西側諸国における偽・誤情報対策の「落とし穴」についての論文

はじめに
今回はSamantha Lai氏による「Understanding the Information Environment: Insights from the Majority World」を紹介する。この論文は、主として北半球の西側民主主義国家、いわゆる「グローバル・ノース」の研究者たちが偽・誤情報に関する研究を行ったり、その対策を支援しようとしたりする際に陥ってしまう「落とし穴」について分析した論文である。
この論文はアジアやアフリカ、ラテンアメリカといった地域の専門家に対するインタビューを核として、これらの「落とし穴」がどのようなものであるかといった具体的な事例を挙げた後に、どのようにこれを解消するべきかといった提言を行うという構成を取っている。論文においては最初に取り上げる「落とし穴」とそれを防ぐための方策について、次のように大きく5つ示している。
・西側諸国における常識の、それ以外の地域への安易な適用
・西側諸国で一般的ではない、現地における情報流通源の軽視
・国営放送などで主張されるナラティブが国内で広く信じられているという先入観
・民主主義や公益メディアの存在を前提とするガイドラインの権威主義国家による悪用
・西側諸国におけるツールが言語などの問題で他地域では通用しない可能性の無視
西側諸国における常識の、それ以外の地域への安易な適用
ファクトチェックやメディアによるリテラシー教育といった偽・誤情報対策は、今では当たり前のものになり、その有効性については多くの論文で明かされている。しかし、あくまでもその「有効性」というのは、先進国が多くを占める西側諸国におけるものであると論文は主張している。
論文では、アフリカでの滞在経験を持つ研究者の話として、先に挙げたような偽・誤情報対策はポップアップや情報ハブといった主に文字メディアを用いた介入の側面が強く、例えば文字の読み書きができないような人に対してリーチすることができないという指摘を紹介している。このような人たちはビデオや録音された音声情報といった音声メディアや、画像に代表される視覚メディアに情報源を頼ることが多く、そのような場合、現在の文字メディアに重点を置いた西側諸国における偽・誤情報対策は相対的にその効力が低下する。
さらに、ラテンアメリカ地域における証言として、そもそもインターネットに対するアクセスや情報リテラシーの制限により、多くの人々はインターネットを閲覧することが少ない上、この地域の諸国におけるデータ利用料が依然として高額であることもそれに拍車を掛けているというものがある。このような場合、人々はインターネットに対する過度なアクセスによってデータを消費することを避け、ダウンロードすれば長く情報源として活用できる画像のような視覚メディアが多用されていると証言は指摘している。
さらに、個々人が情報に接しているという先入観は、大きなコミュニティにおける情報との接触を軽視していると訴えるインタビュイーも存在する。家族やグループで携帯を共有するケニアの事例や、インターネットのアクセスが制限されており、グループの代表者がインターネットにアクセスして情報を入手しそれを共有するブラジルの先住民の事例に代表されるように、個々人ではなくコミュニティ単位で情報に接触し、あるいは拡散していくという場合も多い。
西側諸国で一般的ではない、現地における情報流通源の軽視
論文で調査対象となったインタビュー対象者の多くは、従来の情報環境に関する調査研究や政策立案は、その対象がソーシャルメディアに偏り過ぎていると指摘している。日本を含めた西側諸国においてインターネットにアクセスする権利というのは特権ではなく、広く一般市民に開放された権利であると解釈されているが、そうではない地域が世界には多いという事実を研究者は見落としているというのである。また。これらの諸国ではインターネットの発展に伴って従来のメディア、テレビや新聞、ラジオなどが衰退途上にあることもこれに拍車を掛けている。
ベトナム人の研究者はインタビューの中において同国政府が新型コロナウイルス蔓延を予防するためのプロパガンダをどのように活用していたかということについて、国外の研究者は同国北部地域において拡声器が活用されていたことを見落としてきたと証言した。別のインタビューでは、南米コロンビアにおける研究を引用して、同国においてニュースを凌駕するほどテレノベラが政治的な情報の拡散において重要な役割を果たしていることを指摘している。
これらの現地における情報源は、西側諸国の研究者が自国で研究を行う限りにおいて、見落としてしまうことが多い。このような事態を防ぐためにも、研究対象の国家における専門家との協力などを通じてこのような情報源が如何に活用されているかという知見を得ることが重要であると論文は提言している。
国営放送などで主張されるナラティブが国内で広く信じられているという先入観
ナラティブの影響力を西側諸国の人々は過大評価しがちであると論文は指摘する。これらの諸国では報道の自由が存在し、国家によるナラティブの統制が殆どないがゆえに、国家によって統制されたナラティブの威力を過度に考えがちであるが、国営放送が大きな影響力を持っている国家でさえも、国民はそのナラティブを無批判に受け入れているわけではないというインタビュー結果が出ている。前述したアフリカの研究者は、ザンビアでの経験から、メディア報道が国民個々人に与える影響はそこまで大きくないとも証言し、国営放送が支配的であったとしても代替可能なメディアは存在することなどもその理由に挙げている。
ウガンダでNGOを率いるインタビュイーは、同国のような政府による統制が大きい国家においてはソーシャルメディアなどに特定の主義主張への支持を表明した場合の政治的報復のリスクが大きいことなどから発信を躊躇う人間が多いと証言した。その場合、それらの主義主張を唱える他者の意見を再投稿(Xにおけるリポストなど)することで代替的に自己の意見を表明することもある。
このように、西側諸国と違う政治的環境に置かれた地域の人々が主に政府が発出するナラティブをどれほど信じているのか、あるいは異議を唱えているのかということは明確になりづらい。現地情報源の調査と同様に、ナラティブの影響力測定にも現地の専門家の協力による実地調査が不可欠である。
民主主義や公益メディアの存在を前提とするガイドラインの権威主義国家による悪用
西側諸国における偽・誤情報に関するガイドラインは、これらの諸国に「最適化」されていると複数のインタビュイーは指摘する。西側諸国で推進されている伝統的メディアやソーシャルメディアに対するガイドラインは、インドネシアやトルコ、ベネズエラのような少なくない(しばしば権威主義的な支配がされている)諸国において自国の言論弾圧のために悪用されている。
このようなガイドラインは、(政府から)独立したジャーナリズムがこれをいわば自己統制の手段として活用することが想定されていたり、あるいはユネスコが2023年に提案した「デジタル・プラットフォームを規制するためのガイドライン」のように「汎用性」を持ったりしてしまうために、これらの前提を共有しない権威主義国家に悪用されやすい。
このような事態を防ぐためには、これらのガイドラインに「前提条件」を明確にすることが重要であると論文では指摘している。すなわち、偽・誤情報のガイドラインには、民主主義に基づく政治体制が根付いていることや、その国家に強力な公益メディアが存在することを、適用条件として課す必要があるということである。
西側諸国におけるツールが言語などの問題で他地域では通用しない可能性の無視
西側諸国において偽・誤情報対策のためのデータ収集やコンテンツ調査のために必要なツールの開発は進展している。しかし、そうではない国々において、これらのツールは言語や文化の違いによって活用することができない事態が続出すると指摘されている。
論文には、アメリカで活用されているハッシュタグや句読点の使用頻度からbotを検知するツールに、botであると判定されるような行動を一般のブラジル人ユーザーが取ってしまうため、彼らのアカウントをbotであると誤判定してしまっているという事例も引用されている。ある国では一般的に使用されているような語彙が、別の国では差別用語として扱われているという文脈の違いや、民族構成や宗教の違いなどによって、ツールを一律で適用した場合には様々な弊害が出てきている。このような事態を防ぐためには、ツールを開発したそのままの状態で各国に適用するのではなく、適用される各国に合わせて「ローカライズ」することが必要であると論文では指摘されている。
偽・誤情報対策が西側諸国の「独善」に陥らないために
ここまで述べてきた5つの項目について、西側諸国において一般的な偽・誤情報対策は大きな壁に直面している。西側諸国は偽・誤情報対策において極めて先進的であること自体は事実であるが、一方でその対策は過度にそれが開発された国家での環境に「最適化」されすぎている。今後、こういった対策を世界中に広めていくためには、偽・誤情報対策は自分たちが主導するものであるという西側諸国の「思い込み」を改め、世界の過半を占める西側以外の諸国における専門家との協力や実地における調査が必要であると論文は結論付けている。
また、このような対策が「汎用性」を持つことに対する道筋についても論文は提言している。政治状況に代表される各国の情報環境は多種多様であることなどを理由に、一般的な偽・誤情報対策は実現しえないという主張は全くの誤りであるとし、各国の研究者や政策立案者の相互理解や協力を通じて、偽・誤情報対策はグローバルな適用性を高めることが可能であるとして論文は締められている。