元米政府職員を標的にする中国系企業──“沈黙”が招く脆弱性

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 「Do Nothing. Win.」――この表現は、中国および習近平国家主席を巡り、インターネット上で流布する風刺的ミームの一つで、中国が積極的に行動を起こさずとも、他国の自壊的な動向により、結果的に「勝利」しているように見える状況を揶揄するものである1

 第二次トランプ政権下においては、対中「相互関税」措置が再び発動され、米中間の貿易摩擦が再燃した。国内においては、イーロン・マスク氏が主導する「政府効率化省(Department of Government Efficiency:DOGE)」が中央情報局(CIA)を含む連邦政府機関の職員削減を急速に推進している2。かかる政策の是非を論ずる以前に、対外的には米国が安全保障上の深刻な脆弱性を露呈しつつあるとの印象を与え得る。

目次

1. 米政府職員の大量解雇が生む脆弱性

 2025年3月25日、ロイターは、米政府職員の大量解雇が報じられた時期に、中国のテック企業「Smiao Intelligence」が、住所不明の複数のペーパーカンパニーを通じて、解雇された元米政府職員にコンサルティング職などの仕事を持ちかけていた実態を報じた3。インテリジェンス・アナリストは、「政府効率化省(DOGE)」 によって解雇されたり、退職を余儀なくされた職員から情報を収集しようとする外国関連団体の活動の一例だと指摘している。

統一戦線工作への活用の可能性

 この事案は機微情報の漏洩リスクといった単純なものではなく、例えば、表1のような親中派への取り込みを意図した統一戦線工作との関係が濃厚と考えられる。「統一戦線工作」とは、簡単に説明すると、中国共産党が国内外の多様な社会勢力を組織的に動員・協調させ、「国家統一」、「中華民族の復興」を図る政治戦略のことである4。その活動は、諸外国の社会や政治、経済、メディア、教育などへと多方面に及ぶ。

目的期待される成果想定運用部門典型的なタスク
機密情報の獲得機密保持誓約の「盲点」部分(非公開だが分類解除前の知見など)国家安全部口頭での聞き取り、文書ドラフトのレビュー
政策・技術洞察の内在化予算シフトや調達計画の先読み、制裁・輸出管理の回避策国務院、工信部対米ロビイング戦略立案、R&D 優先度調整
認知戦における信頼性強化元米高官や政府職員の肩書きを用いた情報操作で対外イメージを改善、対立国世論を分断中央宣伝部、 統一戦線部シンクタンク論考、メディア出演、SNS 拡散

表1

 今回の解雇の対象となった米政府の専門職、特に政府機関で機密性の高い業務に従事してきた人材が、突然職を失うことは、深刻な経済的困窮と心理的な不安定さを引き起こす。キャリアの断絶や将来不安、そして場合によっては政府への不信感は、彼らを容易に脆弱な立場へと追い込む。結果として、通常の就業ルート以外からの接触にも応じやすくなる状況が生まれ、これが中国による「統一戦線工作」や「認知戦」にとって恰好の標的を形成する。

統一戦線工作と認知戦の関係

 この「統一戦線工作」は「認知戦」と密接に連携しており、党と軍の活動が重複・統合する傾向が強まっている。近年では、台湾を事例とした研究が報告されており、以下のパターンでの効果が明らかになっている5

1. 標的選定:有名人、インフルエンサー
2. 接触方法:経済的インセンティブ、共同事業の提案(文化交流など)
3. コンテンツ:日常生活関連情報、政治的分断を促す議論への誘導

 このような手法は広く確認されており、米国における統一戦線工作にも同様の戦略が展開されているとみられる。今回のケースでは、元米政府職員の「公的経歴」は、以下三点で認知戦を加速させると評価できる。前出の台湾のケースを鑑みると、米国への統一戦線工作の影響としては少なくとも次の内容は容易に想像がつくことだろう。

1. 信憑性の付与

 退役軍人や元外交官が発信者となることで、対象国世論に「内部告発」的な印象の刷り込み

2. ナラティブ形成支援

 専門用語や政策論点を熟知しており、プロパガンダ文書の質を高める「脚本家」として機能

3. 同僚などへの影響の波及

 元同僚ネットワークを介し、民間メディアや議会補佐官、業界団体に影響を波及

2. 日本の政府職員等を標的とした活動の可能性

 今回の事例は、米国国内に限定される問題にとどまらず、国際的な影響を及ぼす可能性を孕んでいる。ロイター通信は、元米政府職員をリクルートしていたとされる4社のコンサルティング会社および人材紹介会社について、それぞれのウェブサイトに重複や共通点が認められ、同一のサーバーでホストされていたり、その他のデジタル上の関連性が確認された事例が存在すると報じている。

 これらの企業のウェブサイトがホストされているIPアドレスには、図1に示すような相互の関連性が見られ、いずれも前述の「Smiao Intelligence」と同一のサーバー上に存在していることが判明している。

図1

 注目すべきは、これらのうちの一社が「日本を拠点とする政策コンサルティング会社」を標榜しており、日本の政府関係者を標的とした活動に関与している可能性が高い点である。同社のウェブサイトに記載されている住所は東京都渋谷区内の存在しない住所を使用していた。ウェブサイトのコンテンツ内容および関係するペーパーカンパニーとの結びつきを総合的に勘案すると、当該企業は日本の行政機関を対象とした統一戦線工作の一環として、人材のリクルートを通じた認知戦を展開している可能性が高いことが示唆される。

3. 沈黙は侵攻、認知戦と統一戦線工作の現在地

 中国は、認知戦における情報拡散を図る手段として、様々な戦術モデルを駆使しているが、ロイター通信が報じた事例を踏まえると、近年は統一戦線工作を通じて、外国における内部協力者を活用した発信力の強化を志向していることが窺える。従来、統一戦線工作は主として華僑ネットワークの活用や外国企業の誘致を通じた影響力行使に依拠していたが、近年においてはデジタルプラットフォームを媒介とした「認知領域戦争」へと戦略の軸足を移しつつある。この変容は、日本を含む複数の国家における社会情勢や政策決定過程に照らしても、着実にその影響力を増大させていると評価される。

 仮に私たち日本人が中国による統一戦線工作に対して沈黙を選ぶのであれば、「Do Nothing」という選択は、結果として「Do Everything」に等しい。米国では、上述の通り、元政府職員が中国系ペーパーカンパニーによって標的とされたことが報じられたが、同様の工作スキームが日本においても展開されている可能性は極めて高い。

 かつてスイス政府が策定した『民間防衛6』が半世紀以上前から現代型の侵略が「軍事的手段」に先立って、「社会的中枢の内部崩壊」を狙う手法で進行することを警告していた。そのモデルは、以下の段階を経て進行するものであるとされる。

・工作員および協力者の潜入
・メディアの操作および世論誘導
・教育等を通じた国民の無抵抗化
・政府・指導層の権威失墜
・社会の分断および内部対立の誘発

 かかる手法によって、兵力を動かす前に国家社会そのものを内部から空洞化させることが可能となる7。同マニュアルにおける指摘は、まさに現代の「認知領域戦争」時代において、かつてないほどの緊迫性を伴って再評価されるべきものである。

 今回米国で報じられた事例は、決して日本企業にとって無関係なものではない。「社員が容易にスパイとなり得る」構造的リスクは、過去の複数の報道事例からも既に顕在化している。このような人間的脆弱性は、経済安全保障の最前線に立つビジネスパーソンにまで波及しており、その深刻さを増している。

 米誌『The Week』は、米国内で進行する大規模な人員整理が、各国の情報機関にとって事実上の「採用市場」を活性化させていると報じており8、AP通信もまた同様の懸念を伝えている9。特に、機密情報へのアクセス権限を有する者ほど、雇用の喪失や将来不安による心理的圧迫が著しく、情報漏洩や内部協力者化のリスクを高めていることは否定できない。

 かかる状況を鑑みるに、今こそ日本は、自国および自組織が置かれた安全保障上の脆弱性を改めて精査し、現実的な対策を講じるべき転換点に差し掛かっていると言えよう。

  1. Know Your Meme「Does Nothing. Wins.」 ↩︎
  2. 「Over 22,000 IRS workers take Trump’s latest buyout offer, agency sources say」Nathan Layne and Tim Reid ↩︎
  3. 「中国の秘密ネットワーク、解雇された米政府職員に採用活動=調査」A.J. Vicens ↩︎
  4. 「中国共产党统一战线工作条例」 ↩︎
  5. 「CHINA’S COGNITIVE WARFARE FOR THE PEACEFUL RECOVERY OF TAIWAN」Alida Monica Doriana BARBU, PhD, PhD Candidate ↩︎
  6. 「「民間防衛」時代を間違えた危機管理マニュアル」 ↩︎
  7. 「民間防衛」スイス政府編, p225 ↩︎
  8. 「America’s woes are a foreign adversary’s spy recruitment dream」 ↩︎
  9. 「Concerns about espionage rise as Trump and Musk fire thousands of federal workers」ERIC TUCKER ↩︎
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この記事を書いた人

岩井 博樹のアバター 岩井 博樹 株式会社 サイント リサーチフェロー

2000年より株式会社ラック、2013年よりデロイトトーマツにおいてセキュリティ分野の業務に携わり、これまでセキュアサイト構築、セキュリティ監視、フォレンジック、コンサルティング、脅威分析などを担当する。現在は、脅威分析や安全保障分野を中心とした戦略系インテリジェンス生成を専門とするサイントを設立し、主にアジア諸国を中心に日夜分析に勤しんでいる。
経済産業省情報セキュリティ対策専門官、千葉県警察サイバーセキュリティ対策テクニカルアドバイザー、情報セキュリティ大学院大学客員研究員などを拝命する。
著書に動かして学ぶセキュリティ入門講座、標的型攻撃セキュリティガイド、ネット世論操作とデジタル影響工作(共著)などがある。

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