世界の大学のデータを握るTHEとQSの大学教育への影響力

現在の米国では「科学研究の学者たちに対するトランプ政権の抑圧」「研究資金の大幅削減と凍結」「研究テーマの閲覧と規制」」「学問の自由をかけたハーバード大の戦い」など、学術界の人々が寝込んでしまわないかと心配になるようなニュースが毎日のように報じられている。しかし今回は反知性主義的なトランプ政権の話題から少し離れて、「そもそも情報化社会における学術界の自律性は健全なのか?」という問題について論じた記事を紹介したい。
世界の高等教育に特化したオンラインニュースメディア「University World News(UWN)」は2025年3月19日、「Rise of data empires signals the end of academic autonomy(直訳:データ帝国の台頭が、学問の自律の終焉を告げる)」と題された記事を掲載した。この記事は「世界の大学ランキング」を提供する企業が、教育界の「データ帝国」として巨大な影響力を持つようになったことを伝えている。
Rise of data empires signals the end of academic autonomy
https://www.universityworldnews.com/post.php?story=2025031909283299
これらの企業は世界中の大学から膨大なデータを独占的に集め、大学のランク付けの枠を超えて教育分野のデータを管理し、分析し、活用している。彼らは現在、その分析結果に基づいて大学や政府に提言を行う「データ帝国」となり、それは教育機関の意思決定に対する影響力を急速に強めているという。
「世界中の大学が、ほんの一握りの民間データ企業にそっと自治権を明け渡しつつある。おそらく、高等教育の歴史上で最も重大な権力移行が生み出されている」と同誌は表現する。
データ帝国とは具体的にどのようなものか
・Times Higher Education(THE)
この記事で真っ先に名前を挙げられているのが、英国を拠点とするTimes Higher Education(THE)だ。いま盛んに報じられている「学術界とトランプ政権」のニュースを探しているうち、「赤と青のTHEのロゴ」を見かけるようになったという人もいるだろう。
https://www.timeshighereducation.com
Times Higher Educationは、もともと英国の『The Times』の姉妹紙から派生した教育専門誌で(1971年創刊)、英国の高等教育関連のニュースや論評を主に提供していた。しかし2004年に世界大学ランキングを発表してからは、「あのランキングを提供している企業」として世界中に知られる存在となり、いまでは高等教育関連のデータ分析、コンサルティング、教育関連のニュース配信、国際的なカンファレンスの開催など、多種多様なサービスを展開している
現在のTHEは、プライベート・エクイティ企業「Inflexion Private Equity Partners LLP」が所有している。従業員315名、年間収益9570万ドルの規模となったTHEは、最新のランキングで155か国、2860の機関から47万2694件のデータを集めている。
多方面に戦略的な買収を行い、自身の影響力を拡大しているTHEは、2023年に「Education World Forum(EWF・120カ国以上から教育/高等教育/スキル分野の大臣や政策担当者が一斉に集まる世界最大の教育大臣フォーラム)」を買収した。これによりTHEは、もはや世界中の高等教育機関だけでなく、世界の政府の教育政策にも直接的に関与する存在となっている。
・Quacquarelli Symonds(QS)
THEと同様に、影響力の高いランキングを提供しているのがQuacquarelli Symonds(QS)だ。こちらも英国を拠点としている。QSは、もともと留学を希望する学生のために情報提供やアドバイスを行っていた企業だが、2004年から2009年にかけてTHEと共同で世界大学ランキングの発表を開始した。THEとの提携を終えたQSは、独自の評価方法で「QS世界大学ランキング」を発表しながら、分野別ランキングや地域別ランキングなど、様々な切り口でのランキングも発表している。
QSもTHEと同様、教育関連のサービスやプラットフォームを扱う様々な企業を買収し、事業の多角化を進めてきた。いまではコンサルティング、データ分析、学生募集の支援、キャリア開発の支援などを提供する世界15拠点、従業員約900人の巨大組織となっている。
今回UWNの記事が特に注目しているのは、QSによる「HolonIQ」の買収だ。教育インテリジェンス企業のHolonIQを買収したことで、QSは教育産業の市場調査を行うためのAI搭載の先進的な分析プラットフォームを手に入れた。そして現在のQSは、Apple、Google、Microsoftなどの巨大IT企業、BlackRockやGoldman Sachsなどの金融機関、世界銀行、ユニセフ、ゲイツ財団などの国際的な機関の顧客リストも手に入れている。
データ帝国と高等教育機関の「非対称な関係」
UWNの記事によれば、世界中の大学では現在、このような企業から提供される情報や分析ツールを取り入れて学生の情報や学習データをデジタル化しているだけでなく、従来どおりの学術的な目的を持った意思決定から「データに基づいた経営戦略的な意思決定」へと大きく方向転換しているようだ。この非対称な関係で、学術的な自律性が失われつつあると同誌は指摘している。
より分かりすく、やや大雑把に説明するなら、こういうことになるだろう。
いまや大学は、彼ら自身の理念に基づいて目標を設定するのではなく、大学ランキングの指標に合わせて方針を決定しはじめている。できるだけ効率よく、かつ効果的にランキングの順位を上げるための運営を目指している。その大学側は、自分の組織や学生に関する膨大なデータをランキング企業へ提供しつづけているのに対し、世界中の大学からデータを集める企業のほうは、独自の基準で勝手にそれらを分析し、評価したうえで、より高評価を得るための運営手法を大学にアドバイスできる。
つまり、本来であれば「ランキングに協力するためにデータを提供してあげる側」だったはずの大学はいつの間にか、ごく一部の民間企業が勝手に定める「教育の質」の指標に振り回されるようになり、「高い評価を得たければ我々のサービスを導入しなさい、我々の指標を満たしなさい、我々のコンサルティングを受けなさい」とアドバイスされる顧客の立場になってしまった。ランキングの作成に大学の意見が反映されていないことを考えれば、これは全くバランスの取れていない一方的な関係だ。
さらに大学側は彼らに促されるように、学習のプラットフォームや学生の記録をデジタル化し、膨大な量の「使えるデータ」を生み出しては、それをまた彼らに受け渡している。受け取った企業は、そのデータを分析して様々な教育の分野で活用できる。たとえばQSのような企業であれば、大手IT企業が求める労働力に合わせた教育指標を分析し、両社の橋渡しを図ることもできるだろう。
この権力の集中により「分析と産業の複合体」と呼べるものが誕生したとUWNは記している。彼らの説明をそのまま借りると、それは「民間企業が評価指標の作成、マーケティングプラットフォームの管理、パフォーマンス分析の提供、政策議論の形成を同時に行う自己強化型のエコシステム」だ。
教育ガバナンスの民営化
実際、QSは2024年のランキングで「学術的評判」の比重を30%から20%に引き下げるのと同時に、新たな「雇用」の指標を導入した。これに合わせて多くの大学は、就職支援専門の部署を設置している。
そして大学ランキングの企業のお眼鏡にかなうような転身を望んでいるのは、個々の教育機関だけではない。たとえばサウジアラビアでは、大学ランキングでの評価アップを国家レベルの政策に取り入れ、実際に自国の大学の順位を大幅に上昇させた。2023年に英Natureで発表された論文によれば、このような対応を政府が取り入れることにより、各国の高等教育のイニシアティブは「大学ランキングを12.1〜17.7ランク上昇させることができる」という。
The effect of national higher education initiatives on university rankings _ Humanities and Social Sciences Communications
https://www.nature.com/articles/s41599-023-02034-w
このようにして世界中の高等教育のガバナンスは、民間企業の経営手法や評価指標に強く影響される形へと大きく変化させられてきた。最近発表されたNational Tertiary Education Unionの報告書によると、豪州の大学運営機関における545の役職のうち143は大手企業の幹部やコンサルタント出身者で占められており、そこには四大会計事務所(デロイト、アーンスト・アンド・ヤング、KPMG、PwC)のコンサルタントも10人以上が含まれているという。
「大学の自由」の終焉
念のために記しておくと、この記事はランキングそのものの信頼性を問うものではない。ランキングの汚職やマッチポンプを疑う内容のものでもなく、また評価の偏りを批判するものでもない。むしろ20年間に渡って提供されてきた大学ランキングが信頼され、世界で一定の評価を受けてきたからこそ、彼らはここまで力をつけてしまったとのだも考えられる。
ともあれ、そのランキング結果に振り回されすぎた世界中の大学が本来の目標を見失い、「ランキングでの高評価を効率よく追及できる教育機関の運営」という同じゴールに向かって歩むなら、大学の独立性は次第に失われていくことになるだろう。
それぞれの大学が独自の理念や信念に基づき、学生に知識の創造や批判的思考の力を構築させる場所だった時代は、第二次トランプ政権が大学を監視の標的にするよりもずっと前から、少しずつ終わっていたのかもしれない。
追記
UWNの記事では触れられていないが、大学に在籍している学生や、大学への進学を目指している生徒たちもまた、個人レベルで「データ帝国」の影響を受けやすくなっているかもしれない。
たとえば、いま「大学の自由をかけたハーバード大の戦い」などの情報を広く収集しようとすれば、皮肉にもTHEが提供するニュースへ導かれてしまう。その記事を最後まで読むにはユーザー登録が必要とされる。ここで「学生(生徒)」を選んだユーザーは「必須項目」として、住んでいる国や出身国、携帯電話の番号、現在の教育レベル、これから進学したい分野などの入力を求められる。それらに従った素直な学生は、貴重な個人情報をランキング企業へ引き渡すことにより「THE STUDENT」のページで活動できるようになる。そこには様々な学生向けの情報(たとえば世界の大学のキャンパス情報、奨学金情報、各大学のコース比較、学部や学科を選ぶためのアドバイスなど)、無料のイベント招待、学生同士のチャットなど、THE独自のサービスなどが用意されている。
そこで得られる情報は、「自分が何をどのように学ぶべきなのか」という彼らの意思決定にも少なからず影響するだろう。