誤情報に対抗するための「信頼の構築」とは? 「偽・誤情報の棚卸し2024」第2回
本記事は、Data & Societyによる「偽・誤情報の棚卸し2024」の紹介の第2回です。
国際的なテクノロジー経済における人種、労働、階級を研究してきた人類学者、Sareeta Amrute准教授が、「誤情報」「偽情報」に対する見解を寄稿した。
この「Building Trust to Counter Misinformation – Reckoning with Mis/Disinformation in 2024」と題された文章の中で、彼女は「情報の真偽のみに囚われる危うさ」と、「従来の報道に対して積み重ねられてきた不信」を指摘しており、誤情報に対抗する手段として体系的な文脈が見過ごされていることを問題視した。彼女は世界的/歴史的/文脈を理解したうえでのアプローチと、それを見せる方法の重要性を説いている。
Amrute氏は以下のように記している。
・「誤情報」「偽情報」という言葉は文字通りの意味に捉われやすい。これらの用語は情報の真偽のみに焦点を当て、事実と文脈を切り離してしまう。その結果として、情報の受け手は「ただの噂」「真実が混ざっている」「プロパガンダ」などが蔓延した体系的な文脈と、その関係とを認識しないまま、事実と虚偽(事実とフィクション)を真っ向から見分ける責任を負わされてしまう。それは信頼と不信の制度的な遺産、あるいは権力関係としての情報のインフラ的な世界形成の文脈から注意をそらす、誤った名称であることが示唆されている。
・たとえば選挙戦やパンデミック等について一般的に議論されるとき、「真実のように見えるが実際には虚偽の情報を生み出している技術的な革新」のほうにばかり目が向けられ、不信の遺産や世界規模の媒介チェーンの出現に対しては注意が払われていない。
・現代の情報フローを理解するには、これまでの制度上の失敗や、世界的な力関係の中における情報の真実性の価値を文脈化するアプローチが有効となる。
・強力な機関によって生産される情報は、しばしば偏ったものとなり、時には露骨な偏向も行われる。政府のメディアや「従来の報道機関が提供する見解やデータ」に関与しないコミュニティにとっては、それらの見解やデータを信頼する理由がほとんどない。
・政府関係者、研究者、ジャーナリスト、医療専門家や法律専門家たちが、これらのコミュニティとの長期的な信頼関係を構築することは、誤情報の問題に対処する一つの手法となるだろう。
(参考:https://datasociety.net/events/whats-trust-got-to-do-with-it/)
・従来通りの情報機関にいる専門家の一部は「厳密なデータ収集と検証に基づいた情報を生成する作業」と、「情報全般に対してコミュニティが積み重ねてきた不信感」とのギャップに行き詰まりを感じているかもしれない。しかし、カウンターデータや代替的な知見を生み出してきた長い歴史を振り返れば、その展望も開けるはずだ。
誤った認識に対抗した歴史的な成功例として、彼女はいくつかのプロジェクトを挙げている。ここでは主にウィリアム・エドワード・バーグハード・デュボイス(米国で博士号を取得した最初のアフリカ系アメリカ人)のプロジェクトへの言及を紹介したい。
・たとえばW.E.B.デュボイスによる「Data Portraits」や、Ida B. Wellsによる「A Red Record」などのプロジェクトは、黒人への差別に偏っていた当時の情報経済に対して重要な介入を行ってきた。デュボイスのプロジェクトは、データの視覚化によって黒人に関する比較統計を示した
(注:このプロジェクトはデュボイスが1900年にパリ万博で展示したもので、手書きの図表やポートレートやグラフ、地図形式のデータなどが使われ、当時のアフリカ系米国人の置かれている状況が視覚的に示された)。
・またWellsのプロジェクトは、奴隷制度が正式に終了してから黒人に対して行われたリンチや超法規的な殺害数を追跡するものだった。これらは今日までの系譜の一部である。
・こういったカウンター型のデータプロジェクトは、情報をより広い文脈で考える道を提供する。その情報は常に不完全だが、それでも高品質であり、充分に信頼される文脈で表明されることにより、公共の利益に影響を与える。デュボイスの試みの場合、彼は単に「事実」と「データ」を展示したのではなく、特定の時間における特定の条件下での「証拠」を示した。それは(主に米国の外で)公表された証言となり、聴取の場を提供した。
そしてAmrute氏は、カウンター型のデータプロジェクトの「あるべき形」とソーシャルメディアの責任について、以下のように記している。
・カウンターデータプロジェクトは、その性質上「データ自体の不完全性を認識すること」に依存している。このような場合「ヘゲモニー的なデータ」と「その不完全性に関する実体験」との関係に根差してデータへの信頼が確立される。現代では、さまざまな根拠に基づき、時間をかけた協調的な取り組みを通して、「信頼関係を構築する文脈」を確立することができる。情報が生産される制度的な文脈を理解したうえで、その理解を活かしてコミュニティに貢献するデータプロジェクトが求められている。
・カウンターデータプロジェクトで利用されるデータは、どのような条件で、どのような相手に対して説得力を持つのか。基本的には信頼の問題となる。まず「どの情報が信用され、どの情報が信用されないのか」、そして「誰が(どのような情報源が)信頼に値する/値しないと見なされるのか」だ。
・情報の「真実性」は、情報のパフォーマンスを通して確立される。つまり、情報とは文脈の中で表明されるものであり、それがうまく伝達されるかどうかは文脈、情報を提示する主体、および情報がどのように受け取られるかによって異なってくる。それぞれは時間の経過とともに、これまで日常生活の中で発言されてきた他の発言に依存する。したがって、今日のカウンターデータプロジェクトでは、権力の変動する領域に組み込まれる、より大きな世界的文脈に情報を位置付けなければならない。
・情報は地球規模で広がる運動に関与しており、運動は相互に広がって互いに学び合うものだ。地域で起こる出来事は、世界中の国々で、特定の政治的アジェンダを推進するための文脈依存的に利用されることがある。たとえばイスラエルとパレスチナの紛争問題の情報は、国際的な規模で「地元の移民に対する議論」を引き起こし、他の文脈(国境の強化への訴えなど)にも取り上げられてきた。
・「歴史的で通過的な文脈」と「領土的で同時的な文脈」に関しては、言うまでもなく、ソーシャルメディアが大きな責任を負う当事者に含まれている。彼らは権力システムの継承者であるのと同時に、世界的に新しい権力関係を生み出す機関でもあることが示唆されている。ソーシャルメディア企業は、真実の裁定者としての権威を高める「集中した知識と権力の遺産」に基づいており、これらの企業は、異なった政治的、および認識論的なトレンドを結びつけ、集中させる領土的かつ世界的な地図を作り出している。
・今日まで、これらの問題への対処は主に「情報を使った活動のネットワーク」の特性へ焦点が当てられてきた。従来通りの報道機関に対する歴史的な不信感を解消することには、ほとんど注意が払われていない。
Amrute氏は「おそらく次の(米国大統領)選挙、およびそれ以降には、充分に良質な情報を作成し、また関係性を通じて信頼関係を再構築するプロジェクトが、新たな重要性として望まれるだろう」と予想する形で文章を終えている。
この論考で書かれたことは日本にもかなり当てはまる。日本では偽・誤情報の言葉の定義がまったく共有されていないし、するつもりもないという問題を抱えている。そのためニュースや政府の発表で目にする偽・誤情報の範囲について、受け手はそれぞれ異なる理解をしかねない。
これは偽・誤情報に限られず、広範な分野におよんでおり、非常に困ったことに国際的にクリティカルな領域にも及んでいる。たとえば昨今話題の能動的サイバー防御だが、そもそもNATO CCOCCDのレポートによればサイバーセキュリティ関連用語の定義では世界最低レベルだった。
そのうえ、日本では、なりすまし詐欺などまで含まれるようになるなど、偽・誤情報の範囲がどんどん広がってきている。さまざまな文脈が入り乱れて、会話すら難しくなっている。
欧米では信頼性を再構築するために必要な調査研究をすでに行う研究機関や専門家がいるが、日本には全くいないと言ってよいことが懸念材料だ。