急進リベラルや急進保守になりかわり、双方の感情を刺激し煽り炎上させていった。
2021年にカーディフ大学の研究所が、YAHOOのコメント欄をロシアが利用しているとする報告書を出しているが、日本でもそれらニュースサイトのコメント欄だけではなく、X(旧ツイッター)や5ちゃんねるなどでこのような工作が行われているだろうと推測するのが当然だろう。
そして、動画配信者、インフルエンサーとして情報工作が行われる場合もある。「ナーシは、クレムリンから資金提供を受け、プーチンを題材にしたポップな動画やユーモアと陰謀論の境界が曖昧な『おもしろ動画』を作成するとともに、プーチンの動画が上位に入るようにSEO(検索エンジン最適化)対策のプロを雇った」(p165)
気軽に動画を観ているだけでは、もはや危険なのだ。受動的にネットを消費すること自体が、自分たちの破滅を招くかもしれない。私たちが巻き込まれている「新冷戦」と呼ばれる戦争は、残念ながら、そのような、情報や信念などを奪い合う、そうであるがゆえに何が本当なのかの安心を得にくい状態になってしまう戦争なのだ。
文学、芸術、人文学、幸福、愛着、存在論的安心による安全保障
では、どうすれば良いのだろうか。様々な規制や、サイバーセキュリティの強化などはもちろん必要だろう。しかし、ここでは、あくまで、文化という角度から考えてみたい。
中曽根平和研究所主任研究員の大澤淳は「文学や芸術が社会に浸透して創作活動が活発な、文化の層の厚い社会をつくることが、人々がナラティブに乗らないような多層的で寛容な社会をつくれるのではないでしょうか」(『外交』vol.80、p20)と述べている。筆者もそれに賛成である。
サブカルチャーは単純な物語が多い上に、ルサンチマンなどを晴らすナラティヴがパターンとなっている。そのようなファンタジーによって心のバランスを取ることが、生きるために必要な者たちは確実にいる。サブカルチャーに限らず、宗教なども、そのような物語かもしれない。
そのような「物語」を相対化したり、複雑性や多様性を知ったり、「物語」と現実の違いを検討できる能力が大衆的に普及することが、情報工作を通じた民主主義のハッキングに抗うために必要である。迂遠な道ではあるが、文学や芸術や人文学の豊かさや複雑さを享受できるものを増やす協力が、偽情報の影響、過激化、民主主義の破壊を防ぎうる、単純かつ有効な道ではないだろうか。
そして、多くの者が陰謀論的な信念を必要としてしまう状況を改善していくことが必要である。陰謀論を信じることと、存在論的不安や、適切な愛着関係を築けないことには関係があると言われている。とすれば、なんらかの方法で、存在論的安心や、安定した愛着や愛情関係を手に入れることができれば、陰謀論や過激派の影響は低下していくのではないだろうか。
その方法論が、福祉なのか、結婚率をあげることなのか、共同体やそれに代わるつながりを作ることなのか、宗教やナショナリズムなどの「物語」を利用することなのか(それは副作用も大きいだろう)、筆者には分からないが、安全で健全な形で自尊心と幸福が手に入るようになっていけば、これらの破壊工作は機能しにくくなっていくはずだ。絶望や貧困への介入は、単純に金銭や物質的なものだけではなく、愛着や愛情、幸福などと関連する、「存在論的安心」を提供できるような国家・社会・経済・地域・家族などの仕組みにしたほうが良いのではないか。「陰謀論」を信じることと、愛着のあり方に関連があるという知見が正しければ、論理的に考えて、そのような方向の「安全保障」がありうるのだと考えを変えなくてはならない。
では、それを実現するためにどうしたら良いのか――などは、おいおい考えていくことにしよう。本稿はとりあえず、サブカルチャー・ネットカルチャーなどを、新領域の安全保障との関連で論じる必然性について簡単に前提確認をした。なお、本稿と重複する内容は、6月末に刊行される、『現代ネット政治=文化論――AI、オルタナ右翼、ミソジニー、ゲーム、陰謀論、アイデンティティ』(作品社)でより詳しく論じているので、ご興味をお持ちの読者はぜひそちらを読んでいただければと思う。