AIが加速する偽造論文の洪水と科学知の汚染

世界中の科学文献の価値を貶める「論文工場」
執筆者全員が大学や研究機関の専門家で構成されるニュースサイト「The Conversation」は、「偽の論文が世界中の科学文献を汚染している」というレポートを2025年1月に発表した。そこでは、不正に量産された論文が「科学」への信頼の基盤を揺るがしつつある構造的問題が描かれている。以下、その概要を見ていこう。
Fake papers are contaminating the world’s scientific literature, fueling a corrupt industry and slowing legitimate lifesaving medical research
https://theconversation.com/fake-papers-are-contaminating-the-worlds-scientific-literature-fueling-a-corrupt-industry-and-slowing-legitimate-lifesaving-medical-research-246224
アカデミアの世界では長らく、学術雑誌への定期的な論文掲載が昇進や安定雇用の条件とされてきた。研究者は常に「出版か死か(publish or perish)」という圧力にさらされ、自身の地位やキャリアを守るために論文を発表し続ける。充実した研究を行うためのリソースが限られている新興国やグローバル・サウスでは、この傾向が特に顕著だ。
いま世界中で毎週およそ11万9,000件の学術論文が出版されており、年間では600万件を超える論文がライブラリに吸い込まれていく。その結果、学術論文を偽造・販売する地下経済が活性化している。学問的価値よりも利益を優先する詐欺師たちが、彼らに協力する不正研究者のネットワークを武器に、あらゆる分野の論文を粗製濫造している。もはや産業化したこれらの不正行為は、「ペーパーミル(paper mills:論文工場)」と総称される。
ペーパーミルが跋扈する背景
これまで約5万5,0000件の学術論文がさまざまな理由で撤回されているが、文献の不正を精査している科学者や専門企業は、偽造論文は実際には数十万本におよぶ規模で流通していると考えている。偽造論文を見分けるデータ解析手法を開発する企業Clear Skiesのアダム・デイ(Adam Day)は、2022年に出版された数百万点の科学論文のうち、約2%が偽造されたと推定している。
学術論文の撤回を追跡するメディア「Retraction Watch(撤回監視)」のデータベースによると、ペーパーミルの関与が疑われて撤回された論文の最古の例は2004年に遡る。ペーパーミルがいつから大規模に運営されるようになったのか、どれだけの捏造論文を生み出してきたのか、正確なところは不明だが、その数が膨大なものであり、今も増加傾向にあることは間違いない。
医学研究における信頼性と公正性を追求するグループ(PRIMeR)を率いるオーストラリアの科学者、ジェニファー・バーン(Jennifer Byrne)は、2022年7月に行われた米国下院科学宇宙技術委員会の公聴会で証言を行い、1万2,000件のがん研究論文を検査した結果、約6%にあたる700件にペーパーミルの関与を示唆する誤りがあったと指摘した。
「ヒト遺伝子科学の分野だけでも、不正な論文は10万件を超える可能性があります。これは控えめな推計です」と彼女は警告し、「がんに関するノンコーディングRNAの研究においては、出版された論文の50%以上がペーパーミル製です。ゴミ溜めで泳いでいるようなものです」と、その惨状を伝えた。
学術出版業界の構造的な病
大きな問題のひとつは、出版社が偽造論文の修正・撤回に消極的なことだ。
オランダの出版社で、医学・科学技術分野における権威であるエルゼビア(Elsevier)が発行する『Fuel』で編集長を務めていたジリアン・ゴールドファーブ(Jillian Goldfarb)は、自身が調査した不正論文に対してエルゼビアが対応せず、かえってペーパーミルと関係の深い編集者を重用しようとしたことに抗議して、2023年10月に職を辞した。「彼らは、科学よりも論文の量と利益を重視しているのです」と、ゴールドファーブは憤る。
学術雑誌にはさまざまな料金モデルがある。多くの雑誌は購読制で、図書館や大学、個人は、論文の閲覧のために高額なアクセス料を支払う。一方、近年急速に普及しているオープンアクセスモデルでは、誰でも閲覧可能なように開放することで、逆に著者に高額な掲載料を課している。
こうして学術出版業界は年間300億ドル近くを稼ぎ出し、利益率は40%にも達する。それに引き寄せられて、怪しい取引を行う悪徳業者や、キックバックを要求する強欲な学者、論文引用による国際ランキングの向上を目論む研究機関などが群がってくる仕組みだ。権威ある文献データベースに収録された論文は、研究者たちにとっては昇進や研究資金の確保に直結する「銀行預金」であり、グローバル・ノースへの「パスポート」となる。
正統的な学術雑誌には、出版前にその分野の研究者が論文を注意深く読んで評価する「査読」プロセスがあるが、完璧とは程遠いのが実情だ。
一部の出版社は、論文を却下すれば数千ドルの掲載料を失う可能性があるため、論文を受け入れてくれそうな都合の良い査読者を選ぼうとするかもしれない。また最近は、多くの査読がChatGPTなどのAIツールに頼って書かれていることが明らかになっている。そして一部の学者は、互いの論文の出版を迅速化するため、不正行為を行う査読グループを形成している。ペーパーミルは、論文が確実に出版されるように、本物の学者になりすました偽の査読者を作り出すことさえある。
ケベック大学モントリオール校の社会学者イヴ・ギングラス(Yves Gingras)によると、このような「科学の商品化」の源流は、1980年代に西側諸国を席巻したニュー・パブリック・マネジメント運動によって推進された、学問の世界における成果主義的指標の導入に求められる。ギングラスは、大学や公的機関が企業経営を導入した時、科学論文は世界への洞察を深める「知識」ではなく、生産性を評価し報酬を与えるための「会計」の単位と化したと記している。
多くの研究者が内容ではなく、h指数(論文発表数と被引用数を組み合わせた指標)を競うようになり、科学の一種のインフレあるいはバブルのごとき事態が生じている。論文の価値が急落し、過剰に多作な著者の数が増加する現在の傾向の中で、最も悪名高い事例のひとつはスペインの化学者ラファエル・ルケ(Rafael Luque)だ。2023年の彼の実績は、37時間ごとに研究論文を1本発表したという計算になる。
探偵たちによるペーパーミル追跡
今回紹介している「The Conversation」のレポートでは、「Retraction Watch」に寄稿する編集者と、偽造論文の検出を専門とする2人のコンピューター科学者が、6ヶ月を費やしてペーパーミルを調査した成果も語られている。
ウェブサイトやソーシャルメディアの投稿を分析し、各方面の関係者にインタビューを行い、偽造の痕跡を探すために論文をスクリーニングする徹底的な調査の末に見出されたのは、偽科学が現代社会の根底をなす知識基盤を蝕んでいる危機的状況だ。それは、客観的な報道を装ったウェブサイトの偽情報が、エビデンスに基づくジャーナリズムを蝕み、公正な選挙を脅かすのと同じ構図である。
探偵たちの捜査があぶり出したペーパーミルの仕事の傑作例が、「Retraction Watch」でも詳しく紹介されている、「vegetative electronic microscopy(植物性電子顕微鏡法)」なる珍妙な言葉である。
As a nonsense phrase of shady provenance makes the rounds, Elsevier defends its use
https://retractionwatch.com/2025/02/10/vegetative-electron-microscopy-fingerprint-paper-mill/
始まりは、あるロシア人化学者が、シュプリンガー・ネイチャー(Springer Nature)の学術雑誌『Environmental Science and Pollution Research』にこの奇妙な語句が掲載されているのを発見したことだった。同じく偽造論文の撲滅に取り組むカザフスタンのソフトウェアエンジニア、アレクサンダー・マガジノフ(Alexander Magazinov)は、このフレーズは1959年の2段組論文のデジタル処理の不具合から生まれたのではないかと推測している。その論文では、左の段に「vegetative(栄養)」という単語が、右の段に「electron microscopy(電子顕微鏡法)」という単語が並んで表示されていた。
そして数十年後、「vegetative electronic microscopy(植物性電子顕微鏡法)」という用語がイランの科学論文に登場した。おそらくAIモデルが誤って拾い上げ、生成テキストに吐き出した架空の用語が、イランの詐欺師ネットワークのペーパーミルに紛れ込んだのだ。こうして2種類の偶然の産物として、「植物性電子顕微鏡法」は研究者の語彙に忍び込み、文献の中で繁殖していった。
シュプリンガー・ネイチャーは2024年に調査を行い、「査読プロセスの不備、不適切または無関係な参考文献など、多くの懸念事項が見つかった」として、この論文を撤回した。一方、「植物性電子顕微鏡法」に言及した論文を自社の雑誌に掲載したエルゼビアは、最終的には訂正を発表したものの、そこに至るまでに、この語句を擁護し、妥当性を正当化しようと詭弁を弄し続けた。
2025年4月の「Science Alert」もこのトピックを紹介し、このようなナンセンスな用語を「デジタル化石」と形容している。岩石に閉じ込められた生物の化石のように、人工知能(AI)システムに保存され、強化されたこれらの誤謬は、私たちの情報エコシステムに永続的に残り、知識の倉庫から取り除くことはほぼ不可能だという。
A Strange Phrase Keeps Turning Up in Scientific Papers, But Why?
https://www.sciencealert.com/a-strange-phrase-keeps-turning-up-in-scientific-papers-but-why
ペーパーミルに対峙する出版社の努力や専門業者の技術
ペーパーミルの脅威に対抗措置をとろうとする業界関係者や出版社も、もちろん存在する。
大手学術出版社テイラー・アンド・フランシス・グループ(Taylor & Francis Group)の出版倫理担当ディレクター、サビーナ・アラム(Sabina Alam)によると、この問題に注目するようになったのは、2020年に中国のペーパーミルを調査したことがきっかけだ。「あれはまさに地雷原を開けたようなものでした」と、2023年に立ち上げられたUnited2Actプロジェクト(ペーパーミルに対抗する出版社、研究者、探偵たちを結集する)の共同議長も務めるアラムは語る。「ストックフォトが論文の実験画像に使われていることに初めて気づいたのです」
テイラー・アンド・フランシスは、類似画像を含む論文の精査に着手し、投稿率の監視も開始した。アラムのチームは、ペーパーミルの特徴をすべて備えた1,000件近くの原稿を特定し、2023年には、特集号に掲載される約300件の怪しい投稿を却下した。「私たちは、非常に多くの論文の掲載を阻止してきました」とアラムは述べている。
また、論文の不正検知を支援するテクノロジー系スタートアップも台頭している。ネバダ州に拠点を置くScitilityが2024年9月に立ち上げたウェブサイト「Argos」では、論文の著者が、自分の新しい共同研究者が論文撤回や不正行為のリスクを抱えていないかを確認できる。ロンドンに拠点を置くResearch Signalsの「シグナルズ」や、Clear Skiesの「ペーパーミル・アラーム」など、新しい論文チェックツールも登場している。
一方、詐欺師たちも手をこまねいてはいない。アダム・デイによると、2022年にClear Skiesがペーパーミル・アラームをリリースした際、最初に問い合わせてきたのは、当のペーパーミルだった。サビーナ・アラムも、ペーパーミルとの軍拡競争は、偽造論文に対する需要がなくならない限り果てしなく続くいたちごっこであることを認めている。
知の新しい評価指標を求めて
学術雑誌『Cell』の元編集者で、ハワード・ヒューズ医学研究所の戦略的イニシアチブチーフのボド・スターン(Bodo Stern)は、学術雑誌が論文掲載によって報酬を得る仕組みと、論文数が評価に直結する慣行を解体しなければ、状況は変わらないと考えている。
スターンは、学術雑誌を「社会全体の利益に資する公共事業」として捉え直し、その透明性と厳密性を担保する品質管理のシステムにこそ資金を投ずるべきだと論じて、同僚とともにハワード・ヒューズ医学研究所の改善に取り組んでいる。
オーストラリアでは、国立保健医療研究会議(NHMRC)が2022年に「トップ10 in 10」政策を導入した。年間で数千件の助成金申請を審査するNHMRCは、研究者に対して、参考文献をすべて提出するのではなく、過去10年間の論文を10件以内に絞って挙げ、それが科学にどのような貢献をしたのかを具体的に説明するよう求めた。2024年4月の評価報告書によると、助成金審査員の4分の3近くが、この新しい施策によって研究の「量」よりも「質」に集中できるようになったと述べている。また半数以上が、申請に費やす時間が短縮されたとも答えている。
「出版か死か」という言葉は、すでに1920年代から使用されていた。およそ100年後に、その対立概念として「スローサイエンス」が提唱され、成果主義との決別と、着実で系統的な知の進化を重んじる思考が改めて注目されるようになっている。自身も「スローサイエンス宣言」に署名したイヴ・ギングラスは、スローサイエンスの実現こそが、科学者が大量の論文発表から解放され、有意な研究のために十分な時間を作る環境を手にする道だと考えている。
ペーパーミルが吐き出す論文に飲み込まれそうになりながら、人類はいま、「知」への信頼と意志について問い直されている。