経済版サイレント・インベージョン〈サイバー防衛研究会4月例会報告〉

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 4月例会では、某調査会社のアナリストであるS氏を講師に迎え、「その会社、ホントに“日本の会社”ですか?」と題した講演が行われた。今回は、諸事情により、講師の名前などは非開示とする。

4月例会では、今、日本企業が直面している反市場勢力による企業買収の実態が語られた
目次

日本企業を狙う「反市場勢力」とサイバーセキュリティに通底する脅威

 経済安全保障という言葉は、いまや政策用語として定着した。しかし、その実態は、半導体、重要インフラやサプライチェーンといった大きな話だけではない。より静かで、より見えにくい形で、日本企業そのものが狙われている。クライブ・ハミルトンによって暴露されたサイレント・インベージョンが日本でもまさに起きている。

 今回の講演は、日本企業を狙う海外勢力による企業買収の実態についての調査実務の現場から見た、『反社会的勢力や反市場勢力』による企業買収の構造が示された。

 講演者S氏は、探偵事務所から始まり、不動産業、広告営業を経て、企業調査会社で長年にわたり反社・反市場勢力調査に携わってきた人物である。だからこそ、その語りには理論よりも現場でのリアル感があった。

 本講演の核心は明快である。

 日本企業は、『単に商品や技術を狙われているのではない。上場企業としての信用、保有資産、取引先情報、金融機関からの信用、そして経営権そのものが狙われている』。

 買収された企業が「ハコ」と呼ばれる踏み台として利用されることで、市場、産業、地域経済に深刻な影響が及ぶ。

 講演者が強調したのは、「大丈夫だろう」と思っている企業ほど危ないという点である。

反市場勢力とは何か

 講演で重要な概念として提示されたのが「反市場勢力」である。反社会的勢力が暴力団などを中心とする概念であるのに対し、反市場勢力は、株式市場を攪乱し、不公正なファイナンスや株価操作を通じて利益を得ようとする人物・集団を指す。

 ただし、この認定は容易ではない。株式を買うこと自体は違法ではない。敵対的買収も、それ自体が犯罪ではない。問題は、その背後にどのような人物、資金、協調関係、過去の関与履歴があるかである。

 不公正ファイナンスの典型としては、次のようなものがある。

  • 架空投資や実態の薄い増資
  • 不動産などの資産を過大評価した現物出資
  • 上場企業の資産売却による資金流出
  • 既存株主に不利な意思決定
  • 特定株主や関係者への利益誘導
  • 経営権の奪取

 講演者は、反市場勢力の認定について「非常に難しい」と述べていた。

 株価を吊り上げても、結果として儲からなければ摘発されにくい。

 摘発されて名前が出た人物は、次からは表に出ず、裏に回る。

 したがって、調査では過去の銘柄関与、登場する関係者、資金の流れ、共同行為の痕跡を丹念に見ていく必要があるとのことである。

 ここに、調査業の本質がある。単発の事象ではなく、履歴と関係を読むのである。

なぜ日本企業が狙われるのか

 背景には、国際環境の変化がある。

 米中対立、ロシアによるウクライナ侵攻、台湾有事への懸念、中東情勢の不安定化などにより、国家間での競争(=「戦い」)は軍事だけでなく経済領域へ拡張している。

 日本企業が狙われるのは、日本が特別に脆弱だからではなく、開放経済と高度な技術資産を背景に、経済領域が国家価値の中核を占めているためであると言えよう。攻撃側にとっては、戦争に至らずに、効果を得られる合理的な対象となる。

 日本企業が持つ資産は、大きく言えば「金」と「知的財産」である。特許、製造ノウハウ、取引先情報、工場不動産、地域の信用、金融機関との関係は、外から見れば価値ある資源である。

 特に上場企業は、「上場していること」自体が信用になる。たとえ本業が弱っていても、上場企業である限り、資金調達やM&Aの主体になれる。

 この信用が、反市場勢力にとっては利用価値のある「ハコ」になる。

 講演では、かつて国内中心だった仕手筋の一部が、香港やシンガポールなど海外拠点を介して活動するようになったとの指摘もあった。海外法人を挟むことで、真の支配者が見えにくくなる。そこに国内の投資顧問、税理士、弁護士、証券関係者などが関与する。講演者が述べた「またこの弁護士か」というセリフは、現場で同じ顔ぶれを見続けている人間ならではの表現である。

「ハコ」化する上場企業

 反市場勢力による企業支配の典型は、上場企業の「ハコ」化である。上場企業という器を手に入れ、その信用を利用して資金を集め、本来の事業とは無関係なM&Aや資本業務提携を繰り返す。企業の本業は後景に退き、いつの間にか投資会社のような姿に変わる。

 乗っ取り後に起きる典型的な動きは、はっきりしている。

  • 数か月以内に不動産などの資産を売却し、現金化する
  • 不透明な関連会社へ貸付を行い、回収不能にする
  • 取引先情報や社内資料などを取得する
  • 本業と無関係なM&Aを連発する
  • 経営陣を都合のよい人物に入れ替える
  • 資産売却で得た資金を、次の上場企業買収に使う

 ここで重要なのは、乗っ取られた企業が次の買収の「足場」になることである。

 ある企業の資産を売却し、その資金と信用を使って別の上場企業を買い進める。こうして「ハコ」が増殖していく。

 この構造は、サイバーセキュリティにおける侵害後の「横展開」に似ている。最初に一つの端末やアカウントが侵害されると、それを足場に内部ネットワークへ展開し、権限を拡大していく。

 企業買収の世界でも、最初の「ハコ」を得ることで、次の企業、次の資産、次の情報へとアクセスが広がる。

 本稿で「サイバーセキュリティに通底する脅威」と呼ぶのは、この構造が似ているからである。

 脆弱な入口を探し、足場を築き、内部へ展開し、支配を広げる。

 対象が「ネットワークシステム」か「企業」かの違いはあっても、発想は共通している。

ウルフパック戦術と法制度の限界

 講演で取り上げられた重要な手口が「ウルフパック戦術」である。これは、複数の株主が表向きは別々に株式を取得しながら、実質的には協調して経営権に影響を及ぼす手法である。

 一人ひとりの持株比率を低く抑えつつ、合算では5%を超える。場合によっては、経営支配に十分な影響力を持つ。金融商品取引法上、共同保有者に該当する場合には大量保有報告書の提出義務が生じるが、協調行為の立証は容易ではない。表向きには独立した投資家であり、明示的な合意や連絡の証拠が見えにくいからである。

 講演では、買収防衛の補助に入った調査会社が株主名簿を見ながら「オオカミを探せ」と表現する場面も紹介された。誰が単独の投資家で、誰が群れの一部なのか。そこを見抜けるかどうかが、防衛の初動を左右する。

某T製作所のケース

 本講演で象徴的に取り上げられたのが、某T製作所のケースである。同社は印刷機メーカーであり、メディアとの関係が深い企業である。2021年、同社株式の買い占めをめぐり、政府が情報収集を指示したことが大きな転機となった。

 この事案では、海外系ファンドなどによる株式取得をめぐり、買収防衛策の適法性が司法の場で争われた。株式買い占め自体は犯罪ではない。そのため、争点は「どのような条件で会社側の防衛策が認められるのか」にあった。

 結果として、買収防衛策は認められ、防衛側が株式を取得することで防衛に成功したとされる。某T製作所はその後、安定株主を日本企業で構成する形に戻った。

 この事例の示唆は大きい。第一に、民間一企業の買収問題で政府が情報収集に動いた点で、経済安全保障上のエポックメイキングであった。

 第二に、司法が買収防衛策を認めたことで、買収防衛の実務に一つの基準が示された。

 第三に、顧客となる業界ネットワークがホワイトナイトとして機能したことで、単なる法務対応ではなく、資本面での防衛が成立した。

 ただし、これは例外的成功である。講演者は、「多くの事案では防衛に失敗する」と見ている。気づいた時には株式取得が進み、臨時株主総会で経営陣を入れ替えられ、企業は「おもちゃ化」する。そして、乗っ取られた企業が次の買収の踏み台になる。

 某T製作所のケースは、成功例であると同時に、「ここまで条件が揃わなければ守れない」という厳しい現実を示している。

標的となる企業の条件

 講演者の指摘に「標的になりやすいのは時価総額20〜50億円企業」との言葉があった。

 これは感覚的にも理解しやすい。時価総額が大きすぎれば買収コストが高い。一方で、小さすぎれば上場企業として利用できる信用や資産が限られる。20〜50億円規模の企業は、買収可能性と利用価値のバランスがよい。

 この層の企業には、次のような特徴がある。

  • 上場企業としての信用はある
  • ガバナンスや買収防衛体制は十分でない
  • 地方に不動産や工場を持つ
  • 技術や取引先情報を持つ
  • 後継者問題や資金難を抱えることがある

 特に地方の製造業は、技術、取引先、工場、不動産を持ちながら、情報開示や資本政策の備えが弱い場合がある。講演者が「美味しい獲物」と表現したのは、やや強い言葉ではあるが、現場の危機感をよく表している。

「うちには関係ない」は通用しない

 講演で繰り返し否定されたのは、企業側の楽観である。

「うちには盗られて困る情報はない」
「長年の取引先だから大丈夫」
「地方の中小企業だから狙われない」

 こうした認識は、もはや判断基準にならない。資本が変われば、企業の性質は変わる。経営陣が変われば、取引先も変わる。取引先が変われば、サプライチェーンの向きも変わる。

 講演では、取引先がいつの間にか特定国企業へ置き換わっていく事態も指摘された。これは、単なる企業買収ではなく、産業ネットワークの組み替えである。

 また、後継者不在を契機とするM&Aも危うい。不適切な買い手が入り込み、借金を押し付けられたり、経営権を奪われたりする事例がある。地方では、気づいた時には手遅れというケースも少なくないという。

必要なのは「相手を知る」こと

 対抗策に万能薬はない。講演者も「これからどうするか」に明確な答えがあるとは言っていない。ただし、だからこそ「できることからやる」しかない。

 第一に、危機意識を持つことである。日本企業は日本の経済基盤を支える主体であり、特定国資本が過度に入り込むことの意味を考えなければならない。

 第二に、相手を知ることである。表面上の法人名だけではなく、背後の人物、過去の関与銘柄、共通する専門家、資金の流れを調べる必要がある。講演者によれば、調べれば分かることは多いそうだ。分からないまま放置することが危ない。

 第三に、ホワイトナイトを考えることである。現実的な防衛策としては、信頼できる企業との資本業務提携や、善意の第三者による株式取得が重要になる。ただし、行き過ぎればインサイダー取引などの問題にもつながるため、法令遵守は不可欠である。

 基本的な確認事項としては、少なくとも次のようなものがある。

  • 株主上位の継続的確認
  • 実質支配者の把握
  • 過去に問題化した人物・法人との接点確認
  • 取引先情報・技術情報へのアクセス管理
  • ホワイトナイト候補の事前検討
  • M&A仲介会社や専門家の背景確認

 これはあらゆるリスク対策と同じである。ことが起きてから慌てるのでは遅い。平時から資産を把握し、脅威を想定し、監視し、対応手順を準備しておく必要がある。

経済版サイレント・インベージョン

 本講演が示したのは、銃弾もミサイルも使わない侵略(インベージョン)の現実である。

 株式を買い、役員を送り込み、資産を売り、情報を抜き、別の企業を買う。

 表面上は市場取引であり、合法的な商業活動に見える。

 しかし、その積み重ねが、企業の性質を変え、産業基盤を変え、地域経済を変えていく。

 これは経済版のサイレント・インベージョンである。静かに入り込み、制度の隙間を使い、信用を利用し、気づいた時には支配構造が変わっている。

 サイバー攻撃がネットワークの脆弱性を突くように、反市場勢力は資本市場と企業統治の脆弱性を突く。守るべきものは、個別の情報や資産だけではない。まさに「民間企業」そのものが、経済安全保障の最前線にある。

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この記事を書いた人

齋藤 孝道のアバター 齋藤 孝道 リサーチフェロー

明治大学理工学部情報科学科・教授、博士(工学)。明治大学サイバーセキュリティ研究所・所長。株式会社新領域安全保障研究所・代表。レンジフォース株式会社・代表取締役。専門は、情報セキュリティ技術全般。特に、デジタル影響工作、Web追跡技術、AI技術応用。著書:マスタリングTCP/IP情報セキュリティ編・第2版(オーム社)、「ネット世論操作とデジタル影響工作:「見えざる手」を可視化する」(原書房)。

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