楊井人文氏に聞く ファクトチェックの現在
ファクトチェックはジャーナリズム
「ファクトチェックはジャーナリズムである」 日本におけるファクトチェックの草分け、楊井人文氏は、ウェビナーの中で繰り返し強調した。ファクトチェックは本来ジャーナリズムの一形態であり、楊井氏いわく「ジャーナリズムをアップグレードするもの」だという。これはきわめて前向きでパワフルな「ファクトチェック観」であり、メディアの信頼性と社会的影響力の低下といった課題を解決する可能性を秘めている。
だが、昨今はこういったファクトチェックの本質的なあり方に変化が見られる。特に日本では、政府とデジタルプラットフォーマー(以下、DPF)の二大組織がファクトチェック団体に強い関心を寄せ、急接近している。ファクトチェックが“偽・誤情報対策”の手段にされようとしているのだ。
日本政府の施策に組み込まれて“官製ファクトチェック化”することを懸念する声もあがっている。
ファクトチェックの成り立ちと世界的展開
ファクトチェックといえばネット上のデマやフェイクを検証するものだという認識が、現在では一般的になりつつある。「ファクトチェック」という言葉が普及しはじめているものの、正しく理解されているとは言いがたい。言葉だけが一人歩きしているのが現状だ。
楊井氏によれば、ファクトチェックはメディア報道の品質向上のためにあり、本来はジャーナリズムと不可分の関係にあるという。
今回のウェビナー冒頭では、ファクトチェックの歴史について丁寧な解説がなされたが、驚くべきことにその成り立ちは1920年代に遡る。アメリカの雑誌社で記事内容のクオリティチェックをする専門職を置いたことが、ファクトチェックの発祥とされている。
その後、百年近い時を経て、ファクトチェック団体は2010年代後半から増加し、2015年にはIFCN(International Fact-Checking Network)が発足。世界的ネットワークの形成とファクトチェック団体の認証をおこなっている。日本でもIFCNの認証を受けた三つのファクトチェック団体が活動中だ。このように世界的なファクトチェックの興隆は、アメリカ大統領選やコロナ感染症の流行を機にフェイク情報が蔓延し、社会問題化したことが背景にある。
DPFからの資金提供と「下請け化」
偽情報・誤情報への対応を政府から迫られた巨大DPF は、巨額の資金を用いてファクトチェック団体への支援や連携を始めた。たとえばMetaの第三者プログラムでは、UGC(User Generated Content; ネット上の一般ユーザー投稿)をファクトチェック団体が検証し、検証結果をもとにDPFが投稿の削除や抑制をおこなう。楊井氏はこの構図を“ファクトチェックの下請け化”と呼ぶ。
ファクトチェック団体の多くは非営利の小規模な組織であり、財政基盤の弱さが課題となっている。巨大DPFからの資金援助は渡りに船だが、資金面での依存は強まる。ファクトチェック団体としての独立性・中立性が損なわれることは避けられない1。
事実、検証対象となる言説の選定にも変化が生じている。楊井氏はこれをファクトチェックfactcheckとベリフィケーションverificationという二つの概念を用いて説明した。
「ファクトチェック」は主として公共的言説を対象とし、公開された言説の真偽を事後的に検証するものである。いっぽう「ベリフィケーション」は、言説の公開に際して事前に事実確認することを意味する。これら二つが混同して用いられているのが現状らしい。
黎明期には、政治家の発言など公共言説が検証の中心であり、大学の研究所や新聞社などがファクトチェックを担っていた。ピューリッツァー賞を受賞した「ポリティファクト」の例からしても、初期のファクトチェックがジャーナリズム色の強いものであったことがわかる。
だが、ファクトチェックの世界的な広がりとDPFによる支援強化にともなって、検証の軸足が公共的言説からUGC へと移っていった。ファクトチェックと称して、実際にはベリフィケーションをおこなっているファクトチェック団体もあるという2。
国家権力の接近~「官製ファクトチェック」
このようにして元来ファクトチェックが有していた公共性は薄れ、ジャーナリズムとしての側面が失われていった。そして、主な検証対象が公共的言説からUGCへと移行したことにより、政府はファクトチェックを“偽・誤情報対策”の有効な手段と見なしはじめたのである。
パンデミック以降は違法性のない“偽・誤情報”についても、社会的影響力があり有害だと思われるものは規制しようという動きが活発化した。政府は感染症や災害の発生時にSNS上で流布するデマやフェイクの有害性、危険性を過大視し、法規制に向けた議論を急ピッチで進めている3。
これらの違法性のない偽・誤情報を取り締まるために、官民連携の名のもとで、間接的な形での言論統制が実施されようとしている。ファクトチェック団体にネット上をパトロールさせ、その検証結果をもとにDPFが情報流通を抑制する仕組みが、政策に盛り込まれているのだ。それを端的に表しているのが、総務省作成の「概念図」である。この図では、“ファクトチェック機関” が本来は不可分であるはずのメディアから切り離され、情報流通を制御する役割を担うかのような位置に置かれている45)。
「デジタル空間における情報流通の全体像(現状)」 総務省・デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会の「とりまとめ」 p. 26より
国家権力がファクトチェックに寄せる関心の強さとファクトチェック団体への接近を、楊井氏は日本特有の現象であると重ねて指摘し、強い警戒感を示した。いわゆる “官製ファクトチェック” については、ファクトチェックの専門家はじめ関係者から懸念の声が上がっている。言論空間に国家が介入することによって、表現の自由が脅かされるおそれがあるからだ6 。
「ジャーナリズムなきファクトチェック」が “官製ファクトチェック” に堕するのは、当然の成り行きである。批判精神のない偽りの中立性は、国家権力とDPF権力という二大権力からの接近を許し、両者から政治利用されることになる。資金難を理由に公的支援やDPFからの資金提供を受ければ、独立性が揺らぎ、ファクトチェック団体としての信頼性が毀損してしまう 7。
ファクトチェックへの風当たりは世界的に強まっており、検閲と同一視されて容赦ない攻撃にさらされている。
今年6月、IFCNは「表現の自由とファクトチェックに関するサラエボ声明」を発表した。検閲は情報を削除するのに対して、ファクトチェックは情報を追加するものであることを、「サラエボ宣言」は明示している。さらに、自由な報道と質の高いジャーナリズムの一部として公共の情報と知識に貢献することを謳い、原点回帰の姿勢を示した8。
ファクトチェックの将来像
ファクトチェックを巡るさまざまな課題を打破するヒントとして、楊井氏は三つの論点を挙げた。これらは従来のファクトチェックのあり方を根底から大きく変えるものである。
一つは、現在主流となっている「言説中心型」のファクトチェックから「問題中心型」のファクトチェックへの移行である。従来のファクトチェックでは言説の真偽に焦点が当てられ、その背景である社会問題が取り上げられることはなかった。偽情報やデマの背景にある問題全体をとらえてこそ、ジャーナリズム性のあるファクトチェックだと言えるが、そのような問題中心型はほとんど実践されていない。
二つ目は、ネガティブ・レーティングの見直しである。「誤り」「不正確」「ミスリード」等々のネガティブな評価を下すことによって、その言説を支持する人/しない人で二分されてしまう。ファクトチェックが社会の分断を生み、ファクトへの理解を妨げるのではないかと楊井氏は指摘し、共通理解を促す方向性を示唆した。
最後に、責任あるジャーナリズム――アカウンタビリティ・ジャーナリズム――の実践が提案された。ファクトチェックが偽・誤情報対策における言論統制の手段に陥ることなく、ジャーナリズムとしての社会的機能を発揮し、公益に資するためには、「アカウンタビリティ・ジャーナリズム」を根付かせることが必要である。これはファクトチェックの実践を通じて透明性を確保し、信頼を向上させることを意味する。そのためには権力からの独立が不可欠であるが、資金面での独立性という難しい課題をクリアせねばならない。公的資金にもDPFからの援助にも依存せずにジャーナリズムを貫くには、市民からの寄付によって運営されるのが理想的だが、その道のりは容易ではない。
ファクトチェック団体に限らずメディア全体がファクトチェックに取り組むことで、透明性と説明責任への意識が高まり、報道の質が向上するとともに、信頼回復が図れるのではないか……逆風のなかでもあきらめず、ファクトチェックのあるべき姿を模索しつづける楊井氏の話に心打たれた。質疑応答も活発におこなわれ、質問の一つひとつに丁寧に、熱意を込めて答えておられる姿が印象的だった。ファクトチェックとマスメディアがコーナーをうまく曲がり切り、権力のためでなく公共のために再生することを、一人のSNSユーザーとして切に願う。
脚注
- ファクトチェック団体とDPFとのアンビバレントな関係については、奥村信幸・武蔵大学教授の記事に詳しい。
「ファクトチェッカーはプラットフォームを「フレネミー」と呼ぶ:グローバルファクト11報告 その①」Yahoo!ニュース(2024年8月12日) ↩︎ - ファクトチェックとベリフィケーションの違いについて、詳しくは楊井氏のnote記事を参照。
「ファクトチェック・ジャーナリズムとは何か(上) 従来の報道との違い(3) 」note(2020年10月1日) ↩︎ - 違法ではないが有害と思われるUGCは、「対応を検討すべき」ものとされている。ちなみに報道の自由を尊重するという観点から、マスメディアの誤報は適用除外とされる見通しである。
デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会による「とりまとめ」 p. 87を参照。 ↩︎ - 検討会の座長を務めた宍戸常寿・東京大学教授は、フロントラインプレスの取材にこたえて次のように述べている。 (※強調筆者)
「今はインターネットによって形成されたデジタル空間において、偽情報がネット上で氾濫するなど非常に深刻な問題を引き起こしています。それは、海外の事例を見ても明らかで、対応策に特効薬はありません。 しかし、これまでは既存メディアやジャーナリズムが担ってきたファクトチェックという機能を、その部分だけ取り出してデジタル空間に置き、それに期待するという社会的要請は存在すると思うんです。」
「官製ファクトチェックにつながる懸念」にどう答えるのか、総務省検討会の座長・宍戸教授に聞く(前編) 」SlowNews(2024年8月15日) ↩︎ - 総務省の検討会(2023年11月~2024年9月)には、FIJ理事でジャーナリストの奥村信幸・武蔵大教授が、構成員として参加していた。総務省作成の概念図における“ファクトチェック機関”の位置づけに対し、奥村氏はファクトチェックの専門家として再三にわたり異議を唱えたが、残念ながら概念図の修正には至らなかった。
デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会第18回(令和6年5月9日)「議事概要」 p. 45-46
同上第22回(令和6年6月10日) 「議事概要」 p. 36-37 ↩︎ - 「「官製ファクトチェック」に懸念の声 誤情報対策、パブコメ受け修正」 朝日新聞デジタル(2024年9月5日) ↩︎
- “官製ファクトチェック”の例として、今回のウェビナーの質疑応答でも話題に上った日本ファクトチェックセンター(JFC)を挙げることができるだろう。JFCは総務省の有識者会議と連動する形で設立された。運営母体であるセーファーインターネット協会(SIA)との関係については、組織としての独立性と資金の透明性が疑問視されている。また、マスメディアの報道内容を検証対象から除外している点にも注意が必要である。 ↩︎
- サラエボ宣言については、奥村信幸・武蔵大教授の記事を参照のこと。 「ファクトチェックの原点」を問い直す動き:グローバルファクト11報告 その②」Yahoo!ニュース(2024年8月16日) ↩︎