誤情報に対処するより、正しい情報を支持する方が効果的であるという論文
![](https://inods.co.jp/wp-content/uploads/2024/09/info.png)
はじめに
今回は、Alberto Acerbi氏及び Sacha Altay氏、Hugo Mercier氏による『Fighting misinformation or fighting for information?』を紹介する。この論文は、誤情報対策のために、『誤情報の受容を抑止する』という戦略と、『正しい情報の受容を向上させる』という戦略を比較し、誤情報対策に投入することが出来るソースが限られているという前提の下では後者の方がより効果があるという結論を出している。
2022年と少し古めの論文であり、この中で記述されている各国の情報空間内における誤情報の比率などの研究と基礎となっているデータは現在において変化していることがほぼ確実であり、この結論をそのまま適用することが出来るとは限らないが、誤情報対策を考える上で非常に重要な示唆に富んだ論文である。
情報空間における『誤情報の割合』
心理学における研究では、誤情報の受容率と、信頼できる情報を拒絶する確率がほぼ同等であって、誤情報の受容は信頼できる情報の拒絶に繋がることが示されており、これを根拠として誤情報対策への注力に焦点が当てられる結果となっている。
一方で、欧米において誤情報が利用者に届く確率は(少なくともこの論文が書かれた2022年時点においては)概ね5%以下という非常に低い確率となっている。この論文においてはフェイク、欺瞞を目的としたもの、あるいは低品質、もしくは党派対立をあおるようなニュースを定期的に共有することが明らかな発信源が発信するニュースを誤情報と捉えている。
そして、その定義での『誤情報』がオンライン・ニュース・コンテンツの中で占める割合は、アメリカで高く見積もった場合でおよそ6%、フランスでは5%前後、ドイツやイギリスに至っては1%以下という極めて低い割合であると論文では説明されている。但し、このデータはあくまでも『ニュース・メディア』に焦点を当てたものであり、SNSにおける他の話題、あるいは各個人の投稿やミームなどは対象としていないものである。しばしば誤情報拡散の手段となり得るこれらの投稿を対象としていないことを論文では問題視しており、これらを補完するモデルも同時に用いている。
誤情報対策の『費用対効果』
![Global Information Score](https://inods.co.jp/wp-content/uploads/2024/09/Figure1.png)
論文で示されているデータ
(出典: Alberto Acerbi、Sacha Altay、Hugo Mercier、『Fighting misinformation or fighting for information?』 )
左は基礎となる情報スコア(黒線)と偽情報の受容を完全に断った状態(赤線)と共に、信頼できる情報の受容率を1%から10%まで増加させたときの情報スコアの変化を記したもの
右はy軸を信頼できる情報の信ぴょう性、x軸を偽情報が占める割合として、双方を1%から10%まで変動させた際に信頼できる情報への介入による効果の変化を記したもの
誤情報対策の効果を測定するのは容易ではない。その為、この論文では以下のような条件の下検証を行っている。
・誤情報は人々が触れる情報の内5%を占め、残り95%は信頼できる情報である
・人々は信頼できる情報に触れた際に60%の、誤情報に触れた際に30%の確率でそれを受け入れる
この条件下で検証を行った結果、人々の誤情報の受容率を30%から0%まで減少させるような介入を行うことは、信頼できる情報の受容率を60%から61%に上昇させる、つまり僅か1%上昇させるような介入とほぼ同等の効果が表れることが示されたと論文は記述している。一方で、先述した通りこのモデルはあくまでも『ニュース・メディア』に限定されたデータに基づいており、これ以外の話題に対する誤情報の受容率は変化し、例えばより受容率が上がる可能性もある。
そのため、論文では誤情報の受容率を30%から90%まで上げた状態で同じ検証を行っている。しかし、このような極端な状況においても誤情報をゼロにするほどの介入の効果は信頼できる情報の受容率を4%上昇させるのと同等の効果しかもたらさないという結果が出された。
結論
一連の検証で、『誤情報の受容率を抑制する』方策は極めて誤情報の受容率及び普及率が高い場合といった例外的な事例を除いて投入されるソースに対して効果が小さく、『正しい情報の受容率を向上させる』方策はより少ないソースで高い効果をもたらすことが判明した。
一方でこの検証は一定の条件を整えた上で設定されたモデルを用いて行われたものであり、例えば誤情報の性質などには着目できていない。そのため、一部の極めて有害性が高い誤情報によって、たとえその影響を受けた人々が少数でも深刻な被害を引き起こすといった事例に対応できていないと論文では指摘している。但し、こういった例外的な事例は、その希少性ゆえに信頼できる情報の受容率を底上げすることによるメリットを打ち消すほどの悪影響をもたらすことはないとも述べている。
今後の展望としては、誤情報の潜在的な影響などの把握も含めて、適時データを更新してモデルを改良し、検証を続けていく必要があると論文は結論付けている。
著者所感
新型コロナウイルス感染症などをきっかけに、最近とみに『偽・誤情報対策』が話題になり、その対策が声高に叫ばれるようになっている。確かにコロナウイルスワクチンに関する陰謀論に扇動されてワクチン接種会場に対する妨害工作が行われる事件が発生したり、国会議員や地方議員が偽・誤情報をSNSで拡散したことが話題になったりするなど、実際に大きな問題に発展した事例が増加しつつあるのは事実である。偽・誤情報によって煽動された暴動事件はアメリカにおけるトランプ前大統領支持派による議会議事堂襲撃やブラジルでのボルソナロ前大統領支持派による連邦議会・大統領官邸占拠事件など増加・深刻化しており、それと同じような事態が日本で生じないという保証がないのも確かである。
一方で、他国と比した際の日本のインターネットコミュニティの特徴として、政治や経済、宗教といった人々の『信条』的な側面が表出する話題よりも、芸能や文化といったエンタメ的な話題を好む傾向があることが一般的に知られている。『政治・野球・宗教の話をするな』というインターネット黎明期の警句は今でもインターネットコミュニティに根付いており、この点において日本は欧米などの諸外国とは少しその様相を異にしている。
このような状況で、まだまだ圧倒的に少数である偽・誤情報の撲滅に総力を挙げたとしても、そもそも全ての利用者が偽・誤情報を発信する可能性があり、その内容も党派対立を煽るような悪意ある偽情報から単なる勘違いや誤認により発された悪意なき誤情報まで様々であり、これらを十把一絡げに全て取り締まるということは非現実的であるのは言うまでもない。
それよりも、ニュース・メディアなどが発する正しい情報の流通を確保し、偽・誤情報を正しい情報によって『希薄化』させていく、あるいは受け取り手である利用者に対して正しい情報を信頼できるような発信方法を取っていくという戦略の方がより合理的であり、発信者の表現の自由を侵害せずして偽・誤情報に対応することが可能という意味でもより有意であろう。