「制脳権」を中核のひとつにすえる中国の軍事戦略

2025年8月1日付の人民日報は中国人民解放軍国防大学による「新質戦闘力の軍事的革命意義を十分に認識する」という記事を掲載した。この記事は、習近平国家主席の軍事思想の中核概念である「新質戦闘力」について、その戦略的意義と構築方針を解説する内容である。これは単なる軍事技術論ではなく、戦争観、作戦思想、国家戦略の統合的方向性を示唆したもので、人民解放軍の軍事戦略が「情報化・知能化」のフェーズから「新質戦争」へと移行したことを示唆しているといえる。
この記事は、2024年3月に発表された新質戦闘力の意義を再確認する内容となっている。さらに、この戦略は「新質生産力」と融合するもので、中国共産党が掲げる「国家総力戦構想」と一致しており、戦力構築と経済発展戦略が相関関係にあることを明確化している。
制脳権を中核とした統合
興味深いのは、「制脳権(認知領域支配)」を伝統的な制権(「制空」「制海」「制電磁」など)の上位概念として提示している点だ。これは、戦争において「認知」を中核的な制権として扱い、他の戦力(火力・機動・電磁・サイバー等)と統合して戦うという発想を明確に示している。
こうした考え方は、2023年頃より繰り返し示されており[1]、人民解放軍の採用計画にも反映されている。2025年には、サイバー空間部隊で認知戦(認知安全・技術)分野の人材募集を拡大。さらに、人民解放軍直轄の軍校である国防科技大学の募集要項でも、「認知安全・技術」という新たな専門分野が新設され、人民解放軍が認知領域を重視する姿勢が強まっている。
人民解放軍の認知戦の役割
中国における「認知戦」は、従来から党・軍・国家機関が分担して進めてきた。その中枢は中共中央統一戦線工作部、中央宣伝部、および人民解放軍である。
2023年頃までは、人民解放軍の認知作戦は、三戦(心理戦、舆論戦、法律戦)の発展形として、サイバー戦やAI技術、情報戦を統合して運用されていた[2]。これは、サイバー空間部隊の前身組織である戦略支援部隊のネットワークシステム部の組織構造からも推察される。現在では、中国の学術・軍事研究機関等が従来の認知戦に対し、新たな技術手法を提案している。中でもAIが認知的領域での戦闘の主な原動力となることは以前より指摘されていたこともあり、関連論文は多数発表されている[3]。
人民解放軍の示す「頭脳戦」モデル
人民解放軍73106部隊は2024年、認知域作戦を「双脳(発信者と受信者)の相互作用を基盤とする戦争」と定義し、心理・精神情報の双方向的なフィードバックループ構築を重視するモデルを提示した[4]。
同論文では、左脳を「知性脳(論理・分析)」、右脳を「芸術脳(直観・感情)」と位置づけ、「認知作戦は左右脳の異なる機能を使った相互作用する戦争」と定義し、両者を組み合わせて相手の思考と感情を制御する戦い方を紹介している。
具体的には、「平時からモバイルメディア、ネット、テレビ放送などを活用し、積極的に発信して「ポジティブ・エネルギー」を広め、「頭脳戦の高地(認知領域の優位性)」を先取りし、左脳の基盤となる価値体系(社会の価値観・判断基準)を形成する。」とのことである。
この平時の認知作戦の影響は、西側諸国、日本でも以前より指摘されているためイメージし易い。米SCSPなども中国の認知戦理論の中で、アルゴリズム、個人データ、SNSの推薦機構を駆使した「アルゴリズム認知戦」について言及しており、国際関係、情報戦略、安全保障上の課題となってきていると言えよう。
また、戦時には、戦況に応じてディープフェイクなどの技術を駆使し、テレビやラジオ、ウェブサイト、新聞、スマホ向けの自媒体を通じて「認知的爆薬(情報素材)」を送り出すとしている。加えて、このような前線で心を揺さぶる手法を実現可能な人材や「爆薬(情報素材)」を作成できる人材、戦場証拠を収集・伝送できる人材、世論やメディア管理のできる人材などを育成することも提案している。
※ここでのスマホの自媒体は、スマートフォンを通じて個人または組織が発信できるメディア(動画/ライブ配信/SNS/ショート動画を含む)を幅広く指していると解釈できる。中国国内では、WeChat、Weibo、Douyin(TikTokの中国版)などが含まれることが多い。海外版TikTokをどう捉えているかは、同論文には明確な記載はないが、含まれる可能性は十分に考えられる。
「情報を出さない」ことの武器化
この認知戦では、「何を発信するか」だけでなく、「何を発信しないか」も重要な要素となる。例えば、次の3点は想像しやすい戦略であり、現在の国内の状況と照らし合わせてみると興味深い。
1. SNSの情報露出の調整
SNSの拡大は影響工作の手法に大きな変化をもたらした。その中で、特定情報の露出度の調整により、「見せない情報」をコントロールする。
2. メディア空間における静かな影響力
たびたび「某国に不都合なニュースが報じられにくい」という指摘があるが、これは広告市場、経済依存、政治的配慮等を通じた間接的影響の結果といった面もあるだろう。しかし、「報じない」「語らない」構造は、認知空間に「見えない防壁」を作り、世論の流れを変える典型的な手法でもある。
3. 「ポジティブ・エネルギー」ナラティブの輸出
前出の論文では「弘扬正能量(ポジティブ・エネルギーの拡散)」を強調している。これはナラティブを拡散し、「対立」ではなく 「友好」「経済発展」「共生」といったポジティブなキーワードで満たすことにより、将来的な地政学的対立を鈍化させることを意図している。
これらの戦略は露骨なプロパガンダではなく、「日常の情報流通」に紛れるため、表現の自由が保証される国では対処が難しい。
軍事演習での「沈黙戦術」
実際に、中国の人民解放軍は軍事演習の際に「沈黙・遅延」を戦術として活用し、あえて無通知の運用を行っていることが確認されている。
2024年12月、台湾周辺で実施された大規模な艦艇・機動が観測されたが、中国側は当初、演習の発表を行わず、遅れて曖昧な公式コメントを出した。類似の演習は、2025年2月、4月にも報じられている。
これらの運用に対し、国際メディアは「発表しない」「沈黙する態度」を新たな戦術として論じ、これらが「常態化」や「意思決定攪乱」を狙ったものであると分析している。
終わりに-沈黙を検知する力が鍵
今回の「新質戦闘力」の解説記事の要点は、認知戦を他の多くの領域へ拡張することを中核とし、それを「新質生産力」と併せた点にあると考える。これは軍民融合の深化を示すものであることは明らかで、その一例としてSNS等の商用プラットフォームを介して、情報の「発信」と「沈黙」の両面で認知空間を支配する構想といえる。
こうした戦略に対抗するには、「沈黙」を検知する仕組みと、情報の透明性を迅速に示す仕組み(証拠開示)の両輪が不可欠となる。しかし、それを実現するには国家レベルでの強い意志と体制整備が求められるだろう。残念ながら、現時点でその対策は、一筋縄ではいかなそうだ。
注
