「健全な歴史」のナラティブと戦う「Save Our Signs」とは

まだ撤去されていない看板の記録
米国の有志たちによって2025年初夏に立ち上げられた草の根運動「Save Our Signs(直訳:我々の看板を守れ)」が、人々の関心を集めながら順調に発展している。
このプロジェクトは、トランプ政権が発表した大統領令14253号に対する危機感から生まれたもので、具体的には「撤去される前に撮影した、国立公園などの看板や展示の写真」を収集し、歴史的な記録としてアーカイブ化することを目的としている。今回は、この活動の詳しい内容や背景、現状などについて説明していきたい。
大統領令14253号(Restoring Truth and Sanity to American History)とは?
大統領令14253号とは、トランプ政権が2025年3月に署名した大統領令「Restoring Truth and Sanity to American History(直訳:米国史における真実と健全さの回復)」のことだ。これは米国から「不適切な(反米的な)歴史観を排除し、誇らしい歴史観を取り戻すこと」を目的としている。第一次トランプ政権の際に立ち上げられた1776委員会(歴史教育に関する諮問委員会)の理念を継承するものと言ってよいだろう。
より端的に説明するなら、この大統領令は「米国の歴史をネガティブに伝えるのではなく、偉大な米国の歴史をポジティブに伝えよ」という政府からの通達である。この大統領令に従う形で、全米の連邦管理地の文化的施設(たとえば国立公園、史跡、博物館など)に設置されている看板や展示物の内容が全面的に見直されることとなった。
いまのところ撤去や変更の対象となっているのは、主に「奴隷制度」「先住民に対する迫害」「戦時中の日系人収容」など、米国にとって不名誉な(うしろめたい/反省点の多い)歴史に関するものだが、中には「気候変動」に関するものなども含まれている。
アーカディア国立公園、ジャマイカベイ野生動物保護区、スミソニアン博物館などの施設では、すでに解説パネルや看板の撤去が行われたことが確認されている。そして当然のことながら、多くの歴史専門家家団体、環境団体、人権団体などは、このような動きが「米国史のホワイトウォッシュ」「歴史の改ざん」「不都合な史実の隠蔽」「言論の自由の侵害」などにあたると批判している。
「Save Our Signs」の目的と内容
このような背景で生まれた「Save Our Signs」プロジェクトの目的は極めて単純明快だ。全米の国立公園局の管理下となる領域に設置された看板など、「いまは残されているが、大統領令14253号によって近いうちに撤去される可能性のある文章」の写真を収集し、アーカイブとして保管し共有しようという取り組みである。
(ここで言う「領域」には、国立公園、国定史跡、国定記念物、国立記念碑、国立戦場跡、国立トレイル、国立湖岸、その他の公共の土地が含まれている)
このプロジェクトは市民参加型で、該当する場所を訪問した市民なら誰でも、標識や展示物、プラカードなどに記された「解説の文章」の写真を撮影し、プロジェクトのポータルサイトに投稿することができる。アーカイブに残せる画像は「人物が写りこんでいない写真」「文字をはっきり判読できる写真」という条件が記されているが、画像サイズなどの細かい指定はないので、一般の市民でも気負わずに参加できるだろう。ただし投稿者は、自分の投稿した写真がパブリックドメインとなる(=自由に再利用できる)ことを承諾する必要がある。
公式サイトの説明によると、同プロジェクトのリーダーは図書館職員、歴史研究者、データ専門家たちで、主な拠点はミネソタ大学となっているようだ。「Save Our Signs」の活動について、同サイトでは次のように述べられている。
・真の歴史とは、ただの「幸せな物語」ではありません
・米国の400か所に及ぶ公園局は「米国の歴史を正しく管理し、それを全米国民が学べるようにする」という法的義務を果たすために、たゆまぬ努力を続けてきました
・国立公園から消されてしまうかもしれない標識や展示物、文章を、コミュニティのアーカイブとして保存するという私たちの取り組みにご参加ください
・税金で制作された看板は、公共の財産です
・「全米国民の物語」を守るため、私たちは迅速に行動しなければなりません
現在のところ、どのような場所で撮影された写真が届いているのかは、同プロジェクトのウェブサイトで確認できる。場所のリストだけでなくマッピングされた表示もあるため、その活動が全米の各地に広がっている様子も地図上で見られるようになっている。
ただし実際に投稿された写真は、現在のところ(2025年10月8日執筆)まだ閲覧できない。当然ながら、このプロジェクトは投稿された画像を無条件に公開しているわけではないからだ。
(まったく審査をしないまま公開すれば、たとえばAI生成による偽画像などの悪質な投稿が混ざってしまう可能性もある。また投稿者が「人物が写りこんでいること」に気付かぬまま投稿した写真が公開されれば、プライバシーの侵害にも繋がるだろう)
そのためSave Our Signsでは「2025年9月17日までに収集(投稿)された写真を、10月13日までに公開する」というスケジュールが発表されている。つまり9月17日が「アーカイブ公開のための一旦の区切り日」として設定されている。とはいえ完全に募集が終わったわけではない。Save Our Signsでは現在も写真の投稿を受け付けており、その写真は追って公開されることになる可能性が高い。
現在のプロジェクトの様子と「集まった写真」
2025年の初夏に開始された「Save Our Signs」の活動は、2025年8月末の時点で約5000枚の写真を集めていた。その後も順調に投稿が寄せられ、9月17日(いったんの締切日)までに集まった写真は10,000点に達したと報じられている。また公式サイトの2025年10月5日付のリストによると、これまでに集まった写真の数は10,917点となっている。ただし、これらの中には内容が重複している写真もあるだろう。また「10月13日までに公開されるアーカイブ」に掲載できる写真が、実際に何点となるのかはまだ分からない。
それでも投稿のリストは圧巻だ。まだ現物の画像は見られないものの、全米に点在する358カ所の著名な重要施設で写真が撮影されたことが分かる。このリストによると、投稿された写真の数が最も多かったのは、ニューヨークのエリス島(隣島にある自由の女神像やエリスアイランド国立移民博物館含む)の447点だった。そしてフィラデルフィアのインディペンデンス国立歴史公園(独立記念館含む)401点、サン・アントニオ・ミッションズ国立歴史公園297点が続いている。いずれも米国の歴史を学ぶうえで欠かすことのできない、非常に重要な施設だ。
(ちなみに自由の女神像、インディペンデンス国立歴史公園、サン・アントニオ・ミッションズ国立歴史公園は、すべてユネスコ世界遺産に登録されている)
「米国における日系人の扱い」の記録についても、ベインブリッジ島日系アメリカ人排除記念碑から17の写真が投稿されている。「いやいや待ってくれ、米国と日系人の歴史を学ぶ場所といえばJANM(全米日系人博物館)が最も重要な施設だろう。ここでは一枚も撮影されていないのか?」と不思議に思われた方のためにお伝えしたい。幸か不幸か、JANMの展示施設は大規模な改修のために2025年1月から休館している(2026年再開予定)。つまり大統領令14253号を受けた見直しや撤去が行われるよりも前に、展示物の公開そのものが休止していた。そのため「消されてしまいそうな看板を、いまのうちに撮影してアーカイブ化しよう」というプロジェクトの対象には入らなかった、ということになる。
一方、気候変動に関する解説文はどうだろうか?
たとえば先日は「アーカディア国立公園から、いつのまにか10の解説パネルが撤去されていた」というニュースが報じられたばかりだ。この解説パネルはユニークな形式のもので、国立公園の訪問客に対し「トレイルから外れないで」などの呼びかけをするのと同時に、山頂における気候変動の影響、生態系への配慮の重要性などについても教えてくれる内容だった。
しかし米内務省の副報道官Aubrie Spady(元Fox Newsのジャーナリスト)は、この解説パネルについて「わざわざ税金を使って国民を怖がらせようとする、偏った煽動的な文章」だとコメントし、撤去の必要性をほのめかす発言をした。その後、当該パネルは撤去されたことが報じられている。Save Our Signsのリストによると、このアーカディア国立公園からは2025年10月5日までに54点の写真が投稿されている。問題の解説パネルが、撤去される前のアーカイブ化に「間に合った」のかどうかも、10月13日までには確認できるだろう。
政府による「健全な歴史」のナラティブとの戦い
第一次トランプ政権の1776委員会は、主に「学校教育(特に公立校)における歴史観」に注目し、米国の偉大さを讃えるものに変えようとしていた。一方、今回の大統領令14253号は「国立公園や博物館などの公共空間に掲示される説明」の大規模な撤去や見直しを求めている。
誰もが目にする公共の場から、歴史的な記録や学術的な説明が消去されれば、それが市民の情報リテラシーの低下に繋がることは言うまでもないだろう。そして自国の歴史上のネガティブな側面を丸ごと削除する(解説を撤去する)という行為は、単に「過去の間違いから学べる機会」を奪うだけでなく、都合よく改変されたナラティブを拡散するのに好都合な下地づくりにもなってしまう。
このような取り組みが政府主導で進められる中、Save Our Signsは「消されそうな記録」「自国にとって都合の悪いエピソード」「当時の自国に対する批判的な視点」などの盛り込まれた文章を、いまのうちに残そうとしている。その信念や意義についてはさておき、アーカイブの効果については様々な意見がありそうだ。
なにしろ現在の我々は「もともと実在していなかったものを実在していたかのように見せる画像」をAIで生成できる。そして人々は信じたいものしか信じない。どれほど質の悪い偽情報でも、どれほど信憑性のない話でも、取るに足らないようなAIスロップでも、自分にとって都合のよい(かつインパクトの強い)情報であれば、何も考えずに拡散する人々が後を絶たない。それを思い知らされている状況で、「実在の看板」をいまのうちに撮影することに、どれほどの価値があるのかは分からない。Save Our Signsそのものに圧力がかけられ、すべてのデータが失われる可能性もある。この運動について「いまはただ『壊される前の米国の姿を残す活動に参加したい』という市民の涙ぐましい抵抗」だと見なす人もいるだろう。
これほど切羽詰まった状況の米国を見て、すっかり遠い世界のように感じる人もいるかもしれない。しかし日本の最大政党の新総裁に選ばれたばかりの人物も、「日本の歴史と文化の誇りを強調すべきだ」という立場を明確に示しており、「あいかわらず自虐史観に満ちた教科書が多い」とも発言している。無駄に不安を煽る必要はないとは思うが、それは1776委員会や大統領令14253号の理念と酷似するものだ。日本でもSave Our Signsのような活動を起こせるのか、その場合は何を撮影するべきか、いまから考えてみるのも全くの杞憂とは言い切れないだろう。
ともあれSave Our Signsのアーカイブは、もうすぐ公開される。米国の市民たちが残そうとした自国の歴史の記録や、科学的な解説の文章とはどのようなものであったのか、世界中の人々が一度に確認できる珍しい機会となりそうだ。
Restoring Truth and Sanity to American History – The White House(大統領令14253号の公式文書)
https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/03/restoring-truth-and-sanity-to-american-history/
Save Our Signs公式サイト
Home
https://sites.google.com/umn.edu/save-our-signs/
Photo Counter
(写真が投稿された場所のリストやマッピングは、ここから見ることができたが、アーカイブの公開にともないページが削除されたため。現在は見ることができない)
https://sites.google.com/umn.edu/save-our-signs/photo-counter
(付記:公開されたアーカイブの閲覧とダウンロードはここから行うことができる)
https://sos-sandbox.s3.us-east-2.amazonaws.com/sos-public-viewer/viewer.html
参考資料、引用元
Trump administration says all interpretive signage in national parks under review _ Reuters
https://www.reuters.com/world/us/trump-administration-says-all-interpretive-signage-national-parks-under-review-2025-09-16/
Erasing History, Silencing Science – National Parks Conservation Association
https://www.npca.org/articles/10871-erasing-history-silencing-science
National Parks to Remove Some Materials on Slavery and Tribes – The New York Times
https://www.nytimes.com/2025/09/16/climate/trump-park-service-slavery-photo-tribes.html
Historians hurriedly photograph national park signs at risk of removal
https://www.sfgate.com/national-parks/article/national-park-save-our-signs-risk-removal-21065844.php
Here Are Some of the Signs and Images Removed from National Park Sites
https://www.outsideonline.com/outdoor-adventure/environment/national-park-service-signs-removed/
Save Our Signs Campaign Has Amassed Nearly 5,000 Photos Of National Park Signs
https://www.nationalparkstraveler.org/2025/08/save-our-signs-campaign-has-amassed-nearly-5000-photos-national-park-signs
改修工事について _ Japanese American National Museum
https://www.janm.org/ja/visit/renovation-information
Acadia National Park removes educational signs about climate change, Indigenous history _ New England News Collaborative
https://www.nenc.news/2025-09-25/acadia-national-park-removes-educational-signs-about-climate-change-indigenous-history
Climate change signs removed from Acadia National Park
https://themainemonitor.org/climate-change-signs-removed-acadia/
