極右勢力台頭に対するポリティカル・コミュニケーションの役割

  • URLをコピーしました!

 今回は、Curd Knüpfer氏らによる「Political Communication Research is Unprepared for the Far Right」を紹介する。この論文は従来のリベラルな民主主義体制の下で発達してきたポリティカル・コミュニケーションという学問的枠組みを再検証し、非自由主義的な政治勢力に対する新たな分析的枠組みの構築の必要性を指摘している。

 極右を始めとする非自由主義的な政治主張は、近年西側自由民主主義体制においても復活の兆しを見せており、これらの政治勢力は自らが弱体化させ破壊しようとする民主主義体制における規範や慣行を悪用している。更にこれらは極めて自己言及的であるが故にその意図の解読を困難にし、ポリティカル・コミュニケーションにおける分類から逃れていると論文では指摘されている。

 こういった特徴を持つ非自由主義的政治主張に対抗するためには、ポリティカル・コミュニケーションが「民主的明瞭さ」を持つことが必要であると論文は提言している。そして、それに基づく確固たる視座と視点を獲得することによって、これらの民主主義に対して挑戦し、その弱体化を目論むという試みを阻む第一歩になると記されている。

目次

従来の「ポリティカル・コミュニケーション」という分野

 ポリティカル・コミュニケーションは1970年に分野として登場して以降、主に選挙における市民の投票行動や政治参加に焦点を当ててきた。そして現在では社会的なアイデンティティや政治情報の性質、制度に対する信頼、更には政策に対する立場から感情的な議論に至るまで多様に分極化されている。

 この分野は米欧で特に活発であり、これらの国家の民主主義体制による影響もあって分野に関する規範的な関心事を、質の高い政治情報、ジャーナリズム、公開討論に基づいて国民の間で行われる合理的な熟議を通じて民主主義を強化するという観点によって構築している。ここでの「民主主義」は最低でもヘゲモニー政党制や小選挙区制を駆使して実質的に野党を排除する(シンガポールのような)選挙制度に基づくものではなく、競争的選挙及びそれに付随するリベラル的な権利保護が前提とされており、これが規範的な政治システムであることが当然視されていた。

 しかし一方で、この「規範的」な考えにはいくつかの問題があると論文では指摘している。まず、米欧のポリティカル・コミュニケーションの研究者は殆どが白人男性で構成されており、これらの諸国においていわゆる「マイノリティ」と呼ばれるような属性の社会集団が被っている政治的あるいは社会的、経済的、市民的権利に対する制限について鑑みられることが殆どなかった。また、(しばしば研究者たちの母国による)植民地支配を受けたアジアやアフリカ諸国に対する政治的、社会的遺産に対する議論が不十分であり、ポリティカル・コミュニケーションにおいてはこれらの遺産が肯定的に利用されていた。

 そして最大の問題として、この分野において研究者たちは民主主義を完全に所与のものとして捉え、民主主義それ自体が争点となる可能性を殆ど考慮していなかったことが挙げられている。アメリカにおける公民権運動、あるいはヨーロッパにおける脱植民地化以降において一般市民や公共アクターたる報道機関、政党、政治家、官僚といったそれぞれのアクターが拡大する多元的民主主義という価値観に対してコミットし続けることをポリティカル・コミュニケーションの研究者は当然であると考えていた。しかし、政治学などの隣接した分野において多元的民主主義体制に対する人種的、民族的、宗教的な反動が発生していることは示されていた。

 これらの問題の背景にある人種的あるいは権力的盲目は、この論文で主題となっている極右的なイデオロギー、価値観、政治集団が復権することに繋がった。未だにポリティカル・コミュニケーションにおいてこれらの非民主主義的な思想は新たな、あるいは珍しいものであるとして扱われている。

 論文ではこれらの事実を踏まえ、2022年の先行研究などに基づいて従来のポリティカル・コミュニケーション分野のことを「Western political communication(西洋的ポリティカル・コミュニケーション)」あるいは「white Western political communication(西洋・白人的ポリティカル・コミュニケーション)」と呼称している。

極右勢力が取っている手段

 今日において主に西側諸国の民主主義体制下において勢力を拡大している極右勢力は、自らを(国家を支配する民主主義勢力に対抗する)反ヘゲモニー闘争の主体として自己を位置づける自己言及的なイデオロギーによって構築されている。かつてこれらの極右イデオロギーはしばしば「民族主義」と呼ばれたように、人種や民族、宗教に基づく序列的なヒエラルキーによって構成される社会の構築を支持し、それと真っ向から対立する多元的民主主義社会を否定する。

 極右勢力は民主主義体制下における「アウトサイダー」としての立場を主張するが、その一方で彼らを「保守派」あるいは「伝統主義者」の一類型と見做すメディアや一部の政治家を通じて既存の社会構造による恩恵に浴している。ポリティカル・コミュニケーション分野においてしばしば極右勢力は「(既存政治に対する)オルタネイティブ」や「ポピュリスト」などというレッテル貼りをなされるが、むしろこれらのレッテルは彼らの非自由主義的な主張を覆い隠す「隠れ蓑」としての機能を果たしてしまっていることも多い。事実、極右勢力は自らを「ポピュリスト」や「革新勢力」と称し、大衆にその側面を強調して喧伝することで誤解に基づく支持を拡大しようとする。

 これらの「レッテルを用いた偽装」の他にも、極右勢力は民主主義体制における制度を悪用しその支持を拡大する戦術を取っている。民主主義体制においては一般的に言論の自由が保障されており、政治的主張に対する寛容さが備えられているが、彼らはこれらの特権を敵視するにも拘らず、こういった特権を使って自身の思想を主張する。2022年には極右主義者は戦略的に進歩主義的な学説に「相乗り」してこれを乗っ取り、排外的あるいは反動的イデオロギーを追求するために利用していることが研究によって示されている。

 報道機関あるいは大学を始めとする学術機関において、リベラリズムに基づき反民主主義的な思想をも包摂した多元性を主張し、それが「言論」として保護される時、極右思想はより増幅されると論文は2018年の先行研究に基づいて主張している。

 論文では、これらの極右勢力による民主主義的制度の「ハック」を阻止するためには、正当な民主主義的主張と、それを破壊しようとする非民主主義的な主張を正確に区別する制度化された経験則を得る必要があると訴えている。ポリティカル・コミュニケーション分野はその最前線に立つべきであり、民主主義を擁護するために必要な規範的な立場や明確な信念といった民主主義的明確性について、分野として合意あるいは再確認する必要がある。

民主主義への脅威に対抗するために必要なこと

 ここまで記してきたように、既存のリベラリズムに基礎を置いた民主主義体制は極右勢力の伸長に十分に対抗できているとは言い難い。それは、民主主義が全ての人を包摂することに失敗し、そこから疎外された人々を多く生み出してしまったことが根本的な原因であり、それを無視して「理想化」された民主主義を取り戻す試みは無意味であると論文では訴えている。

 現代のファシズムや人種主義を始めとする極右勢力は決して新しく現れたものではなく、より広範な民主主義に対する脅威と同じように、民主主義体制において根絶することができなかった主張がより進歩してしまったものであることを認識し、明確化する必要がある。そしてこれらの勢力が強まり、民主主義体制に対する挑戦が今後増加していく中で、ポリティカル・コミュニケーションは自らの立場を改めて見直し、何を標榜するべきか、どこに盲点があるのかについて議論を尽くすことが必要となってくると論文では結論付けている。

反民主主義勢力の主張・背景を正確に分析し批判する必要性

 かつて国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ)がヴァイマル憲法下の民主主義体制を悪用して躍進し、議会第一党となった後にあらゆる手を尽くしてその民主主義機構を破壊し独裁政権を樹立したように、狡猾な政治的過激派はテロや反乱と言った非合法的な手段に訴えるだけではなく、選挙活動を代表とする制度内においてその支持を拡大させることを好む。

 あらゆる主張に対して寛容たることを望む極端なリベラリズムは己を破壊しようとする勢力に対しても寛容さを発揮し、取り返しのつかない事態へと転落する端緒となってしまうこともある。

 しかし一方で、これらの政治的過激派による民主主義制度の「ハック」に対抗しようとする試みも古くから存在する。それはドイツ連邦共和国基本法などで言及されており、実際にドイツにおいて運用されている「戦う民主主義(Streitbare Demokratie)」である。これに基づいてドイツではファシズムや共産主義といった民主主義に対して脅威をもたらしうる政治主張に対しては政治的自由が認められておらず、実際にドイツ共産党やドイツ社会主義帝国党(いわゆる「ネオナチ」政党)などが解党処分に処されている。

 このように極右を始めとする反民主主義勢力に対して、その政治的自由を奪うことによってその伸長を阻止するというのは一定の効果が存在する。一方で、そのドイツでも反移民や欧州懐疑主義などを訴える極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進するなど、「口を塞ぐ」ことによる対策には限界がある。更には、この「戦う民主主義」は政敵に対して「民主主義の敵」というレッテル貼りを行うことによって政権による言論統制に転用される危険性を孕んでいる。

 この論文でも指摘されているように、レッテルや偏見に基づいて反民主主義勢力を解釈するのではなく、彼らが真に何を主張しているのか、どういった背景が存在するのかということを正確に分析し批判することが最も適切な対策であると考える。これは政府や報道機関などが音頭を取るものではなく、私たち一人一人が意識して草の根から認識を変えていくことも重要なことであろう。

よかったらシェアお願いします
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

2003年生まれ。神戸生まれ神戸育ちの神戸っ子。非軍事的な分野における安全保障に対して広く興味を有しており、現在は偽情報及び誤情報が民主主義に齎す影響を一橋大学グローバル・ガバナンス研究センター(GGR)において研究中。専攻以外では、ヴァイマル共和政期のドイツや国際政治・国際法について独自に勉強している。
X(旧Twitter)アカウントは @pax_silverna、主に自分が書いた胡乱な文章のことをつらつら呟いているが、稀に自身の専攻やその外で興味を持っていることについて四方山話を話しているので、気軽にフォローしていただきたい。

目次