国境を超えた弾圧が狙う「女性の人権擁護者」
Citizen Labは2024年12月2日、「No Escape – The Weaponization of Gender for the Purposes of Digital Transnational Repression」と題されたレポートを公開した。
Citizen Labはカナダのトロント大学に拠点を置く研究機関で、政治学、法学、コンピューター科学、地域研究などの手法を組み合わせた混合的なアプローチにより、オンラインで行われる検閲や人権侵害などの問題に取り組んでいる。今回のレポートは、「Digital Transnational Repression(以下DTR)」におけるジェンダー問題について研究したもので、とりわけ「亡命した、あるいはディアスポラに居住している女性人権擁護者に対する抑圧と、その影響」に焦点を当てたものになっている。
このレポートを読むためには、最初に「DTR」の概念を理解する必要がある。
そもそもDTRとは何か?
権威主義的な国家は、政治的な統制を他国に拡大するために「国境を越えた弾圧(TR:Transnational Repression)」をしばしば行う。たとえば亡命した反体制派の市民、あるいは出身国の政府に批判的なディアスポラコミュニティの居住者に対して行われる、暗殺や強制失踪などだ。このような弾圧は近年、世界中で増加傾向にあると報告されている。
それを広範に、かつ低コストに行うためにデジタルを採用したのがDTRだ。つまりDTRとは、国家(および国家に関連した存在)が、国外で自国を批判している人(あるいは反体制派にあたる国外の人々)を、デジタル技術で弾圧する行為を意味する。
たとえば世界中には、何らかの理由で祖国を離れた移民や、独裁的な政権から逃れるために難民となった人々が多数存在している。そのような人々の出身国が、新しい国で暮らしている彼らに対し、デジタル技術で監視や傍受を行った場合、あるいはオンラインでのハラスメントやDDoS攻撃を行った場合、それはDTRに該当する。いずれもデジタル技術の進歩により可能となった、新しい政治的弾圧の手法だと言えるだろう。
DTRは、これまでにも複数の国々(主に独裁傾向の強い国)で行使されたことが報告されている。2022年3月のLawfareに掲載されたレポート「The Effects of Digital Transnational Repression and the Responsibility of Host States」では、ロシア、中国、サウジアラビア、イラン、ルワンダなどが、それらの国々に含まれている。
今回の報告の趣旨
2010年からDTRに対する調査と研究を行ってきたCitizen Labが、今回の報告書で焦点を当てたのは「ジェンダーに基づくDTR」だった。とりわけ亡命者の、あるいはディアスポラの女性人権擁護者(※)に対して行われているDTRの実態やリスク、被害について大規模な調査を行い、その結果を詳細に記している。
女性に焦点を当てた理由について、Citizen Labは次のように説明している。
「我々は、この研究(DTRの研究)を進めるうち、とりわけ女性が『性別や身体、性的指向に関する侮蔑的なコメント、その他の脅迫を使って辱め、威嚇しようとする独特の形態の攻撃』に直面していると気づいた」
「本研究は、デジタル技術を利用した国家(および国家関連の存在)が、出身国の外に住む女性人権擁護者たちを弾圧するための手段としている『ジェンダーを武器とした具体的な手法』を調査することにより、越境的な弾圧と権威主義に対して行われてきた研究に貢献するものだ」
※この報告書では「女性人権擁護者(women human rights defenders)」という用語が使われているが、これは女性の人権活動家や専門家を示す言葉ではない。何らかの形で人権問題に取り組んでいる女性を広く示した言葉だ。つまりジャーナリストや研究者はもちろん、「私は人権擁護者だ」という自覚がないまま人権の問題に懸念を示してきた一般女性なども含まれている。
85人の女性人権擁護者たち
Citizen Labは今回、21歳以上の85人の女性(女性を自認する全ての人々。シスジェンダー、トランスジェンダー、および非二元性または性別多様性を自認する個人)の人権擁護者たちにインタビューを行い、彼女たちの実体験を基にして「ジェンダーに基づいたDTR」の問題を検証している。このインタビューに応じた女性たちの背景は様々で、出身国(母国)は24か国、受け入れ国(現在の居住国)は23か国だった。
回答者の出身国として最も多かったのはイラン (13人)と中国 (13人、うち新疆ウイグル自治区出身のウイグル人10人)。つづいて、ロシア、アゼルバイジャン (いずれも10人)だった。 受け入れ国で最も多いのは米国 (16人)で、ドイツ (15人)、英国 (11人)、カナダ (8人) がそれにつづいた。中には「受け入れ国も権威主義的な国家」(タイやアラブ首長国連邦など)という珍しいケースもある。
彼女たちは出身国を離れて亡命(または他国へ移住)し、出身国に関連したなんらかの政治、社会、擁護活動などに関わっており、国家(または国家関連団体と思われる者)からデジタル技術を通じて標的にされている、または標的にされたと考えている人々だ。
彼女たちが経験した「ジェンダーに基づくDTR」の主な内容
〇標的に使用された技術や手法
彼女たちに用いられた弾圧の具体例として、以下のようなものが挙げられる。
・監視…ソーシャルメディアを通した日常活動の監視、あるいはソーシャルネットワークに関する情報収集など。
・傍受…電子機器やソーシャルメディアアカウントなどのハッキング。これにはフィッシング攻撃や、スパイウェアの利用を伴ったケースも報告された。
・脅迫、名誉棄損、嫌がらせ…オンラインでのハラスメント、虚偽情報/歪曲情報の拡散、オンラインでのハラスメントや脅迫で標的を沈黙させようとする、あるいは標的の信用を失わせようとする試み。
監視や傍受は通常、攻撃に利用するための情報収集を目的として行われるが、この調査では「監視のパフォーマンス自体が抑圧の手段として機能した例」も報告された。米国で活動しているイラン人とアゼルバイジャン人のジャーナリストによれば、彼女たちが出身国の人物と通話をしている最中に、「呼吸音やその他の雑音」を耳にしたという。それは攻撃者の不注意で入ってしまった雑音ではなく、特に「政治的動機による逮捕や、警察による拷問」などのデリケートな問題について相手と話しているとき、「監視が続いている」ことを示す意図的なジェスチャーだったと、回答者の一人は考えている。
ハッキングやスパイ行為の試み以外にも、ソーシャルメディアプラットフォームの通報やコンテンツモデレーションのメカニズムを悪用して、ソーシャルメディアのアカウントをブロックする(または制限する)行為についても広く言及された。たとえば「ガイドライン違反を大量に通報」するという典型的な手法。あるいは「ヘイトスピーチやポルノを拡散しているという嘘の通報」で一時的なフラグ付けやブロックに追い込まれるケース(攻撃された側はユーザーサービスに連絡することで復帰できるが、通常の状態へ戻るために時間と労力が費やされる)が報告された。
また2人のイラン人女性は「Instagramのページが突然、数万件の偽アカウントにフォローされる」という攻撃について報告した。この攻撃により、彼女たちのアカウントは「フォロワー数が非常に多いにも関わらず、視聴者のエンゲージメントは低いアカウント」となり、ニュースフィードでのランクが下がったため、もともと彼女たちをフォローしていたフォロワーのアカウントにコンテンツが表示されなくなった。
これらの弾圧の多くは、一般的なDTRに用いられる技術や手法と重なっている。ただし今回の調査と研究は、主に「脅迫、名誉棄損、嫌がらせ」の部分へ焦点を当てている。
〇彼女たちに特定された加害者と、その攻撃手法
・彼女たちが特定した加害者には、政府関係者、国家に支援されてトロール行為を行っている者、偽アカウントを使用している者、現政権の支持者などが多かった。それらの人々に加えて「ディアスポラコミュニティの中にいる、愛国主義者やミソジニストの人々」も攻撃者に含まれていた。
・「軍への徴兵を逃れて国外へ脱出したい人」を支援しているロシア人の女性活動家たちは、「支援を求めている同胞のふりをして、どうにか彼女たちの居場所や連絡先を探ろうとする人々」から頻繁に連絡を受けていた。
・またタイに拠点を置いているミャンマー出身の活動家によると、ミャンマー軍は「国内で逮捕した活動家のデバイスやアカウント」を使用し、国外の活動家になりすましてZoom会議に侵入していた。
〇弾圧のジェンダー的な側面
彼女たちは性的な中傷、ハラスメント、ソーシャルメディアでの下品なコメント、詳細な性的妄想を含んだメッセージ、レイプの脅迫、標的の私生活に関連した攻撃など、ジェンダー的な側面を持ったオンライン攻撃と脅迫に晒されていた。
具体的にはどのようなものだったのか。たとえばイラン人の回答者の一人は、彼女に対する性的暴行の話だけに終始し、「お前には、それ以外に価値がない」と語るメッセージを大量に受け取った。彼女は自分を守ろうとしたものの「すべてをフィルタリングすることは不可能だった」と話している。
またウイグル人の回答者の一人は、中国語が堪能であるにもかかわらず、中国語で性的な侮辱を受けた際に「これまで聞いたことさえないほど(ひどい)言葉だったため、理解できなかった」という。「そのような言葉が、他の多くの人々に公然と示されたことが恥ずかしかった。それは戦略だったと思う。性的暴行と同様に『身体を汚されること』は女性を最も傷つける手法のひとつだ。彼らはそれを正しく理解している」
〇ジェンダーに基づくDTRの動機
このような攻撃は「国際的に注目を集めている女性人権擁護者」を標的としたものが多かった。彼女たちは自分が経験した脅迫と、母国政府の権力濫用や人権侵害に関する活動との間に直接的なつながりを見出している。
たとえばオンラインで「母国における国家の検閲や家父長制の規範」に異議を唱えた女性たちも、攻撃の標的となっていた。出身国の政府職員から「家族がいる前で『人権』について発言するのをやめるように」と圧力をかけられた回答者もいた。
「それらは家父長制の考えを深く反映し、女性が政治や社会問題について発言する能力を否定しようとするものだった」とCitizen Labは説明している。
〇身体的危害の脅迫
回答者の多くは自分自身や家族、特に子供に対する身体的危害の脅迫を経験したと述べている。とりわけ「まだ出身国に住んでいる家族や知人」に関する脅迫は広く報告された。
「国外での活動に対する報復」として、出身国にいる彼女たちの近親者が脅迫されたり、警察に召喚されたり、失職したりしている。このような代理処罰は「中国の強制収容所に愛する人が収容されること」を不安視するウイグル人の活動家にとって、特に恐ろしいものだった。
彼女たちが語った「ジェンダーに基づくDTR」の悪影響
・精神面/生活面での影響
これらの弾圧を受けた女性たちは疲労、ストレスや不安、不眠、鬱などに見舞われただけでなく、彼女たちの社会関係も大きく変化させられてきた。たとえば家族やパートナーとの関係の悪化、あるいはディアスポラコミュニティやオンラインコミュニティに蔓延した不信感により、彼女たちは孤立してしまう傾向があった。
・活動面や仕事への影響
中傷活動の標的となった女性は、活動や仕事に与える悪影響(特に評判や信頼を損なうもの)を恐れ、多くは「活動を続ける価値があるかどうか」を疑問視するようになっていた。また彼女たちの精神状態の悪化は、日常業務の生産性に支障をきたしており、一時的な撤退を余儀なくされた女性たちもいた。
彼女たちは「自分が攻撃されている」という事実について、「これまでの自分の活動が、母国の政権に影響を与えていることを示す兆候」であると見なしていたものの、それに伴うリスクを考えて対応しなければならなかった。たとえば監視や盗聴を避けるために集会への参加を断念したり、公の場で発言する代わりに調査や執筆、舞台裏での組織活動に従事したり、小規模で信頼できるサークルの人とだけ交流することを選んだ女性もいた。
彼女たちが講じた「ジェンダーに基づくDTR」への対策と、その問題点
彼女たちは、これらの攻撃で受ける被害を軽減するための対策を講じていた。たとえばデジタル衛生を向上するためのさまざまなツールや実践を導入した。しかし、それらの安全対策に費やされる時間や費用は、彼女たち自身が背負わされてきた。彼女たちはオンライン環境のリスクを常に評価し、セキュリティやその他の保護対策を改善する解決策を見出すために、時間や労力を削られていた。
また心理的な被害を軽減するため(たとえば精神的な回復力を構築し、精神衛生に配慮するため)、彼女たちは家族や友人、仲間によるサポートを求めた。そのような対応には感情的、社会的、職業的なコストが伴うため、かなりの労力とリソースが必要とされたと回答者たちは語っている。彼女たちの多くは「自身の受け入れ国(現在の居住国)による支援」を求めていたが、充分な支援を受けることはできていなかった。そのため彼女たちの多くは、居住国の警察機関に事件を報告するメリットがあるのか疑問を抱いていた。
「このギャップ(求めている支援と得られる支援のギャップ)は、ジェンダーに基づく脅迫の標的となった女性の場合、さらに大きくなる。なぜなら法執行機関は『そのような攻撃の政治的動機』を、あるいはオンライン虐待の被害者の救済に必要な『ジェンダーと人種に対する配慮』を、しばしば理解していないからである」とCitizen Labは説明している。
Citizen Labが提示した勧告
この報告書の中で、Citizen Labは「ジェンダーに基づくDTR」に対処するための勧告を行っている。
〇受け入れ国への推奨事項
・亡命中の(またはディアスポラにいる)女性人権擁護者のためのグループカウンセリング、個人カウンセリングのサービスの促進、コミュニティ支援グループとのピアツーピア学習の機会の開発
・ジェンダーに特化した攻撃に対応するためのデジタルセキュリティトレーニングの提供
・関連機関 (法執行機関など) における、国境を越えた弾圧やDTRに特化したトレーニングの実施
〇ソーシャルメディアのプラットフォームへの推奨事項
・DTR、およびジェンダーの側面に特化する形で対処したコミュニティポリシーとガイドラインの制定
・亡命中の(またはディアスポラにいる)女性人権擁護者と交流のある組織との協力体制(たとえば彼女たちの苦情を直に受け付けるなど)
・DTRに特化した報告チャネルの開発
・国外にいる女性人権擁護者などの「高リスクとなる標的」に向けた特別プログラムへの投資
・国による「ソーシャルメディアのプラットフォームを悪用する手法」の調査、および独立した研究者たちとのデータ共有
〇受け入れ国における市民社会組織への推奨事項
・亡命中の女性人権擁護者の社会的な孤立に対処し、彼女たちの間でのピアツーピア学習とグループの回復力を促進するための、コミュニティサポートネットワークの促進
・カウンセリングサービス、デジタルセキュリティトレーニングの提供、および法的支援の調整
・「出身国によるDTRの事例を、受け入れ国の法執行機関(または他の政府機関)に報告したいと望む女性人権擁護者」に対する、情報やサポートの提供
結論
・ジェンダーに基づくTDRの実態について
Citizen Labは次のように語っている。
「ジェンダーに基づくDTRは、女性を公共の場から追い出し、社会参加や政治参加を阻害することを目的としている」
「女性蔑視は、出身国の政府を批判し説明責任を求めている女性たちを黙らせ、処罰するための強力な手段となっている」
「権威主義的な政府は、家父長制の規範とジェンダーを利用し、国境の外にいる批判者や反対者への脅威を拡大し、増幅している」
つまり権威主義的な政府は、DTRの活動を通して「国外で政治的な活動をしている女性への敵意」をも煽っている。その結果、彼女たちを攻撃するのは政権関係者のみに留まらず、現政府の支持者、排外主義的な他の国外在住者、反政府勢力のメンバーなどにも広がっている。
「No Escape」というレポートのタイトルのとおり、多くの女性にとっては気の滅入るような報告だろう。しかしCitizen Labは、研究に参加した女性たちについて次のようにも語っている。
「これらの圧倒的な課題にも関わらず、デジタル脅威や暴力の絶え間ない猛攻撃に晒されてきた彼女たちの『回復力と主体性』は、どれほど強調しても足りないほどだ。彼女たちの多くは活動を続け、ジェンダーに基づく多面的なDTRに抵抗するための革新的な戦術を開発してきた。彼女たちは攻撃を緩和して対処し、自分自身、同僚、家族を守るため、(感情的、社会的、経済的、職業的に)重要なリソースを動員してきた」
・ジェンダーに基づくDTRの問題点や対策について
Citizen Labは、「敵意と不安の環境を作り出し、亡命中または国外にいる女性人権擁護者の根幹的な人権を侵害するDTR」の問題に取り組むために、「現在のデジタル環境で蔓延している、女性に対する敵意、虐待、攻撃に対抗するためのさまざまな関係者との協調した取り組みが必要だ」と記している。
また現代のオンライン環境については、ソーシャルメディアプラットフォームにおけるビジネス優先の運営や、人権擁護活動家に対するスパイウェアの行使などが慣行となっており、それらがDTRを歓迎する環境になっていると指摘した。
Citizen Labは、この研究結果が次の結論を示唆したものであるとして、74章81ページにも及ぶ長い報告書を締めくくっている。
「受け入れ国とソーシャルメディアプラットフォームには、亡命した、およびディアスポラに住んでいる女性人権擁護者たちを、ジェンダーに基づくDTRと、より一般的な越境抑圧から守り、この弾圧のジェンダー的な側面を認識して、具体的に対処しなければならないという差し迫った義務がある」
このレポートの全文(PDF)は、ここからダウンロードすることができる。