アイルランドの「新たな分断」が、デジタル影響工作の標的に

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長年にわたりイギリスとアイルランドとの間に横たわってきた「The Troubles(厄介事=北アイルランド問題の通称)」とはまた別の、新しい種類の「分断」や「対立」が、現在のアイルランド社会を蝕んでいる。国内外のさまざまな勢力がその弱点につけこもうとしており、折しも2026年7月から半年間EU理事会の議長国を務めるアイルランドにとっては、欧州政治の舞台での存在感が増す一方で、サイバー攻撃や認知戦の標的となるリスクも確実に高まっている
本記事は、その「分断」の背景を確認したうえで、国内外の勢力がそれを利用しようとうごめく状況を分析した最新のレポートを紹介していく。

目次

(1)「虎」か「妖精」か アイルランド社会の変質と新たな分断

近年のアイルランド経済は急上昇と急下降を繰り返してきた。1990年代以降、「ケルトの虎(Celtic Tiger)」と称賛される経済成長を遂げたが、2008年のリーマンショックとともに不動産バブルが崩壊し、一時はIMF(国際通貨基金)とEUの支援を仰いで事実上の管理下に置かれる壊滅的な事態に陥っている。

その後、2010年代半ばに奇跡的なV字回復を達成するものの、そこにはからくりがあった。2016年にアイルランド中央統計局が、2015年の実質国内総生産(GDP)の成長率を「前年比26.3%増」という、先進国の経済としては異常な水準で発表した時、ノーベル賞経済学者のポール・クルーグマン(Paul Krugman)は、「Leprechaun economics(レプラコーン経済)」とSNSで嘲笑した(*1)
この数字はアイルランドの生産性の急成長を示すものではなく、欧州最低水準の法人税といった優遇措置で米国の大手テックなど多国籍企業を引き寄せ、会計上の移転をしたものにすぎなかった。クルーグマンはそれを、アイルランドの民話に登場する、黄金を隠し持つ妖精レプラコーンになぞらえて皮肉ったのである。

経済統計がいかに景気の良い数字を示そうと、アイルランド国民には何の恩恵ももたらさない。帳簿上のレプラコーン的繁栄と、国民生活の実態との乖離を示す典型的な例が、深刻な住宅難である。リーマンショック時に国有化された不動産の多くは海外のファンドに買い占められており、そのうえバブル崩壊の反省で住宅ローン規制は厳格化されたため、住宅供給がまったく追い付かず、首都ダブリンでは上昇を続ける家賃を払えず住居を失ったり、海外に流出したりする市民が続出し、社会問題化した。

さらに2022年のロシアによるウクライナ侵攻を受けて、アイルランドは、人口比では最大規模となる10万人単位の移民を受け入れたが、これが前述の住宅不足問題やコロナ禍の医療ひっ迫問題と悪しき化学反応を起こして、凶暴な反移民感情が急速に醸成された。歴史的に極右ナショナリズムが発達しにくい風土のアイルランドであったが、近年は異なる様相を呈している。

国内の分断が進み、国民の不満が鬱積していることを物語る二つの徴候がある。ひとつが、IRA(Irish Republican Army:アイルランド共和軍)と関係が深い、カトリック系のナショナリズム政党、シン・フェイン党(Sinn Fein)の勢力拡大だ。同党は2024年の下院総選挙で初めて英領北アイルランドで議会第一党となり、現在メアリー・ルー・マクドナルド(Mary Lou McDonald)が党首を務めている。

もうひとつ、アイルランド社会の閉塞感を象徴するのが、2025年10月に行われた大統領選だ。アイルランドでは主な行政実務は首相が担当し、大統領は国家元首とはいえ儀礼的な役割を担う存在にとどまる。ただしそれだけに国民の心情も反映されやすい。
今回、大統領の座を争ったのは、政権を担う中道右派フィナ・ゲール(Fine Gael:統一アイルランド党)の副党首ヘザー・ハンフリーズ(Heather Humphreys)と、左派系無所属の下院議員キャサリン・コノリー(Catherine Connolly)だった。コノリーは最大野党のシン・フェイン党他の協力を取り付け事実上の統一左派勢力を形成した結果、無党派層の支持取り込みに成功し、史上最多の得票数となる90万票超え(得票率63%)で圧勝。選挙戦序盤では優位とみられていたハンフリーズをひっくり返した(*2)
このように、生活費高騰などで国民の不満が高まり、フィナ・ゲールやフィアナ・フォイル(Fianna Fail:共和党)といった中道右派が長く差配してきた政権運営への批判が尖鋭化しつつある状況が浮き彫りとなったというのが、現在のアイルランドである

[参照元]
*1:Leprechauns, Effective Tariffs and Inflation
レプラコーン、実効関税、そしてインフレ
https://paulkrugman.substack.com/p/leprechauns-effective-tariffs-and

*2:Connolly declared president of Ireland after landslide win
コノリー氏が圧勝でアイルランド大統領に就任
https://www.bbc.com/news/articles/c4gk2kml122o

(2)「燃料価格抗議デモ」に虎視眈々の極右勢力

米国のイラン攻撃に端を発した、イランのホルムズ海峡封鎖に伴う燃料価格の高騰に抗議して、2026年4月、アイルランドで大規模なデモが勃発した。トラックやバス・タクシーの運転手、農家などが道路を封鎖し、燃料貯蔵施設へのアクセスを妨害。デモ開始から4日間で、全国のガソリンスタンドの3分の1が燃料切れに見舞われ、またダブリン周辺の幹線道路や高速道路は大渋滞となり、国全体の交通が混乱状態に陥った(*3)

最終的に警察の介入により封鎖は緩和されたが、政府は約5億ユーロ相当の支援策で抗議者たちを宥めることを余儀なくされた。この抗議デモはSNSやメッセージアプリを通じて組織されており、特定のリーダーを名指すのが難しいというのがひとつの特徴だ。アイルランド道路運送協会やアイルランド農民協会といった政府公認団体は、公式には抗議行動に関与していない。しかし、法務大臣のジム・オキャラハン(Jim O’Callaghan)は「わが国に損害を与えることを目的とする外部勢力が抗議者たちを煽動している可能性がある」と示唆した(*4)

オスロ大学に設置されたC-REX(Center for Research on Extremism:過激主義研究センター)の研究ブログで、アイルランド政治の専門家ショーン・マクデイド(Shaun McDaid)はこの抗議活動を分析し、「これは単純な『労働者階級の反乱』ではない」と注意を促している(*5)活動の中核に、典型的な労働者階級あるいは左翼と分類できる者はほとんどおらず、むしろ大量の燃料に依存する企業の利益を守ることに重点が置かれていたのが今回のデモの特殊性だという。

マクデイドによれば、この抗議活動はアイルランドの極右勢力にとって好機と映ったが、大きな成果を得るには至らなかったという。アイルランド国内の右派の多くはデモ支持を表明したが、急進右派として影響力を持つ新聞記者出身の陰謀論者ジェマ・オドハーティ(Gemma O’Doherty)が「抗議活動は、市民の生活を妨害し、結局は政府の言いなりになる未熟で恥ずべき行為」と否定するなど、足並みは揃わなかった。
また、海外の煽動者たちも、虎視眈々と状況をうかがっていた。かつてイギリスで極右団体「イングランド防衛同盟(English Defence League:EDL)を創設したトミー・ロビンソン(Tommy Robinson、本名はスティーブン・ヤクスリー=レノンStephen Yaxley-Lennon)らは、この問題への関心を表明しつつも、抗議活動を主導したり支援したりするのでなく、あくまで利用価値という観点で便乗の機会を探っていた。

ただしマクデイドは、今後については保証していない。これまでアイルランドの極右勢力は、都市部の労働者階級をターゲットとして勧誘するのが基本戦略だったが、今回のデモをヒントに、農村部の不満や公共サービス不足の問題を移民問題とリンクさせることで自分たちの存在感を増そうとする可能性もある。また、抗議活動の実働部隊が、規模の大きい極右勢力と合流することで自分たちに欠けていた政治力と組織力を得ようとする展開も、中長期的にはあり得ることだという。

[参照元]
*3:Fuel protests in Ireland continue as pumps run dry, prices rise amid war in Middle East
中東情勢の影響でガソリンスタンドが空に。アイルランドで抗議運動続く
https://www.cbc.ca/news/world/ireland-fuel-protests-9.7160759

*4:What’s behind Ireland’s fuel protests and why they’re escalating
アイルランドの燃料価格高騰抗議デモの背景にあるもの
https://www.independent.co.uk/news/world/europe/ireland-protest-blockade-fuel-explained-military-b2955083.html

*5:The Irish Fuel Protests: A Driving Force for the Far-Right?
アイルランドの燃料価格抗議運動は極右勢力のエネルギーとなるか
https://www.sv.uio.no/c-rex/english/news-and-events/right-now/2026/the-irish-fuel-protests-a-driving-force-for-the-fa.html

(3)外国勢力のデジタル影響工作に本格的に狙われるアイルランド

ロンドンに本部を置き、欧米各都市に拠点を展開する独立系NGOのシンクタンク「戦略対話研究所(Institute for Strategic Dialogue:ISD)」は、情報操作研究の専門家シャーラン・オコナー(Ciaran O’Connor)らによる、アイルランドを標的とした外国勢力のデジタル影響工作を分析した2部構成のレポートを、2026年3月末から4月初に発表した(*6、*7)

2026年7月からアイルランドはEU理事会の議長国を務め、国際政治でより重要な役割を担うことになるのにともない、敵対的な国家や組織からの影響工作のリスクが増すことも確実視される。実際に、最近の理事会議長国を務めたポーランド、デンマーク、キプロスはいずれも、議長国在任中にサイバー攻撃や認知戦による被害を受けている。
ISDは、ヨーロッパ諸国における「外国による情報操作および干渉(Foreign Information Manipulation and Interference:FIMI)」について調査研究してきた。アイルランドを標的としたFIMIについては、まだ十分な分析がなされていないが、今回のレポートはそれを補うものとして試みられている。

(i)イランの情報工作

レポートの1本目は、イランの工作を集中的に分析している。ISDが参照したOpenAIおよびクレムソン大学(Clemson University)の調査によると、今回特定されたイランの工作アカウントは、イランのイスラム革命防衛隊(Islamic Revolutionary Guard Corps:IRGC)と関係のある情報組織「ストーム2035(Storm-2035)」のものである。ストーム2035のアカウントは2024年8月から活動を開始し、2026年2月までに5,000回以上の投稿を行った。

ISDは、ストーム2035が発信したストーリーの内訳も分析している。約25%はアカウントの「一般人らしさ」を偽装するための、スポーツの話題や名言の引用などである。また約25%がアイルランドに言及し(南北の再統一など)、残りの約50%がパレスチナ、イスラエル、イランなどに関連する国際的なニュースに触れていた。
アイルランド関連の投稿は、自分たちの身元や目的をカモフラージュするためのものと思われ、本線の国際政治関連の投稿は、「ガザの悲惨な状況はイスラエルとアメリカに責任がある」という主張や、イラン政権への支持、暗殺されたイラン革命防衛隊司令官ガーセム・ソレイマーニー(Qasem Soleimani)を讃えるなどの内容となっていた。
またOpenAIの調査によると、ストーム2035がXに投稿したコンテンツは生成型AI のChatGPTを使用して作成されている。ストーム2035のアカウントは話題のハッシュタグに便乗し(Hashtag Hijacking)、アイルランドの政治や文化に関するコンテンツと並べて、自分たちのメッセージを紛れ込ませており、アイルランド人を装うよう設計されたプロンプトが使われている可能性がある。

(ii)ロシアの情報工作

ISDが、ロシアの国営メディアおよび関連メディアと判定したアカウントは、2025年の1年間、アイルランドに関する言説を積極的に拡散していた。内容は移民問題に集中しており、その言説の特徴は、非西洋諸国からアイルランドへの移民を「侵略」と定義し、アイルランドの白人が脅威にさらされていると煽り立てることだ。アイルランド国内の右派や保守層の不安や苛立ちを刺激する戦略である。
2025年10月に、ダブリンの難民収容施設付近で10歳の少女が性的暴行を受けたとされる事件が発生し、抗議者と警察との間で激しい衝突が起きた。ロシア国営メディアは、この騒乱の様子を伝える映像を繰り返し放映し、「アイルランド国家の脆弱性」の証左として拡散に努めた。これはロシア国営メディアが、米国など西側諸国の社会不安を喧伝するキャンペーンと同一の手法である。
また、ロシア寄りの言動で知られるアイルランド人ジャーナリストのチャイ・ボウズ(Chay Bowes)を担ぎ出し、「大量移民はEUがアイルランドに押し付けた詐欺である」といった主張を、ウクライナ政府批判を織り交ぜながら拡散した。

(iii)中国の情報工作

ISDは、中国政府系メディアと特定されるアカウントの投稿も抽出しているが、イランやロシアと比較して、その動きは地味である。しかし中国政府系のメディアやネットワークが世界中でその影響力をふるっていることは周知の事実であり、ISDは「中国政府系アカウントのアイルランドにおける関与が最小限にとどまっているのが、戦略的な計算に基づくものなのか、単なるデータ不足なのか、さらなる研究が必要である」としている。

(iv)ISDの結論

ストーム2035と思われる怪しいアカウントのエンゲージメントは、僅かなものにとどまったと推測されている。とはいえ18カ月以上にわたり、アイルランドが国家的な情報工作の対象になっていた事実自体が重要な問題である。
「その全貌は現時点で明らかになっていないが、アイルランドが既に外国勢力の情報工作の標的にされている状況は浮き彫りになっている」と、ISDは報告を結んでいる。

アイルランド政府が2025年に公表した「偽情報対策の国家戦略(National Counter Disinformation Strategy)」では、政府がFIMIに対して国家レベルで対抗することがうたわれている(*8)。今こそ、このコミットメントの実効性が問われている。

[参照元]
*6:Irish unity, Palestine and Soleimani: Analysis of an Iranian information operation targeting Ireland
アイルランド統一、パレスチナ、ソレイマーニー:アイルランドを標的としたイランの情報工作の分析
https://www.isdglobal.org/digital-dispatch/irish-unity-palestine-and-soleimani-analysis-of-an-iranian-information-operation-targeting-ireland/

*7:Foreign actors and foreign influence: An exploratory analysis of international state actors targeting Ireland in 2025
2025年にアイルランドを標的とした外国勢力の探索と影響力の分析
https://www.isdglobal.org/digital-dispatch/foreign-actors-and-foreign-influence-an-exploratory-analysis-of-international-state-and-son-state-sctors-targeting-ireland-in-2025/

*8:National Counter Disinformation Strategy
偽情報対策の国家戦略
https://assets.gov.ie/static/documents/20250416_National_Counter_Disinformation_Strategy_-EN-_Final.pdf

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この記事を書いた人

ビジネス系週刊誌ライターや不動産情報サイトのコンテンツ制作など、編集・執筆業務に25年以上従事。サイバーセキュリティ領域の動向を、旧来の「知」がテクノロジーの進化で変容・解体されていく最前線として注視しています。

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