陰謀論と政治的暴力の関係を考察した論文

2021年1⽉6⽇の⽶国議会議事堂襲撃事件に見られるように、近年では政治的暴力への懸念が高まっている。直近の事例としては、2025年1月19日に韓国で大統領の逮捕に反対する人々が暴徒化し、裁判所を襲う事件が発生した。
今回紹介するAdam Endersらによる “The relationship between conspiracy theory beliefs and political violence”(’Misinformation Review’, Harvard Kennedy School, 2024. 12)は、陰謀論信仰と政治的暴力との相関関係を検証したものである。
陰謀論と暴力との関連性は多くの研究で示唆されているが、調査対象とされる陰謀論の数が少ないこと、暴力について限られた尺度しか用いられていないことから、一般化可能な結論を導き出すには至っていないのが現状である。
政治的暴力に効果的に介入するためには、陰謀論との関連について理解を深める必要がある。同論文の著者らは44の陰謀論と4つの暴力尺度に関して2012年から2022年までのデータを検証し、一般化を試みた。
背景にある潜在的要因
同論文では、陰謀論と暴力との相関関係について論じるに先立って、それらのつながりの背後にあるさまざまな要因を取り上げている。
まず、陰謀論そのものの認識論的特性として、(暴力行為を含む)非規範的な行動を容認するような、オルタナティブな社会的リアリティを生む「仮説」としての側面がある。同論文では陰謀論の定義を「有力で悪意のある⾏為者による秘密の⾏動を⽰唆する出来事や状況について、説明を提示するものである」(Uscinski & Enders, 2023)としている。このような陰謀論的仮説にリアリティを感じる人は、「毒をもって毒を制する」とでもいうように、悪の集団のたくらみを阻止しようとして暴力をふるうことがある。たとえば、大統領選挙で不正がおこなわれたと信じる人々が⽶国議会議事堂を襲撃したり、ピザ屋が児童の性的人身取引に使われていると思い込んで襲撃したりといった事件がこれにあてはまる。
とはいえ、陰謀論を信じることが暴力(の意図ないしは行為)に直結すると考えるのは早急である。もしそうだとしたら、陰謀論が広く信じられているアメリカでは⼤多数の人が暴⼒を振るっていることになる。実際には陰謀論に由来する暴力はまれにしか起こらない。陰謀論への信仰が単独で暴力の意図を抱かせたり、暴力行為に向かわせたりするとは考えにくい。
二つ目の潜在的要因として挙げられるのは、陰謀論の信者の内的、心理的な特性である。これには態度、パーソナリティー、⾏動傾向が含まれる。
同論文によると、非規範的なパーソナリティーと意図をもつ人は非規範的な行動をとる可能性が高いだけでなく、陰謀論を受け入れる可能性も非常に高い。自らの行動を正当化するために陰謀論を選ぶ場合さえある。また、暴力的な行為と関連する反社会的態度やパーソナリティー(ナルシシズム、マキャヴェリズム、サイコパシーから成る「ダークトライアド」)をもつ人は陰謀論を信じる傾向があることが、膨大な量の先行研究をもとに示唆されている。
ここで着目すべきは、暴力とのつながりが深いタイプの反社会的特性を持つ人には、社会的にタブーとされる陰謀論(ホロコーストを否定する説など)を信じる傾向が見られるという点である。その理由として、反社会的な特性によって向社会的な行動が抑制され、他人が支持しない考えを支持する意欲が高まるためとされている。さらに、反社会的なパーソナリティーの持ち主はタブー視される陰謀論を受け入れるだけでなく、多くの陰謀論を信じる傾向もある。
暴力と陰謀論を結びつける潜在的要因の三つめは、信者個人の精神状態と病理である。陰謀論を信じる人は精神状態の変化(怒りや不安、うつ病の発症など)が起こった時に限り、陰謀論の考え方に沿って行動しようとすることがある。たとえば、陰謀論者においてはうつ病が政治的暴力と正の相関関係にあることが、研究から明らかになっている。
最後に挙げられている潜在的要因は、陰謀論が有する偏見的性質、顕著性、情報源である。具体的には、外部の集団をスケープゴートにする、差し迫った脅威を示す、信頼できる情報源の⼿がかりによって裏付けられているといった場合には、陰謀論信仰と暴力のつながりが強まることがある。
以上の4つが、陰謀論と暴力のつながりにおいて潜在的に存在しうる要素だが、著者らはここで留意すべき点を一つあげた。それは、人間の行動の背後にある原因を特定するのは難しく、政治的暴力行為のようにまれにしか起こらない出来事の場合は、特に困難だということである。
検証結果
1. 陰謀論信仰と政治的暴力の関係の強さは陰謀論によって異なる
調査対象となった44の陰謀論のうち42では暴力との相関関係が正であり、統計的に有意だが、陰謀論信仰と政治的暴⼒への⽀持との関係の強さは陰謀論によって異なる。ある陰謀論に見られるパターンが他の陰謀論にも当てはまると考えるべきではない。
また、陰謀論信仰と暴⼒の関係は、暴⼒の尺度には依存しない。同論文では3つの尺度を採⽤している。1)政治的暴⼒への態度的⽀持、2)政治的暴力を実行したという⾃⼰申告、3)非政治的暴⼒による対⼈間の争いへの関与、である。
2. 陰謀論の人気が暴力との関係を左右する
陰謀論と暴力の関係は陰謀論の人気度によって異なる。人気のある陰謀論は人気のない陰謀論に比べて、暴力との結びつきが弱い。その理由として同論文では、陰謀論の人気が高ければ高いほど、よりいっそう多様な特性の人々をひきつけるためとしている。例えば、JFK暗殺にまつわる陰謀論はアメリカで広く信じられているが、政治的暴力に関与した、ないしはそれを支持するアメリカ人は、50%をはるかに下回る。
一方、あまり人気のない非主流派の「異端な」陰謀論は、暴力との相関関係が強い。暴力への支持との相関が最も強い陰謀論の中には、ホロコーストの犠牲者は意図的に水増しされているというような、社会的にタブー視されスティグマ化されているものがある。大多数の人には受けいれがたいこれらの陰謀論も、非規範的傾向をもつ人は支持する可能性が高い。また、このように最初からスティグマ化されている陰謀論は、人気のある陰謀論よりも暴力を促す可能性が高い。
ただし、陰謀論の人気、社会的受容性、顕著性は、政治的背景や時間の経過とともに変化しうるという点に注意が必要である。

左には、陰謀論が列挙されている。●は、陰謀論信仰と暴力との相関係数。○は、信者の割合。
The relationship between conspiracy theory beliefs and political violenceより
3. 一般的な陰謀論的思考と暴力との結びつきは近年強まっている
陰謀論信仰の有力な兆候となる陰謀論的思考とは、出来事や状況を陰謀の産物として解釈する傾向のことである。この陰謀論的思考と政治的暴力への支持との相関関係の強さが、2012年から2022年の10年間で3倍になっていることがわかった。
この変化の理由として、分極化の進行、民主主義への支持および信頼の低下、ドナルド・トランプ氏の陰謀論的で暴⼒的なレトリックによる影響などが考えられる。また、時間の経過とともに陰謀論者が暴⼒への⽀持を強めたり、暴⼒を⽀持する⼈が陰謀論者になったりした可能性もある。いずれにせよ、2016年の第一次トランプ政権以前のデータが不⾜しているため、これらは推測の域を出ない。同論文では、時間の経過とともに相関関係が強まっている傾向を憂慮すべきものと見て、より多くのデータを集める必要があるとしている。

●は、政治的暴力と陰謀論的思考の相関係数。
The relationship between conspiracy theory beliefs and political violenceより
報道関係者と政策立案者への提言
同論文では政治的暴力の対処に取り組む実務家や専門家に対して、以下の点に注意を促し、慎重な取り組みを求めている。
第⼀に、陰謀論の間には互換性がないこと、陰謀論によって政治的、⼼理的特性との相関関係が異なることを、認識しなければならない。陰謀論が必ずしも暴力と関連しているとは限らないため、政治的暴力を支持したり関与したりする人が信じる可能性の高い陰謀論に着目することが望ましい。
第二に、陰謀論を信じる⼈々は複雑であり、彼らが何を信じ、どのように⾏動するかということは、陰謀論信仰に先立って彼らが有している信念、世界観、イデオロギー、アイデンティティ、経験、状況要因による複雑な相互作⽤の産物である。陰謀論が共有され行動化される状況や環境についても、さらに調査せねばならない。例えば、メディアや政治に関わる人々が引き金となって、陰謀論者が暴⼒的行動に出る場合もあることが、論文中で指摘されている。
最近の研究では、規範違反を明示すると向社会的規範が認識されやすいことがわかっている。したがって、規範違反を指摘することは、政策⽴案者やジャーナリスト、評論家がなしうる効果的な介⼊の一つである。たとえば、陰謀論者の集団やリーダーが暴⼒的なレトリックを用いたときには、直ちにこれを規範違反として扱い、厳しく非難するべきである。
最後に、陰謀論とその信者を対象に報道や介入をおこなう際には、陰謀論の信者個々人が複雑かつ多様であるだけでなく、陰謀論に惹きつけられる信者が陰謀論ごとにさまざまに異なっていることを、真剣に受け止めるべきである。また、陰謀論の信仰、⾏動、先行する諸特性、環境要因の間の複雑な因果関係については、さらなる研究が必要であると同論文は指摘している。