偽情報エコシステムが操るラテンアメリカの言説空間

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2024年12月のシリア大統領バッシャール・アル=アサド(Bashar al-Assad)のロシアへの逃亡劇は、アサド家の二代にわたる権威主義的な統治の終焉を告げるものだった。「王朝」とも称された支配は半世紀以上に及び、その期間に約50万人の命が奪われた。

アサド政権の崩壊の余波は、中東情勢の流動化の加速だけでなく、地理的に遠く離れたラテンアメリカ世界にも及んだ。中国やロシアのような大国、あるいはキューバやベネズエラといったラテンアメリカ諸国と比べれば小規模だが、アサド政権もまた、ラテンアメリカに根を張る偽情報ネットワークを巧みに利用し、人びとが好む大義につけ入るように効果的なナラティブを差しはさんで、隠微な影響力を浸透させていたのである。

アトランティック・カウンシルのデジタルフォレンジック・リサーチラボ(DFRLab)は、アサド政権がラテンアメリカで展開した偽情報キャンペーンや、偽情報ネットワークとの協調戦術についてレポートしている。
それはまた、ラテンアメリカを含むグローバルサウスにおける言説空間の形成に関して、グローバルノースの「思い込み」に注意を喚起するものでもある。

目次

ラテンアメリカに入り込んだ、アサド政権の偽情報戦術

アサド政権は、ラテンアメリカの偽情報ネットワークに参入するにあたり、キューバ、ニカラグア、ベネズエラといった権威主義の国々との協力関係を利用した。メディア戦略の中心となったのは、SANA(国営シリア・アラブ通信)で、他の言語とともにスペイン語でも毎日コンテンツを制作していた。SANAはまた、Facebook、YouTube、Telegram、Twitterなどのさまざまなソーシャルメディアプラットフォームを積極的に活用し、プロパガンダの拡散に努めてきた。

SANAは、キューバの通信社プレンサ・ラティーナ(Prensa Latina)や、ベネズエラの放送局テレスル(TeleSur)など、独裁政権に仕えるラテンアメリカのメディアと協定を結ぶ。その目的は、コンテンツの流通量を増やし、彼らが「大手メディアの独占によって生み出された偽情報」と呼ぶものに対抗することにあった。
こうして生まれたコンテンツの1つが、2016年のドキュメンタリー『Siria Resiste(Syria Resists)』である。これは「西側のメディアはシリア内戦を誤って伝えている」と非難するもので、当時プレンサ・ラティーナの特派員だった監督のミゲル・フェルナンデス・マルティネス(Miguel Fernández Martínez)は、現在はロシアの偽情報プラットフォームであるスプートニク(Sputnik)と手を組んでいる。

2017年10月、プレンサ・ラティーナ副社長のエクトル・ミランダ(Héctor Miranda)が、キューバ大使館員などを伴い、シリアの首都ダマスカスを訪問した。SANAとのパートナーシップを更新するためである。これによって、プレンサ・ラティーナは専用プラットフォームでホストされるSANAの記事をスペイン語に翻訳して提供し、シリア政権のメッセージを増幅させる片棒を担ぐようになった。CubaDebate、CubaSi、Granma、Nodalといった媒体のキューバの偽情報エコシステムを通じて、アサドの意向が反映されたナラティブが、ローカルにもグローバルにも広められていったのである。対するSANAも、キューバ政権に好意的な報道をアラビア語とスペイン語で提供して、シリアとキューバの互恵的な友好関係を強調した。

ベネズエラでも同様の戦略が用いられた。テレスルは視聴者向けに親シリアのナラティブを与えるだけでなく、2013 年と 2017 年には、アサドへのインタビューを通じて、彼の直接のメッセージを放送した。見返りとして、SANA はベネズエラの元大統領ウゴ・チャベス(Hugo Rafael Chávez Frías)や、彼から政権を継承した大統領ニコラス・マドゥロ(Nicolás Maduro Moros)を称賛するコンテンツを制作した。

シリアの言説が増幅され、より大きな「分断」が準備される

権威主義的な同盟国と連携して行う偽情報拡散の地域的な取り組みと並行して、シリア政権の言説は、国際的なプラットフォームを通じてより広範に届けられた。スペイン語とポルトガル語で放送されているスプートニク、ロシア・トゥデイ(Russia Today)、新華社(Xinhua News Agency)、ヒスパンTV(HispanTV)などのチャンネルは、アサド大統領のメッセージを増幅させ、その射程を強化し、ラテンアメリカの親シリア政権のナラティブの中に埋め込んだ。

SANA はラテンアメリカの読者や視聴者の信頼を築くために、偽情報戦術の王道も用いている。スペインの雑誌と協力し、アサド政権を地政学的分断や西側の偽情報の反作用として位置付けるパブロ・サパーグ(Pablo Sapag)のようなスペイン語を話す学者を特集した。このプラットフォームはまた、チェ・ゲバラことエルネステ・ゲバラ(Ernesto Guevara)の娘アレイダ・ゲバラ(Aleida Guevara)などラテンアメリカの著名な左翼の知名度を利用して、メッセージの届く距離と説得力を強化した。

SANA は 2019 年 12 月に X (旧 Twitter) 上でスペイン語での投稿を開始し、約 49,000 人のフォロワーを獲得した。2022 年以降、SANA のラテンアメリカ視聴者向けのコンテンツは主にシリア、ロシア、イスラエル、ウクライナ、パレスチナ、米国という 6 つの主要な主体に焦点を当ててきた。

想像された通り、SANA はアサド政権を外部の読者や聴衆に宣伝し、正当化する手段として機能した。「アサド政権がシリアを再建し、国民の和解を促進し、正常な暮らしを回復している」と謳うのが、その支配的なナラティブである。このメッセージはまた、国内で依然として暗躍する「テロリスト」の活動によって、政府と国民の安定がいかに脅かされているかを強調するものでもあった。
イスラエルとパレスチナ、あるいはイスラエルとレバノンとの紛争は、SANA にとって最も多くの視聴者エンゲージメントを生み出す材料だった。しかしそれは極めて偏った内容で、一貫してパレスチナ人をイスラエルによる侵略の犠牲者として描いていた。一例を挙げれば、2023年10月7日にハマスがイスラエルに侵入し、殺害、誘拐、性的暴行を行った際、SANAはこれらをパレスチナ人の「抵抗行為」とした。ガザの人道危機にあっては、SANAはラテンアメリカの地域的な団結を利用して、パレスチナの大義に対するシリア政権の支援を強調した。

注目すべきは、ラテンアメリカ全土にロシアのプロパガンダを広めるためのプラットフォームの写しとしてのSANAの役割も浮き彫りになったことだ。しばしばSANAはロシアのナラティブを統合し、増幅させて伝えている。それらはウクライナ侵略に関する偽情報や、EUやNATO、米国による制裁の「犠牲者」としてロシアを宣伝するものだった。また一貫して、米国を世界に混乱をもたらす大国として特徴付け、主権国家を侵略し、制裁を課し、イスラエルの軍事作戦を支援し、民間人を殺害し、テロ集団への資金提供を通じてシリアの安全を損なっていると非難していた。

スペイン語圏の視聴者をターゲットにしたシリアの偽情報キャンペーンには、幾つかの重大なポイントが見てとれる。
まず第一に、財源が限られた小さな権威主義的国家においても、国際的に偽情報を広めるプロパガンダの枠組み構築がいかに優先順位の高いものであるかが、如実に示されている。
第二に、各国の政権がいかに相互協力のもとナラティブを増幅させて現実を歪曲し、政権の正当性が問われる問題から人びとの注意をそらしているかも明確になっている。
第三に、この調査結果は、偽情報キャンペーンがシリアを地域の民衆運動の支持者として位置づけ、ターゲットの支持を得ようとしていたことを示している。アサド政権は、汎アラブ主義の放送局アル・マヤディーン(Al-Mayadeen)など国際報道機関への支配と並行して、他の独裁国家が創設した既存の地域偽情報エコシステムからの恩恵も受けていた。
最後に、シリア政権がこの地域で邪魔されずに作戦を続けられたのは、ラテンアメリカ各国が消極的な姿勢にとどまり、偽情報によってもたらされる脅威を認識できなかったからということも分かる。

シリア政権とより広範な偽情報エコシステムから生まれた、巧妙に整えられたナラティブ。これらの物語は、反帝国主義、反アメリカ、反イスラエルのレトリックに彩られ、国家主権に強いアクセントを置くもので、対外的な制裁や圧力を非難してオルタナティブな政治や経済の秩序を主張する。そして、資本主義的で覇権的な支配に対抗する手段として、グローバル・サウスの団結を強調するのである。

アサド政権の偽情報戦術の痕跡を通して、ラテンアメリカ世界の言説形成を理解する

DFRLabのレポートは、「術策を弄したにもかかわらず、シリア政権のプロパガンダは一部にしか浸透せず、アサドの失脚は多くのメディアや政治家、そして一般大衆に広く歓迎された」と締めくくられている。
だがこの調査を、「アラブ諸国の最後の独裁政権の、ラテンアメリカでの局地的な情報戦」としてのみ受け止めてはならない。ラテンアメリカでは、グローバルノースの想像力がなかなか及ばないかたちで言説空間が構築されている。たとえば、ロシアの偽情報ネットワークは、ラテンアメリカで大きな影響力を持ち、ウクライナ侵攻以降、ロシアの軍事行動の正当性や優位性を刷り込んでいる。スペイン語のニュースではCNNが最大の配信ネットワークだが、それに次ぐのはEl País と Infobaeとなっている。いずれもロシアのプロパガンダメディアである。

そして、ロシアなどによるデジタル影響工作が道筋をつけたより大きな潮流として、グローバルノース主流派とグローバルサウスの溝が深まりつつある。多様性に満ちたグローバルサウスにおいて、ノース主流派への不信感や反発をテコに、ひとつにまとまろうというはたらきが生じている。
DFRLabのレポートにも、「シリア政権が他国の偽情報エコシステムを利用するなかで、シリア一国を正当化するプロパガンダを超えて、グローバルサウスの結束を強める言説が形成され、グローバルノースとグローバルサウスの対立の尖鋭化が準備された」という警告があったことが改めて想起される。
グローバルノースの文化圏内の情報だけに触れていると、巨大な盲点が生じる。端的にいえば、世界の半分以上はウクライナを支持しているわけではないという素朴な事実に、何度でも立ち返る必要があるだろう。

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この記事を書いた人

ビジネス系週刊誌ライターや不動産情報サイトのコンテンツ制作など、編集・執筆業務に25年以上従事。サイバーセキュリティ領域の動向を、旧来の「知」がテクノロジーの進化で変容・解体されていく最前線として注視しています。

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