InFact編集長・立岩陽一郎氏に訊く ファクトチェックの現在

今回のゲストである立岩陽一郎氏は、前回登壇の楊井人文氏とともにファクトチェック推進団体FIJ(ファクトチェック・イニシアティブ)を設立し、日本にファクトチェックを紹介した立役者である。現在はファクトチェック団体InFact(インファクト)の編集長としてファクトチェックの実践と普及に尽力しつつ、現役のジャーナリストとして調査報道にたずさわっている。また、ファクトチェックの実践教育を通じて次世代を育てる教育者でもある。
ファクトチェックとジャーナリズム、市民教育という三つの側面は、立岩氏の中でどのように位置づけられているのだろうか。まずは「ファクトチェックとは何か」という問いを通じて立岩氏のファクトチェック観を明らかにするところから、ウェビナーは始まった。
市民教育としてのファクトチェック
「フェイクニュース元年」といわれた2016年のアメリカ大統領選の頃から、ファクトチェックは世界的に普及しはじめ、フェイクニュースに対抗する「新手のツール」と見なされるようになった。対抗手段として機能していないという批判も出ているが、立岩氏によればファクトチェックはそもそも「フェイクニュースを駆逐する特効薬ではない」という。
昨今ではAIを使えばまたたく間にフェイクニュースを作ることができるが、それらをファクトチェックするには何倍もの時間がかかる。そうこうするうちにフェイクニュースは次々と拡散していく。とても追いつけるものではない。ファクトチェックはフェイクニュースを即座に迎え撃つような、即効性ある手段にはなりえないのである。
さらに、フェイクニュースの拡散を助長したり必要以上に不安を煽ったりなど、逆効果や副作用があることも明らかになっている1。そのようなファクトチェックの限界や弊害について、立岩氏は次のように語った。
ファクトチェックはそれが完璧なものであるという前提に立っているわけではないんで、あくまである情報に対してこういう情報がありますということを、いわゆる加算していくという、そういう役割を担うのだと。ですから、非常にずるい言い方をすると、やはりあくまでも判断をするのは受け手なんだっていうことになるわけですね。
ーINODSウェビナー「InFact編集長・立岩陽一郎氏に訊く ファクトチェックの現在」(2024年11月24日)より書き起こし。強調筆者。以下同様。
立岩氏の言うようにファクトチェックによる判定は絶対的なものではなく、無数にある情報の一つであり、最終的な判断は情報の受け手に委ねられている。そして、「フェイクニュースを流すのは、ある特定の人物ではなく我々」だと立岩氏が指摘するように、いまや一般の個人は情報の受け手であると同時に発信主体でもあり、一定の責任を負わねばならない。フェイクニュースの問題は、一人ひとりの主体的な取り組みにかかっているのだ。立岩氏は、ファクトチェックを市民が実践することで、フェイクニュースがおのずと拡散しにくくなる社会を作ろうとしている。
ファクトチェックを多くの人が経験する、あるいは取り組みに参加するっていうことが、あるいはそのファクトチェックというものを多くの人が知るという、そうした社会が広がる、あるいはその社会がそういうものに関心を持つというふうになれば、自ずといわゆるフェイクニュースというものを拡散する動きも、抑制されるんではないか。
立岩氏率いるファクトチェック団体「InFact」の活動には大学生が参加しており、ファクトチェッカーとして活躍している。今後はさらに若い世代へと裾野を広げ、高校生対象のファクトチェック授業を構想しているという。ファクトチェックの主体的な実践を通じて次世代を育成し、社会を根本的に変えていこうとする試みだ。これは立岩氏のいうように一種の市民運動、「市民教育」であり、世代を超えた息の長いプロジェクトである。
アメリカ大統領選でのファクトチェック
「ファクトチェック」を立岩氏が知ったのは、NHK在籍中に2010年から2011年 にかけてアメリカに留学した時のことだった。当初は、日本でファクトチェックを広めるのは難しいのではないかと感じていたという。というのも、日本のマスメディアは独自情報を重視し、情報源を明らかにしない傾向があるので、公的記録に基づいて調査するファクトチェックは受け入れにくいだろうと考えたためである。ところが楊井人文氏との出会いをきっかけに、ファクトチェックの普及に楊井氏との二人三脚で尽力することになる。
2016年にNHKを退職して再び渡米し、第一次トランプ政権下のアメリカを取材して以来、立岩氏は大統領選のたびに現地取材をおこなっている。直近の2024年の大統領選では、老舗ファクトチェック団体「ポリティファクト」を訪れ、同団体のケイティ・サンダース編集長を取材した。ポリティファクトはフロリダの地方紙『タンパベイ・タイムズ』から派生したファクトチェック団体だ。候補者の発言をそのまま流すだけの選挙報道に対する問題意識から、発言内容をチェックする取り組みを2008年の大統領選から始めた。これが高く評価されてピューリッツァー賞を受賞し、世界のファクトチェックのモデルとされるようになった。
ポリティファクトのファクトチェックによれば、選挙期間中のハリス氏の発言は4割程度が「誤り」か「ほとんど誤り」で、「嘘」はなかった。トランプ氏の場合は8割近くが「誤り」か「嘘」だった。ただし、ハリス氏の発言で検証対象とされたのが65件であるのに対し、トランプ氏は800件以上にのぼる。チェックされた件数に大きな差があることから、フェアではないとの批判があった。ポリティファクトの編集長によれば、ハリス氏の発言には大きな誤りが比較的少なかったことに加えて、同じような内容の繰り返しが多かったために、ファクトチェックの対象が限られたという。
立岩氏の説明では、これは日本で政治家の発言を検証する際にも起こる現象らしい。つまり、政策内容に踏み込んだ発言はファクトチェックの対象となりやすいが、意見表明や理想を語るような発言は対象になりにくい。どちらかの陣営に肩入れする意図はなくても、対象言説の選定基準に忠実に従った結果、検証する件数に偏りが出てしまうことがあるようだ。
大統領選をめぐる日本国内の反応としては、日本のメディアがトランプ氏とハリス氏を「接戦」だと報じたのは誤報であるとか、偏向報道であるなどと非難する声が上がっていた。これについては立岩氏によるファクトチェック記事「アメリカ大統領選挙は「接戦」ではなかったのか?」にあるように、接戦だったのは事実なのである。選挙人の獲得が勝者総取り方式であるため、接戦でも地滑り的に勝利することはあり、世論調査だけで予測するのは難しい。「誤報」であるとの誤解を生む背景には、大統領選の仕組みが日本で十分に理解されていないという問題があり、そういった基本的な知識も含めてきちんと伝えてこなかったメディアの側にも責任があると、立岩氏は指摘する。
政治とメディアをファクトチェックする
日本のマスメディアは「政府関係者」や「外交筋」などに食い込んで独自ネタを得ることを重視するが、ファクトチェックはそういう手法は一切とらない。「関係筋によりますと」という記事はファクトチェックではありえないと、立岩氏は断言した。ファクトチェックでは情報源の透明性と検証過程の再現性が担保されており、誰もがアクセスできる情報にもとづいて検証をおこなう。それに対して、情報源を秘匿する既存メディアの報道は「関係筋」の実在すら疑わしいほど根拠に乏しく、信憑性を欠いており2、説明責任の放棄に等しいと立岩氏はかねてより指摘している3。
また、既存メディアは5W1H(いつ、どこで、誰が、何を、どのようにしたか)をチェックすることを「ファクトチェック」と称しているが、立岩氏のいうようにこれはファクトチェックではない。発言内容の真偽に踏み込んでいないという点で、単なる “垂れ流し” なのである。先述のポリティファクトはそのような “垂れ流し” 報道への反省から、大統領選の候補者発言の検証を始めた。立岩氏がファクトチェックにたずさわっているのも、既存メディアの報道への問題意識によるものだ。
立岩氏が編集長を務めるInFactの記事には、いわゆる「裏金問題」を扱ったものがある4。自民党の政治家が収支報告書を「訂正」したとする大手メディアの報道に対し、この記事では「ミスリード」だと判定した。「訂正」とは名ばかりで実際には再提出にすぎないこと、メディアの報道は誤報に近いことが、ファクトチェックを通じて明らかになったのである。メディアのあり方が問題の根源にあることを指摘するため、「裏金問題」のファクトチェックをおこなったと立岩氏は語った。
このように、InFactの記事には政治をテーマにしたものが多く、政治家の発言をファクトチェックしたものもある。安倍元首相の国葬をめぐる石破茂氏の発言に関しては、InFactのファクトチェック結果が受け入れられ、発言が訂正された5。ファクトチェックが一定の効果を発揮しはじめたと立岩氏は見ている。
これらは権力監視の機能が適切に働いたとも言える事例だが、立岩氏によれば権力監視はファクトチェックの目的ではないという。「権力を監視するためにファクトチェックをやるものではない」と断言し、結果的に権力監視の役割を担うことはあっても、それを目的としているわけではないと強調した。
もし権力を監視するためにやるっていうふうになると、じゃあ権力じゃない側の嘘はいいのか?ってことになるわけですね。
相手の立場にかかわらず誤りがあれば正す、それがファクトチェックだと立岩氏はいうが、偏っていると見られることもあるようだ。与党に厳しいと思われたり、逆に、権力者を擁護するなと非難されたりするらしい。ファクトチェックの非党派性と中立性について理解を得ることの難しさがうかがえる。
ファクトチェックのあるべき姿
その他にウェビナーの中で紹介されたInFactのファクトチェック記事も、政治や報道のあり方への問題意識が出発点であり、ファクトへのこだわりに裏打ちされている。ファクトチェック記事の理想は無味乾燥であるべきで、面白くなくていいんだと、立岩氏は言い切る。「ジャーナリストが面白く書こうとするなら、これはもうファクトチェックでなくなっていく恐れが非常に強い」という言葉は、ジャーナリズムの一環としてファクトチェックが貫くべき厳密さを端的に表すものだ。ファクトに基づいて真偽検証した結果を明確に示し、それ以上のことは書かないというきわめて抑制されたあり方が、立岩氏の考える「理想のファクトチェック」なのである。
おわりに
ファクトチェックがフェイクニュースの特効薬ではないとしても、ファクト重視の姿勢は世の中を変えていく可能性があるということを、立岩氏のお話から知ることができた。ファクトチェックはフェイクニュース問題や偽・誤情報対策と絡めて語られることが多く、短期的な観点から見られがちである。しかし、立岩氏が取り組んでいるファクトチェックの実践を通じた「市民教育」のように、長期的な視点からファクトチェックをとらえることが、今後は必要となるのかもしれない。
脚注
- 一田和樹「ウソの拡散スピードは事実より20倍速い」PRESIDENT Online、2018年12月11日。 ↩︎
- 立岩陽一郎『トランプ報道のフェイクとファクト』かもがわ出版、2019 年、pp. 96-101。 ↩︎
- 立岩陽一郎『NPOメディアが切り開くジャーナリズム:「パナマ文書」報道の真相』新聞通信調査会、2018年、pp. 278-286。 ↩︎
- 立岩陽一郎「裏金問題「収支報告を訂正」報道はミスリード」InFact、2024年2月3日。 ↩︎
- 田島輔「石破元幹事長「イギリスではエリザベス女王の国葬でも議会の議決をとっている」は「誤り」 英国議会が回答」InFact、2022年9月17日。
石破氏が発言の訂正に至った経緯は、以下の記事に詳しい。
楊井人文「英国王の国葬に議会の承認」の誤情報はNHK由来だった 石破茂氏は発言訂正」楊井人文のニュースの読み方、2022年9月18日。 ↩︎
トランプ大統領が「フェイクニュース」の語を政治的なニュアンスを込めて恣意的に使ったこともあり、真偽不明の情報や誤った情報を指すのに最近ではmisinformation(誤情報)やdisinformation(偽情報)といった語が用いられることが増えてきた。立岩氏は「フェイクニュース」の語を使用されているため、本稿ではこれにならった。