ニヒリズム暴力の台頭 イデオロギーなきテロリズム

1.はじめに
今回はISD(Institute for Strategic Dialogue,戦略的対話研究所)のレポート「Terror without ideology? The rise of nihilistic violence(イデオロギーなきテロリズム?虚無主義に基づく暴力の台頭)」を紹介する。この論考では、近年増加しているイデオロギーなきテロリズム、虚無主義的暴力とオンラインコミュニティの深い関係を明らかにしながら、このような伝統的なテロリズムに合致しない暴力行為にどのように対応すべきか検討を行なっている。
Terror without ideology? The rise of nihilistic violence – ISD
https://www.isdglobal.org/digital_dispatches/terror-without-ideology-the-rise-of-nihilistic-violence-an-isd-investigation/
このタイプのテロリズムは認知戦やデジタル影響工作を語るうえで欠かすことのできない要素となっており、こうした傾向を持つ人々の主張が、時期によって極右、陰謀論、反ワクチン、反LGBTQなどに変化することからもうかがい知ることができる。標榜している集団と接触すらしたことのないTikTokテロリストはその典型とも言えるだろう.
ISDはこれまでもタイプのテロリズムについて警告を発し、対策を提言してきた。
2.虚無主義的暴力とは?
本レポートによれば、虚無主義的暴力の要件として「行動の動機にイデオロギー的要素を欠いていること」、「人間嫌悪的な世界観に駆り立てられた行為であること」を挙げている。現代のニヒリスト的暴力には、特に「トゥルー・クライム・コミュニティ(TCC、大量殺人犯を称賛する緩やかに結びついたファンコミュニティ。若い女性が大きい割合を占め、男性殺人犯に執着する傾向にある)」や「偽サタニストのノー・ライブズ・マター(NLM,人間嫌悪を基盤としたコミュニティ。過激派グループや764などの犯罪組織との関連も指摘されている)」などのオンラインのサブカルチャーが関与しており、これらは少なくとも2024年に数件の学校銃乱射事件や未遂計画、刺傷事件と関連がある。
これらの暴力は過激派の暴力に似ているが、明確な政治的・思想的背景がない点が特徴で、暴力行為は内面的な欲求や虚無的なコミュニティ内での承認を得るための表現だと考えられている。TCCやNLMの信奉者は動機よりもその外見や文化的な参照を模倣する美学にある、と考えられている。このような美学は動画などを通じて拡散され、暴力行為を容認・奨励するコミュニティを形成している。
レポート内では、虚無主義的暴力のサブカルチャーは検知が難しく、暴力行為に至るまでの時間が短く、未成年者が関与することも多いと指摘されている。虚無主義的暴力を行おうとする者は、従来の思想に基づく分類には当てはまらず、警察や予防プログラムに漏れやすくなる。実例として、イギリスでの事件では、虚無主義的暴力と関連する計画者が予防プログラムに複数回紹介されていたにもかかわらず、最終的に事件を防げなかった。
また、虚無主義に基づく暴力のサブカルチャーと過激派グループはオンラインで重なり合い、しばしば共通のシンボルや美学を共有する。過激派グループのメンバーは、思想的な動機ではなく社会的なつながりから参加する場合が多く、虚無主義的暴力を行う者も過激派グループに影響されることがある。しかし、暴力行為に対する動機や目標は思想的なものではなく、虚無主義的な無目的な暴力である場合が多いとレポートは指摘する。例えば、2025年のジョージア州での高校銃乱射事件の犯人も、非思想的な虚無主義に基づく暴力サブカルチャーから影響を受けており、政治的な目標は見受けられなかったという。
3.イデオロギーからの乖離と交差
虚無主義的暴力とイデオロギー的過激主義を区別する特徴として、レポートでは以下の3点を挙げている。
暴力の正当化:イデオロギー的過激主義が社会や国家の変革を理由として暴力を正当化するのに対し、虚無主義的暴力を行う者は、人間嫌悪と虚無主義から生まれる感情や個人的な苦悩を暴力の根拠とすることが多い。
グループ・ダイナミクス:イデオロギー的過激主義が、自分たちが優秀であることを示すために集団外に暴力を行うことがあるのに対し、虚無主義的被害者意識や大量殺人者の崇拝などを重視し、暴力をセクシーで魅力的なものとしているのは内部で美学を共有するためであり、外部に対して暴力をふるう必要性は高くない
目的とする影響と標的:虚無主義的暴力は、優越主義や政治目標を重視しないため、美学的や個人的な意味を持つ標的を選択する傾向がある。標的は、攻撃者にとって個人的な意味を持つ馴染みのある場所か、最大級の被害や損害を与えるために選択される。
一方で、虚無主義的暴力のサブカルチャーは、ネオナチや加速主義者などのイデオロギーに基づくコミュニティとオンラインで交流することがあると指摘されている。TCCのようなサブカルチャーは、独自のコミュニティを築き、独自のプラットフォームで活動しているが、オンラインの過激派グループから顕著な影響を受けていることが多い。これらのサブカルチャーは、独自の美学を重視し、過激派のシンボルや用語を採用することがあるが、その動機は主に美学的であり、思想的な目的に基づいていない。虚無主義は反社会的行動を正当化する無政府主義的な世界観として用いられることが多く、イデオロギーに基づく暴力とは異なるものの、それらはネット上で重なり合い、影響を与え合っているとレポートは述べている。
レポートではこれらの重なりの典型的な例として幾つかの事件を列挙している。例えば、2024年8月にトルコで発生した未成年者による刺傷事件では、攻撃者がネオナチ加速主義的美学と虚無主義に基づく暴力を融合させてい他とされている。同様の事例が2025年にアメリカでも発生し、加速主義と虚無主義的暴力が混在していることが指摘された。これらの事例は、加速主義とTCCの「聖人崇拝」や過去の犯人への崇拝が虚無主義と結びつき、思想的な境界線を曖昧にしていることを示しているとレポートは述べている。
4.非思想犯罪に対する警戒態勢の脆弱さ
虚無主義的暴力のサブカルチャーは、伝統的なイデオロギーに基づく過激派と並行して現れる新たな脅威であり、予防と警察の対応は主にイデオロギーに基づく脅威に集中している現状に対する課題を提示しているとレポートは述べている。虚無主義的暴力は、法執行機関が過激化を特定するために使用する思想的指標に必ずしも沿っておらず、特に潜在的な攻撃者が過激派として認識されない場合、適切な対応がされないことがある。例えば、サウスポートの犯人1や、エディンバラの学校で大量殺人を計画した少年2は、予防プログラムに紹介されたにもかかわらず、最終的に調査から除外された。レポートでは、このような問題に対処するためには、虚無主義的暴力が抱える非イデオロギー的な性質を考慮に入れた予防策が必要だとしている。
虚無主義的暴力は精神疾患や社会的孤立と結びついており、個々の問題に対処する公衆衛生的アプローチが有効とされている。虚無主義的暴力に巻き込まれる人々は、特定の思想を持たない場合が多く、ミームや美学の影響を受けて暴力に走るため、思想的動機に基づく過激派よりも迅速に暴力行為に至ることがあることから、従来の法執行手法では不十分であることが多い。
そのため、暴力を未然に防ぐためには、リスク要因を早期に識別し、社会的孤立や精神的問題に対処するプログラムが重要だとレポートは述べている。そのために、公衆衛生アプローチ3と、根本的な脆弱性を解決することが、虚無主義的暴力を防ぐために必要不可欠である。テロリズム対策は依然として重要である一方、これらの新しいタイプの脅威に対応するために、広範な協力と包括的な制度の整備が重要であるとレポートはまとめている。
- サウスポート事件
2024年7月、アックスル・ルダクバナがイングランド・サウスポートで3人を殺害、8人を殺害未遂。2025年1月、裁判で有罪判決。事件は、思想的動機を欠いた暴力行為であり、従来のテロ対策中心の防止システムの限界を浮き彫りにした。事件発生前の犯人は、暴力行為や異常行動、テロ計画の通報・予防プログラム「Prevent」に3回通報されていたにも関わらず、テロとは判断されずに見過ごされた。一方で今回のような通報を全て受け入れた場合にはシステムが疲弊し機能不全に陥ると言う指摘もされており、このようなイデオロギーの有無を問わない犯罪の増加に対応するための制度設計が議論されている。
Failing to Prevent: Lessons from the Southport tragedy – ISD
https://www.isdglobal.org/digital_dispatches/failing-to-prevent-lessons-from-the-southport-tragedy/
↩︎ - エディンバラの学校で大量射殺事件を計画
スコットランド・エディンバラの高校に通っていた17歳の少年が、コロンバイン高校事件を模倣した大量射殺を計画した容疑で逮捕された事件。「Prevent」に過去2回通報されていたが効果的な介入には至らず、少年がSNSにアップロードした模造銃などの写真から捜査が開始され逮捕に至った。)
Teenager plotted mass shooting at Edinburgh school – BBC
https://www.bbc.com/news/articles/c3w1pg65wz7o
↩︎ - 暴力的過激主義を含む標的型暴力を予防する包括的な枠組み
米国CDCのモデルに基づいている。特定のイデオロギーやコミュニティを標的にするのではなく、暴力を引き起こす行動やリスク要因に着目し、社会・個人の両レベルでのレジリエンスを高めることを目指している。4つのレイヤーに分けて対策を講じるモデルとなっている。
The ‘Public Health Approach’ to Prevention – ISD
https://www.isdglobal.org/explainers/the-public-health-approach-to-prevention/
誤・偽情報対策の決め手? 公衆衛生フレームワークは汎用的な情報エコシステム管理方法だったhttps://note.com/ichi_twnovel/n/n51fa79a327ab
Beyond misinformation: developing a public health prevention framework for managing information ecosystems
https://doi.org/10.1016/S2468-2667(24)00031-8
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