偽・誤情報対策が開く思想統制への道

  • URLをコピーしました!

前回迷走していると指摘した総務省の有識者会議「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」と「ワーキンググループ(WG)」のとりまとめ案が7月末に公表された。300ページを超えるボリュームで、様々な角度から偽・誤情報の要因や対策を記述しているが、思想統制につながりかねない危険な記述もある。

目次

対象を制限する工夫は見られるが…

本検討会の問題意識としては、「デジタル空間における情報」そのものや様々な主体による表現の場としての「情報空間」の健全性ではなく、「デジタル空間における情報流通」、すなわち、情報システムや情報通信ネットワーク等により構成され、多種多様の情報が流通するインターネットその他のグローバルな仮想的空間であるデジタル空間における情報の流通の在り方について、その健全性の確保を目的とした検討を行うものである。
『デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会とりまとめ(案)』

とりまとめ案の冒頭、「はじめに」には上記のような記載がある。ネット企業だけでなく、既存メディア、企業、国や自治体、さらには利用者まで対象にしたことでネット全体を対象にした議論では表現規制に歯止めが効かなくなってしまう。コンテンツを含めればダイレクトに表現規制につながるため、流通の在り方が対象だと改めて整理したものだ。しかしながら、そう簡単な話ではない。

検討会は2023年11月に設置され6回、WG は 13 回、本検討会とWGの合同で19回の計38回の会合を開催する異例の展開をみせている。各会合で説明された関係団体や専門家による考え、構成員による議論などに大変な時間と労力が費やされたことは間違いない。そのことには敬意を評したい。

筆者は4月12日のWGで説明する機会を得た。そこで話したことは「ニュース」「コンテンツ」「広告」に分け、中でも「広告」にフォーカスした対策を行う必要があるということだ。コンテンツの中身を議論することになるため危険性があるが、議論の対象を制限することで、ネット空間全てを対象にするよりもリスクが低下すると考えたのだ。

発表資料:偽・誤情報とフェイク ニュース対策の⽅向性
https://www.soumu.go.jp/main_content/000942298.pdf

筆者の説明が反映されたのかは不明だが、まとめ案に示された図を見ると当初示されたものと異なっていることが分かる。中心に置かれた「プラットフォーム事業者・サービス」が、「情報伝送 PF事業者・サービス」と「広告仲介PF事業者・サービス」という2種類に分けられている。だからといって、表現規制が遠ざかったというわけではない。

図:まとめ案に示されたデジタル空間
図:1月25日版

対策はメディア規制に利用されている

「フェイクニュース」という言葉が2016年のアメリカ大統領選挙で注目されて以降、各国で対策が議論されているが、一部の国ではフェイクニュース対策の名のもとにメディア規制が行われている。対策そのものに危険性があるということを押さえる必要がある。

ロシアでは軍事行動に関する情報について当局が「偽」であると判断すれば、記者に禁固刑を科すことができる。先日、米露で行われた囚人の身柄交換で釈放されたウォール・ストリート・ジャーナルのエバン・ゲルシコビッチ記者は禁錮16年を言い渡されて収監されていた。

対策を口実にメディアや表現を統制しようという動きは、ロシアだけではない。

シンガポールでは2019年に「オンライン虚偽情報・情報操作防止法(POFMA)」が成立、違反した企業に罰金、個人は罰金または懲役刑がある。2022年には海外から世論への干渉を防ぐ「外国介入対策法(FICA)」も成立している。どちらも適用の基準が曖昧であり、表現の自由を制限する危険性が指摘されている。マレーシアでも「フェイクニュース対策法」が制定され、用語の定義が曖昧なために恣意的な運用が懸念されている。

まとめ案においても各国の対策が取り上げられており、シンガポールやマレーシアの事例が紹介されているが、懸念については記載されていない。有識者が対策の危険性を知らないはずがなく、あえて記載されてないと考えるのが妥当だろう。

偽・誤情報対策のような一見「良いこと」のように思われるテーマこそ危険である。「子どもたちに悪影響がある」や「教育上問題である」といったことから表現規制につなげようとしてきた動きも過去にはあった。だからこそ、慎重に議論されてきたはずではなかったか。300ページもあれば、どこかに何らかの表現規制につながる記述が紛れ込む可能性が高い。

プレバンキングという危険な考え

筆者は6章「総合的な対策」に書かれているあるワードに注目した。それは「プレ(プリ)バンキング」という考えだ。初めて聞いたという方も多いかもしれないが、フェイクニュースに騙されない免疫をつける予防接種などと紹介されることがある。

まとめ案では、「一度正しいと受け入れられた偽・誤情報等の流通・拡散による影響を訂正によって事後的に修正することは容易ではない場合には、偽・誤情報等の発生に予め備えるプレバンキングが重要になってくる。」と記載されている。

ケンブリッジ大学、BBC、グーグルのシンクタンク部門Jigsawが制作した「誤情報のプリバンキング実践ガイド」が発行されている。ガイドには、注意点や限界についても記載されているが、「介入」や対象者の「意識を変える」「行動を変える」という言葉が出てくる。つまり人の内心に踏み込み、意識や行動を変えるということである。

ハンドブックには効果がなかった事例として「白人至上主義のストーリーをプレバンキングするメッセージは、極右主義者に効果がありませんでした」と記載されているが、どのような思想や主義に基づいて実施するのか、正しさや間違いは誰が決めるのか、国や一部のプラットフォームがそれを決めることにはならないのか、など懸念は強い。また、説明が不十分なまま対象者が知らない間に実施されてしまうかもしれない。

この「プレバンク」はリテラシー界隈などの一部に評判が良いようだが、人の内心に踏み込むことを「良いこと」としている時点で非常に危険である。にもかかわらず、まとめ案には効果の限界についての記載はあるが、手法そのものの危険性は記載されていない。

筆者は「プレバンク」に注目したが、他にもある可能性がある。ファクトチェックについてもファクトチェック団体から疑問の声があがっている。

参考資料:誤情報のプリバンキング実践ガイド
https://interventions.withgoogle.com/static/pdf/A_Practical_Guide_to_Prebunking_Misinformation_ja.pdf

表現の自由を守る意識があったか

まとめ案は、多様な角度から分析をしており、真剣に取り組んだことはうかがえるのだが、総務省の有識者会議はこれからの政府の方針に大きな影響を与えることになる。ネット全体に「健全化」を持ち込むこと自体、表現の自由が危ういという意識が有識者会議のメンバーにあったのだろうか。総務省の設定したアジェンダについて疑問を提示するのも有識者会議の役割ではないのだろうか。

議論がスタートして能登半島地震が発生し、パキスタンやイランなど海外からのインプレッション稼ぎにより国民の注目も集まり、さらに実業家の堀江貴文氏や前澤友作氏が自由民主党の会合で対策を訴えるなど、何らかの対策を行う必要に迫られた状況はあるだろう。だが、公開されている議事録を読んでも、懸念を述べているのは一部の委員にとどまり、それぞれの問題関心をプレゼンテーションしているだけのように思える。拙速な議論は未来に表現規制の種を撒くことになる。

よかったらシェアお願いします
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

藤代 裕之のアバター 藤代 裕之 リサーチフェロー

法政大学社会学部メディア社会学科教授
広島大学文学部哲学科卒業、立教大学21世紀社会デザイン研究科前期課程修了。徳島新聞社で記者として司法・警察や地方自治などを取材。NTTレゾナントに転職し、ニュース編集やNTT研究所のR&D支援(gooラボ)、新サービス開発などを担当した。2013年から法政大学社会学部メディア社会学科准教授、2020年に教授。日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)代表理事。著書に『ネットメディア覇権戦争
偽ニュースはなぜ生まれたか』(光文社)、編著に『フェイクニュースの生態系』(青弓社)などがある。

目次