日本人の「デモ嫌い」が生み出す工作への脆弱性〜2019年香港抗議デモにおけるナラティブ拡散〜

中国などの権威主義国家は、ソーシャルメディアを通じて自国に有利なナラティブを拡散し、自由主義諸国からの批判に対抗しようとしている。一方で、そのような活動が実態としてどのように行われ、またどのようなユーザーがナラティブの拡散に協力しているのかはよく知られていない。この論文「Cross-ideological acceptance of the illiberal narrative of the 2019 Hong Kong protests in Japan: aversion to protests as a key facilitator」(2025年3月21日公開、Tetsuro Kobayashi, Fujio Toriumi, Mitsuo Yoshida & Takeshi Sakaki)では、2019年の香港抗議デモを対象として、日本において親中ナラティブがどのように拡散されているかを分析することで、中国の国際的プロパガンダや日本の民主主義の脆弱性について検証している。
(中国の国際的な宣伝活動は、共産党政権を支持するナラティブの拡散を目的としており、特に2019年以降、対西側諸国との緊張が高まる中で活発化している。新疆ウイグル自治区での人権問題、香港国家安全維持法、そしてCOVID-19に関する言説などをめぐり、中国はフェイスブックやツイッターなどのプラットフォームを通じて、西側主導の批判的ナラティブに対抗し、非自由主義的なオルタナティブ・ナラティブを広めてきた。このプロパガンダには国営メディアや外交官だけでなく、標的国の一般市民も関与し、彼らのリツイートや「いいね!」が参加型プロパガンダの一翼を担っている。このような民主主義社会内の分断を拡大し、権威主義体制に好意的な世論を醸成することを目的とした言論工作のことを「シャープパワー」と呼ぶ)
誰が親中ナラティブを広めているのか?
論文では、第一の研究として、2019年の香港におけるデモに関する日本国内でのツイートを分析することで、親中派のナラティブの拡散過程やその参加型性質について分析している。
参加型プロパガンダの特徴は、情報の発信者だけでなく、それを拡散する一般ユーザーの存在にあると論文では指摘している。親中国的なナラティブに関与するツイートをリツイートした人のプロフィールを分析した結果、左派と右派の両クラスターにそれぞれのイデオロギー的特徴があるとしている。左派は反戦・反原発・TPP反対などの主張を含み、米国やグローバリズムに批判的で、歴史的背景から親中・反米的傾向がある。一方、右派は憲法改正や軍事強化を支持し、米国の保守派と親和性が高く、反リベラルの傾向を強く示す。プロフィールのキーワードには、左派では「反原発」「山本太郎」、右派では「安倍首相支持」「トランプ大統領」などが多く現れ、ツイート数、リツイート数、関与アカウント数など、すべての点で、左派クラスターが右派よりも活発であると論文では述べている。親中ナラティブは左右両陣営によって、異なる価値観や動機に基づき、広く拡散されていると著者は指摘している。
親中的なツイートとはどのようなものか?
研究では、親中国的なツイートは、日本の左派・右派の双方から発信されており、それぞれ異なる特徴を持つとしている。左派クラスターのツイートは、香港のデモ参加者を「暴徒」とし、アグネス・チョウやジョシュア・ウォンらをCIAやNEDと結びつけ、米国の影響下にあると非難する内容が中心である。これには、過去の米国による民主化運動への関与を根拠とし、香港デモもその一環と見なすナラティブが見られる。一方、右派クラスターは、香港の民主化運動を日本のリベラルな運動(特にSEALDs)と関連づけており、日本のリベラル勢力に対する批判の文脈で香港デモを否定的に捉える傾向がある。また、右派の語りには陰謀論的要素も含まれ、米民主党や国際金融資本が関与しているという主張が目立つ。総じて、左派は反米・反介入の視点から、右派は反リベラル・反グローバリズムの視点から親中ナラティブを形成しており、同じ親中的立場でもその背景や論理構造には大きな差異があると論文では指摘している。
親中ナラティブはどのようなユーザー層に届いているのか?
研究では、親中国的かつ非自由主義的なナラティブが、Twitter上でどのようなユーザー層にリーチしているかを分析している。その結果、イデオロギー的に類似したネットワーク内でのナラティブの拡散が顕著であることを著者は指摘している。また、左派クラスターは、香港に関心はないがイデオロギー的傾向を持つ非コア層へのリーチに強く、右派クラスターは、特定の政治関心を持たない一般ユーザー層(周辺アカウント)へのリーチにおいて効果的であったと分析されている。右派のこの優位性は、相互フォローの多さ、穏健派に近い言語スタイル、そしてアニメやゲームといった非政治的関心を通じてナラティブを広めている点に起因していると考えられるという。
デモに対する嫌悪感がナラティブの浸透を容易にする?
これまでの分析でも、日本における親中的なナラティブの拡散には左右を問わないさまざまな層が関与していることが指摘されている。これを受けて論文では、二つ目の研究としてそれらの原因を探ることを試みている。具体的には日本人によって構成される被験者群を用意し、デモに対する嫌悪の度合いで分類したグループに対してそれぞれ「主流派ナラティブを提示する群」「親中ナラティブを提示する群」「統制グループ」の3群を作り、その後のテストで香港におけるデモをどのように解釈するかを検証している。
論文によれば、これらの実験の結果として、「政治的抗議活動への嫌悪感が強い人ほど、香港デモの非自由主義的解釈を支持する傾向が強い」ということを指摘している。つまり、日本人全体の傾向として見られるデモなどの抗議活動への嫌悪感が、親中ナラティブが受容されやすい基盤になっているということである。また論文では、本来親中ナラティブと距離を置く傾向にあるとされる右派イデオロギーを持つ人ほど政治的抗議活動に対する嫌悪感が強いことも示されている。結果として日本国内では左右問わず親中派が拡散する、より大陸的なナラティブが広まると論文では分析している。
言論工作に対する日本の脆弱性
論文では、これまでインターネットなどの言論空間における権威主義国家による工作は、標的とした国の国民に対立の原因となる種をまき、対立を画策することだと考えられてきたと述べている。一方で本研究で明らかになったことを踏まえると、日本における影響力工作では大衆内での不和ではなく、むしろイデオロギーを超越するコンセンサスを生み出している、ということを論文では指摘している。論文では先行研究を引用する形で、1960年代の左派闘争が日本人の「デモ嫌い」を生み出した原因であると指摘し、特定の形態の政治参加への関与が敬遠されるとき、非自由主義的なナラティブの浸透を許す脆弱性を生み出すと述べている。