司法の枠を越えた監視技術 米当局が利用するClearview AI

米国の非営利団体によるニュースメディア「Mother Jones」は2025年4月7日、米連邦機関で利用されている顔認識技術「Clearview AI」と極右的なイデオロギーに関する調査記事を掲載した。この記事は、Clearview AIが抱えている危険性、およびサービスを提供している同社の背後にある極右的思想について深く掘り下げたものだ。
The Shocking Far-Right Agenda Behind the Facial Recognition Tech Used by ICE and the FBI – Mother Jones
https://www.motherjones.com/politics/2025/04/clearview-ai-immigration-ice-fbi-surveillance-facial-recognition-hoan-ton-that-hal-lambert-trump/
Clearview AIとは?
2017年に創立された米国企業「Clearview AI」は、ウェブサイトやソーシャルメディア、動画配信サイトなどから数十億単位の画像を「無断で」収集して開発した顔認識技術のサービスを提供している。世界最大級の顔認識データベースを構築する同社の活動に対しては、プライバシーの侵害や社会的不平等を助長するものだとの批判が世界中から寄せられており、また同社は数多くの法的課題にも直面している。
Clearview AIの問題点については、TDAI Labが非常に簡潔な文章でまとめた記事を読むのが手っ取り早いだろう。
AI技術のタブー:顔認識技術とClearreview AI
https://note.com/tdailab/n/nabf191bed795
この悪評高いClearview AIの技術は現在、ICE(移民税関捜査局)やFBIを含めた米国の政府機関で広く利用されている。Mother Jonesの記事は、そんなClearview AIの技術が「トランプ政権下の米国で、どのように利用される危険性があるのか」という懸念に焦点を当てている。
この記事を執筆したルーク・オブライエンは、Clearview AIの活動を長年追ってきた人物だ。彼は今回、業界関係者へのインタビューや裁判記録、数千件のメールやテキストメッセージ、その他の記録(ICEの内部通信を含む)に基づいた新たな調査結果をまとめている。
創始者ザットとイデオロギー
オブライエンの報告によれば、Clearview AI共同創業者のホアン・トン・ザットは、自身を「ベトナムの王族の末裔」だと主張しているオーストラリア出身の男性だ。いわゆる「ダークエンライトメント(暗黒啓蒙/NRx)」運動の影響を受け、極右思想や反民主主義的思想に大きく傾倒している。ネオナチの提唱者や白人至上主義者とも交流がある彼は、自らも人種、IQ、階層構造に基づいた優越性などを論じており、テクノクラートによる支配を理想としている。あまり日常会話では使われないような言葉が続いてしまったが、一言でいうなら「金甌無欠の徹底した差別主義・反民主主義」とも表現できるだろう。
19歳で大学を中退し、テクノロジー関連のキャリアを積むため2007年にサンフランシスコへ移住したザットは、極右的かつテクノクラート的な社会観を掲げるシリコンバレーの新反動主義者たちと親しくなっていった。「顔認識の技術を利用して、特定の人々を国外へ排除できないか」と考えるようになった彼は、極右の団体や個人との協力関係を構築しながら、移民や有色人種、左派勢力に対抗するための手段として自社の技術を利用することを提案している。(※)
つまり同社の技術は「差別を助長する可能性があるのではないのか」などといった問題以前の話として、もともとそのようなイデオロギーを持った人々が、理想を実現するために開発してきたものだった、と考えられるだろう。
※ここで念のために確認しておくと、ザット本人は「テクノロジー業界で活躍したい」という野望を持ち、自らの意思で米国へ渡った人物だ。さらにベトナム王族の末裔を主張している(その信憑性はさておき、ルーツがベトナムだと言われても特に違和感のない容姿の)人物なので、「良い仕事を求めて米国に押しかけた有色人種の移民」である。つまり彼が蛇蝎のごとく憎悪し、排除を望んでいる対象そのものに彼自身が該当するはずなのだが、その点について彼がどのように考えているのかは、いくらオブライエンの報告を読んでもよく分からなかった。ひょっとすると「王族の末裔だから自分だけは特別」なのかもしれない。
ザットが提案していた「Clearview AIの利用法」
Clearview AIはオンラインで収集した膨大な画像を分析し、すべての個人の「フェイスプリント」を生成する。このフェイスプリントを利用して、対象者の顔写真をデータベースと照合し、対象者と一致する画像や、リンクする情報(ウェブページなど)を利用者に提供することができる。この技術は米国の移民の管理、および法執行機関による監視に利用されてきた。
ザットは2017年(第一次トランプ政権下)、米国の国境の警備カメラに自社の顔認識技術を統合するための提案を行った。国境を越える移民の顔画像を顔認証技術でマグショットと比較することにより、その人物に逮捕歴があるかどうかを確認するという内容だったのだが、その提案には「対象者が米国に対し、どのような感情を抱いているのか調査する」という構想も含まれていた。より具体的には、国境に到着した移民と繋がりのあるソーシャルメディアの情報をスキャンし、『トランプが嫌いだ』『トランプはクソ野郎だ』などの投稿の有無を確認するという方法で、「極左グループへの親近感を持つ者」を標的とすることを提案していた。
つまりClearview AIの技術を利用すれば、対象者と何らかの関係があるオンライン情報(SNSの投稿やブログを含む)を照合することにより、その標的の宗教的/政治的な思想、家族や友人や恋人、セクシュアリティ、人種などをプロファイリングできるということになる。
ここで特に恐ろしいのは、Clearview AIの顧客である米国の法執行機関が「捜査令状を取得することなく」その技術を好きなだけ利用できるという点だろう。米国の憲法は不当な捜索を禁じているため、本来であれば裁判所が「特定の対象の捜査」を許可しないかぎり、法執行機関は捜査を行うことができない。しかし「この人物を逮捕したい、国外追放したい」とClearview AIの顧客が望んだ場合、顔認識の技術を利用して対象者のプロファイリングを行い、逮捕や国外追放の根拠を探せる(あるいはこじつけられる)ということになるだろう。このようなツールの利用は、米国の憲法が定めた信教の自由に反する可能性があるだけでなく、「三権分立の崩壊を招くもの」と表現できるかもしれない。
Clearview AIとトランプ政権の親和性
言うまでもないことだが、ザットはトランプの熱烈な支持者である。彼が育ててきたClearview AIは、大規模な強制送還計画、あるいは政権に敵対する勢力への報復活動を急速に推し進めている第二次トランプ政権にとって、非常に使い勝手の良い技術となるだろう(元来そういった目的で作られたツールであるなら当然の話だ)。
今回のMother Jonesの記事は、監視技術の利用に対する法的/倫理的な制約が、第二次トランプ政権下で緩和される可能性について強い懸念を示している。今後のClearview AIが米国で新たな顧客を増やすだけでなく、すでに顧客となっている機関がこれまで以上に監視活動を拡大できる可能性もある。たとえばそれは「移民税関捜査局が入国希望者と犯罪データベースを照合する」といった業務だけではなく、ただ政府への抗議デモに参加しただけの人物、あるいは特定の宗教の関連施設を訪問している人物、あるいは左翼的な思想を持った活動家などを標的に、あらゆる目的で利用される可能性があることをオブライエンは懸念している。
この記事は、Clearview AIの新共同CEO、ハル・ランバートの話題にも触れている。ランバートは共和党の献金者リストの中でもトップクラスに入るほどの人物で、トランプ大統領の資金調達の第一人者でもあり、2016年のトランプ大統領の就任式にも参加している。前回の米国大統領選における「盗まれた選挙」などの陰謀論を支持しているランバートは、大量国外追放や反移民を推し進めるトランプ新政権との「好機」に期待しており、新政権の取り組みを支援していきたい、という意向をフォーブス誌上で堂々と表明している。彼によれば、すでに同社は国防総省(DoD)や国土安全保障省(DHS)を含めた複数の政府機関と積極的に対話を行っているという。
CEO Of Facial Recognition Company Clearview AI Resigns
https://www.forbes.com/sites/davidjeans/2025/02/19/clearview-ai-ceo-resigns/
そして今回マザー・ジョーンズが入手した文書によると、ランバートは「左派勢力を倒すために」Clearviewのツールを活用したいという自らの願望をメールで語っている。そのメールは「共産主義の学術界の左派」を非難しており、また同社の技術を使って選挙不正の陰謀論を証明したいという意向も記されていた。
オブライエンによれば、少なくとも表向きは法を重視するような態度を示してきたザットと異なり、新共同CEOのランバートはより明確に左派や学術界への憎しみを募らせているようだ。彼はバイデンが当選した前回の大統領選のあと、共和党が虚偽の主張を行った際、その主張を裏付けるために行われた非科学的かつ不正確な「有権者データの分析」にも協力している。
Mother Jones編集長のクララ・ジェフリーは、今回のオブライエンによる記事について次のようにコメントしている。
「過激派が設計し販売する顔認識技術が、権威主義的な衝動を持つ政権に導入されるなら、それはすべての米国国民が懸念すべきことだ」
https://www.motherjones.com/press-releases/clearview-ai-far-right-ties/
Clearreview AIが直面してきた法的課題
繰り返しになるが、今回のMother Jonesの記事は「Clearreview AIのイデオロギーとトランプ政権」に焦点を当てている。というよりも、ザットを中心としたClearview AIの関係者たちが、どのような経緯でどれほど極端な思想に傾倒していったのか、どのような交流や資金調達を経て現在の立ち位置を確立していったのか、今後どのように活動する意向があるのかという説明に誌面の大半が割かれている。したがって、これまでClearreview AIが直面してきた具体的な訴訟や批判は詳しく語られていない。そのため「そもそもなぜClearreview AIのようなサービスの運用が許可されているのだ?」と不思議に思う人もいるだろう。
端的に言えば、Clearreview AIは決して広く認められているものではない。その存在と活動が報じられた2020年以降、Clearreview AIはオーストラリア、カナダ、フランス、ドイツなど多くの国や地域で非難され、また複数の機関から訴えられ、違法の判定を受けて巨額の罰金の支払いを命じられてきた。以下はほんの一例となる。
・カナダのBC州は2025年1月、本人の同意なく生体情報を収集する行為を「個人情報保護および電子文書法(PIPEDA)」に違反するものと結論づけた。B.C.州の最高裁判所は同社に対し、BC州の個人の画像を同意なく収集することを禁止し、既存のデータの削除も命じた。
https://www.lexpert.ca/news/technology-health-sciences-law/bc-supreme-court-orders-clearview-ai-to-stop-collecting-images-of-individuals-in-bc-without-consent/390565
・イギリスの情報コミッショナー事務局(ICO)も2022年、Clearview AIの「同意がないまま顔画像を収集する行為」をデータ保護法の違反と判断し、同社に罰金750万ポンドの支払いを命じた。こちらも英国市民のすべてのデータを削除するよう命じている。
https://www.technologyreview.com/2022/05/24/1052653/clearview-ai-data-privacy-uk/
・Clearview AIはイギリス以外にも、複数の欧州連合(EU)諸国で「EU一般データ保護規則違反」の判断を受けている。オランダのハンブルクデータ保護局(DPA)は2021年、「本人の同意なしに顔画像を収集した」としてClearviewに3,050万ユーロの罰金を言い渡した。
https://news.bloomberglaw.com/privacy-and-data-security/clearview-ai-data-processing-violates-gdpr-german-regulator-says
・米国イリノイ州では2022年、ACLU(アメリカ自由人権協会)を中心として、イリノイ州の公共利益研究グループや市民団体がClearview AIを相手に集団訴訟を起こした。この訴訟は「バイオメトリック情報プライバシー法(BIPA)」の違反を訴えたもので、同社はClearview AIの活動の違法性を認めはしなかったものの、5000万ドルの和解金の支払いに応じ、また「今後5年間、イリノイ州内の政府機関へのデータ提供を停止する」などの和解条件に同意した。
https://therecord.media/clearview-ai-illinois-class-action-lawsuit-settlement
ちなみに現在、Clearview AIが無断でオンラインから収集した画像の数は「数十億」として報じられている。しかし数年前には「数百億」という表記も見られた。それは数々の命令や和解案に従った同社が、データを削除したことの現れなのかもしれない。
今後のClearview AI
上記の例でも分かるとおり、欧州諸国やカナダには包括的なデータ保護規則(たとえばGDPRやPIPEDA)がある。しかし米国には、連邦レベルの確固としたデータ保護の枠組みがない。そういった法を有するイリノイ(バイオメトリック情報プライバシー法)、カリフォルニア(消費者プライバシー法)のような州は一部であるため、それ以外の多くの地域では、いまでもClearview AIが政府機関にサービスを提供することができる。それは「安全のために」「テロ対策のために」「犯罪の取り締まりのために」利用できる素晴らしいツールとして、また犯罪を効率よく解決できる魅力的なツールとして、米国の多くの機関に利用されている。しかし、そのツールを誰がいつどのように利用しているのか、また誰を標的として利用しているのか、一般の市民が知る術はほとんどない。
Clearview AIは2017年から徐々に契約を増やしてきたものの、人権やプライバシーを重視しがちだったバイデン政権下の四年間は苦戦を強いられていた。また2020年以降は世界中から厳しい非難にも晒され、巨額の罰金の支払いを命じられてきた。そんな同社にとって、第二次トランプ政権は「やっと再来した俺たちの時代」に感じられるものだろう。
これまでにも法の支配を軽視し、行政権の限界を試すような活動を続けてきたトランプ政権下で、Clearview AIはどのように利用されるのか。移民はもちろん、特定の人種、特定の宗教に属する人々、デモの参加者、LGBTQの当事者や支援者、あるいは特定の政党の支持者などの個人を容易にプロファイリングできるツールは、様々な目的の監視や諜報活動に用いることができる。ひょっとすると我々やオブライエンが想像だにしなかったような、とんでもない活用方法がニュースで報じられる日が来るのかもしれない。