「船が海の上で円を描く」──GNSSスプーフィングが突きつける電子戦の脅威〈サイバー防衛研究会6月例会報告〉


6月例会では、『国内唯一』電子戦のスタートアップ、株式会社CYPHIC 代表取締役CEOの長谷川雄太氏を講師に迎え、「GNSSスプーフィングと情報信頼性確保の重要性」と題した講演が行われた。

近年、紛争地域を中心にGNSS(Global Navigation Satellite System:全球測位衛星システム)への妨害や欺瞞が常態化しつつある。
GNSSスプーフィングは単なる位置情報の改ざんではなく、通信の時刻同期、センサー情報の統合、さらには意思決定に利用される情報そのものの信頼性を揺るがす脅威である。
本講演では、社会インフラや安全保障への影響を最新事例とともに解説するとともに、「情報信頼性」という新たな視点からGNSSを捉え直す重要性について考察がなされた。
講演会データ サイバー防衛研究会6月例会
「GNSSスプーフィングと情報信頼性確保の重要性」
講演者/長谷川 雄太(株式会社CYPHIC 代表取締役CEO)
司会/齋藤 孝道 開催日/2026年6月26日(金)
「船が海の上で円を描く」──現実に起きた奇妙な現象
「停泊しているはずの船が、AIS上では海上を円を描くように動いている。」
この一見不可解な現象は、実際に2019年、中国・上海港周辺で確認された事例である。
AIS(Automatic Identification System:船舶自動識別装置)は、船舶が自らの位置、速度、針路などを周囲や管制機関へ送信するシステムであり、海上交通の安全を支える重要なインフラである。

ただしAIS自身が位置を測位しているわけではない。各船舶はGNSSで取得した位置情報をAISへ入力し、その情報を送信している。つまり、GNSSが欺瞞されれば、その誤った位置情報がAISを通じて共有されてしまう。
上海港では、実際には停泊している船舶が、AIS上では複数の船が円軌道を描くように表示された。この奇妙な現象は「Crop Circles」とも呼ばれ、MIT Technology Review等で報告され、大きな注目を集めた。
同様の事象は、他でも確認されている。講演では、2026年3月にイラン周辺海域で発生したGNSSスプーフィング事例も紹介された。
2026年のイラン戦争後、ホルムズ海峡周辺では、多数の民間船舶でAIS上の位置情報に異常が発生し、本来海上を航行している船舶が陸上を走行しているように表示されたり、円形の軌跡を描くケースが報告されている。一部の船舶では、自動航法への依存を避け、レーダーや目視による従来型の航法へ切り替えざるを得ない状況も生じた。

ホルムズ海峡は、世界の原油・LNG輸送の大動脈であり、世界経済を支える海上交通の要衝である。このような海域で位置情報の信頼性が失われれば、航行安全だけでなく、物流、エネルギー供給、安全保障にも連鎖的な影響を及ぼす。GNSSスプーフィングは、船舶を直接攻撃することなく、海上交通全体を混乱させる「電子戦の手段」となる。
2019年の上海港で見られた「円形スプーフィング」は、かつては特殊な実験的事例として受け止められていた。しかし現在では、ホルムズ海峡をはじめとする紛争・緊張地域で実際に繰り返し確認されており、GNSSスプーフィングは『将来起こり得る脅威』ではなく、現実の安全保障環境の中で運用され始めた技術となっている。
位置情報への攻撃は、すでに海上交通や社会インフラそのものを揺るがす、新たな電子戦の局面へと入りつつあるのである。
GNSSスプーフィングとは何か──位置情報ではなく「信頼」を攻撃する
GNSSとは、GPSをはじめ、日本の準天頂衛星(みちびき)、欧州のGalileo、中国のBeiDouなどを含む衛星測位システムの総称である。
講演では、GNSSへの攻撃は大きく二種類に整理された。
一つはジャミングである。これは強力な妨害電波によって衛星信号を受信できなくする攻撃であり、「聞こえなくする攻撃」と理解すると分かりやすい。
もう一つがスプーフィングである。こちらは本物そっくりの偽信号を送信し、受信機へ誤った位置や時刻を信じ込ませる攻撃である。
さらに厄介なのがミーコニング(Meaconing)と呼ばれる再送(再放送)攻撃である。これは本物のGNSS信号を受信し、わずかに遅延させて再送信する手法である。信号自体は本物であるため、単純な認証だけでは見抜くことが難しい。
さらに、長谷川氏が繰り返し強調したのは、「GNSSスプーフィングは位置情報への攻撃ではない」という点であった。
現代社会は、位置情報だけではなく、「いつ」「どこで」「誰が取得した情報なのか」という時刻・位置・状態の整合性を前提に動いている。
つまり攻撃対象は「位置情報」ではなく、「情報を信じられる」という社会の前提そのものなのである。
通信も金融も、実はGNSSに支えられている
GNSSというと、多くの人はカーナビやスマートフォンの地図を思い浮かべる。
しかし講演では、それ以上に重要なのが「時刻同期」であることが解説された。
現在の5G、Wi-Fi、警察無線などで利用されるOFDM通信方式では、ナノ秒レベルの高精度な時刻同期が要求される。基地局や通信機器の多くはGNSSから基準時刻を取得しているため、その時刻がわずかに改ざんされるだけでも通信品質に重大な影響を及ぼす可能性がある。
通信だけではない。
金融取引、データセンター、送電網、クラウド基盤など、多くの社会インフラが共通の時刻基準によって同期している。
もちろん、一つのGNSS信号が乱れただけで直ちに金融システム全体が停止するわけではない。現実には多重化や冗長化が施されている。しかし、GNSS妨害とサイバー攻撃、あるいは物理攻撃が同時に行われた場合、その影響は飛躍的に大きくなる。
見た目には何も壊れていない。それでも社会全体の同期が崩れる。その意味では、GNSSスプーフィングはサイバー攻撃と極めて親和性の高い攻撃手法であると言える。
戦場で重要性が増すCRPAと信号認証
では、このような脅威にどのように対抗すればよいのだろうか。
代表的な技術の一つがCRPA(Controlled Reception Pattern Antenna)である。
CRPAは複数のアンテナ素子を用いて受信パターンを制御し、妨害電波が到来する方向の感度を意図的に低下させる技術である。いわば「妨害電波だけ聞こえにくくする」アンテナであり、軍用GNSSでは以前から利用されてきた基本技術である。
ウクライナ戦争ではGNSSジャミングが常態化しており、一部の高度な無人機や車両では、CRPAを適用することでGNSS妨害環境下における運用継続性の向上が図られている。
一方、安価な小型ドローンでは、コストや重量の制約からCRPA技術を適用できない場合も多い。また、CRPAを搭載していても、高出力の妨害や運用条件によっては十分に対抗できない場合があることから、CRPAのみで電子戦環境への対抗策が十分であるとは言えない。
一方、スプーフィング対策として期待されているのが信号認証である。
日本の準天頂衛星システムではQZNMA、欧州GalileoではOSNMAと呼ばれる認証機能の整備が進められている。これらは、受信した航法メッセージが正規衛星から送信されたものであることを暗号技術によって検証する仕組みであり、民生GNSSの信頼性向上に向けた大きな前進と言える。
しかし、これも万能ではない。
本物の信号を再放送するミーコニングでは、信号そのものは正規である。また、軍事用途やUAVのように瞬時の判断が求められる環境では、「後から認証できる」だけでは十分ではない。
そのため現在では、CRPA、信号認証、マルチGNSS、多周波受信、慣性航法(INS)、カメラ、LiDAR、地形照合、独立した時刻源などを組み合わせた多層防護が世界的な方向性となっている。
言い換えれば、一つの技術だけで電子戦に勝つことはできないのである。
「研究しておくこと」が最大の防御になる
講演の終盤では、「平時から研究しておくこと」の重要性が語られた。
GNSSスプーフィングは、事故や有事が起きて初めて対策を始めても遅い。
どこがGNSSに依存しているのか、どのような場合に異常を検知できるのか、代替となる時刻源や位置推定手段はあるのか。こうした検証は、平時だからこそ実施できる。
とりわけ、防衛だけでなく、通信、港湾、航空、自治体、重要インフラなど、多くの分野でGNSS依存が進む現在、電子戦技術はもはや軍事だけの話ではない。
さらに、GNSSを守るとは、『位置情報』を守ることではない。
社会全体が「この情報は正しい」と判断するための基盤、すなわち情報信頼性そのものを守ることなのである。
今回の講演は、GNSSを単なる測位技術ではなく、「情報信頼性を支える社会インフラ」として捉え直す重要性を改めて認識させる内容であった。同時に、電子戦が現実の社会基盤へ着実に影響を及ぼし始めている現在、日本においても平時から研究・技術開発・運用訓練を積み重ねていく必要性を強く示唆する講演であった。