秘匿された「Department No. 4」――名門工科大学に組み込まれたGRU人材育成ルートが示すロシアの戦争国家化

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モスクワの名門工科大学バウマン大学には、秘匿された部門「Department No. 4」がある。
そこでは成績優秀な工学系学生が、在学中にパスワード破り・ウイルス作成・サーバー侵入を学び、さらには卒業と同時に Fancy BearやSandworm の名で知られるGRUのサイバー部隊へ送り込まれているという。

中央・東欧の調査報道ネットワークであるVSquareは、2026年5月7日、Le Monde、Der Spiegel、The Insider、The Guardian、Delfi Estonia、FRONTSTORY.PLとの共同調査を発表した。

バウマン・モスクワ国立工科大学の内部に、ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)向けの人材を育成する非公開部門が存在するという報道で、調査は2,000件以上の流出内部文書に基づくものとされる。
非公開の部門は「Department No. 4」とされる。
バウマン大学の公開サイトの組織図一覧には記載がない部門だ。
https://vsquare.org/welcome-to-the-gru-university-where-moscow-turns-students-into-spies-and-hackers-bauman-stupakov

目次

軍学校ではない名門工科大学

バウマン・モスクワ国立工科大学は、1830年創設のロシア有数の名門技術大学である。VSquareによれば、現在はモスクワ東部のキャンパスで3万人以上が学び、同大学のコンピューターサイエンス系学部は旗艦的な存在とされる。卒業生の多くは、ロシアの主要テック企業に進むという。

バウマン大学は軍人養成を目的とする軍学校ではない。一般の学生が工学、情報、航空宇宙、機械、通信などを学ぶ国立の名門工科大学である。その一方で大学には軍事訓練センターが置かれている。

バウマン大学軍事訓練センターの公開サイトによれば、同センターはロシア連邦軍向けに、契約軍務に就く将校の養成や、予備役将校・軍曹・兵の教育を行っている。2019年に一般の高等教育機関における軍事教育再編に伴い、大学付属の軍事訓練センターとして設置された。
https://mil.bmstu.ru/about

公開サイトの奇妙な空白

バウマン大学軍事訓練センターの公開サイト内の組織図には複数の部門が掲載されている。そこには、無線技術部隊、宇宙軍・ミサイル防衛、対空ミサイル部隊、一般軍事訓練、空軍、通信などに相当する部門が並ぶ。

前項でも触れたように、組織図の一覧に「Department No. 4」は出てこない。
しかし、「Department No. 4」のページそのものは存在しているのだ。
ただし、そこで表示されるページは空白だ。他の部門のように部門の任務、カリキュラム、教員、学生募集に関する説明は掲載されていない。
https://mil.bmstu.ru/vk4

「Department No. 4」で何が教えられているのか

VSquareの共同調査によれば、この「Department No. 4」は将来のロシア軍事情報将校、特にハッカーを養成する部門だという。

教育課程には三つの分野があるとされる。

  • 敵の情報・技術的な働きかけに対抗するための運用と防護
  • 情報システムを守るための防御的サイバーセキュリティ
  • 諜報活動

諜報活動の項目からもわかるように、学生は通常のサイバーセキュリティ科目を学ぶだけではない。流出したPDF形式の講義資料によれば、米国防総省の保護されたコンピューターネットワークの詳細な仕組みや、Metasploit(脆弱性検証や侵入テストに使われるソフトウェア)を用いた脆弱性の悪用も扱われているとされる。

例えば「Countering Technical Intelligence」と題された科目では、学生が2学期にわたり合計144時間をかけて、現代のハッカーのハッキング技術を学ぶとされる。
そこには、パスワード攻撃、DDoS攻撃、既知のIT脆弱性の悪用、トロイの木馬など、実践的な侵入テストが含まれる。実際に学生がテストサーバーをハッキングする課題もあるという。

また授業には実験心理学、SNS向け動画の制作、情報戦、操作的な宣伝キャンペーンの設計も含まれる。あるシラバスには、社会的な「ホット」トピックへの支持または反対を誘導するため、操作的手法を用いたSNS向け動画を制作する内容が記されているという。

つまり「Department No. 4」で学ぶ内容は、サイバー防御の専門教育だけではなく、侵入、破壊、攪乱、監視、心理操作、宣伝などあらゆる技術を横断する、軍事情報活動のための総合的かつ攻撃的な教育であるということだ。

卒業後の配属先――GRUサイバー部隊の内実

調査によれば、バウマン大学では毎年10~15人の学生が、卒業前からGRU(ロシア軍参謀本部情報総局)の部隊に配属予定として割り当てられている。
配属先には、Unit 26165やUnit 74455などが含まれるとされる。

Unit 26165
英政府がAPT28、またはFancy Bearとして知られるサイバー攻撃グループの実体とみなしているGRU部隊である。
英政府が2025年12月に更新した政策文書では、同部隊について2015年のTV5 Monde攻撃、2017年のエマニュエル・マクロン陣営関連メールのハッキングと流出、2024年パリ五輪・パラリンピック関連組織への攻撃への関与を指摘している。

Unit 74455
SandwormやVoodooBearとして知られるGRU系サイバー部隊である。
英政府は同部隊を、重要インフラや産業制御システムを主な標的とする破壊的サイバー作戦部隊と位置づけている。同政策文書では、2015年のBlackEnergyによるウクライナ電力網攻撃、2016年のIndustroyer、2017年のNotPetya、2018年の平昌冬季五輪・パラリンピックへのOlympic Destroyerなどへの関与が指摘されている。

https://www.gov.uk/government/publications/profile-gru-cyber-and-hybrid-threat-operations/profile-gru-cyber-and-hybrid-threat-operations

象徴的な学生、ダニイル・ポルシン

共同調査でGRUの部隊に配属された学生の事例として取り上げているのが、ダニイル・ポルシンだ。ポルシンはシベリアのイルクーツク出身で、2018年から2024年までバウマン大学で学んだ25歳の工学系学生だった。成績優秀で大学のフットボールチームにも所属していたという。

この優秀な学生ポルシンが大学で学んだ内容は、通常のサイバーセキュリティ科目にとどまらなかった。
「パスワードを破る」「ウイルスを作る」「サーバーをハッキングする」
そういった攻撃的なハッキング技術も学んだ。
そして2024年の卒業後、ポルシンはGRUの「Unit 26165」に加わったと共同調査は報じている。

内容と照らし合わせれば、ポルシンは「Department No. 4」に所属していた可能性がある。
だとすれば、この事例は「Department No. 4」の性格を端的に示している。
成績優秀な工学系学生が、在学中に高度なサイバー技術を学び、卒業後にGRUのサイバー部隊へ進む。そこには、大学教育と軍事情報活動との濃密な連続性が存在している。

技術教育に溶かし込まれる毒

今回の共同調査によって判明した中で、さらに深刻なものがある。
技術教育と並行して学生に刷り込まれるものだ。
それは陰謀論的言説だ

調査によれば、教材で以下のような主張を教えられるという。

  • ウクライナが核兵器を求めている。
  • 欧米が1990年代と2000年代にロシアを破壊しようとしてきた。
  • ドンバス地域のロシア系住民は欧州諸国に支援された「ジェノサイド」の危機にある。

ロシア語圏サイバー空間を専門とするフランスの地理学者ケヴィン・リモニエは、こうした国家主導の陰謀論が、プーチン体制の戦争正当化の枠組みを支えていると見る。
VSquareの共同調査は、リモニエの見解として、こうした虚偽の言説は一般国民向けの宣伝にとどまらず、国内のエリート層の間でも繰り返されていると紹介している。本当に信じているかどうかにかかわらず、国家主導の言説を反復することで体制への忠誠を表明できるからだという。

ここに「Department No. 4」の根深い問題がある。
攻撃的サイバー技術や諜報技術は、それ自体が侵略的な能力である。
その高度で侵略的な技術教育を受ける学生が、同時に国家に都合の良い陰謀論を内面化する。
結果、サイバー攻撃、情報操作、監視、宣伝といった行為について自己判断することなく、祖国防衛や歴史的使命として、半ば洗脳的に理解してしまう可能性がある。
これは技術エリートの軍事化であると同時に、政治的動員とも言える。

曖昧になる大学と秘密工作機関の境界

大学が軍事研究や安全保障分野に関わること自体は、ロシアに限らず多くの国で見られる事例だ。宇宙、通信、暗号、AI、サイバーセキュリティは、もともと民生と軍事の境界が曖昧な領域である。

米国ではNSA(アメリカ国家安全保障局)が運用するNational Centers of Academic Excellence in Cybersecurityがあり、大学などと協力してサイバー教育の基準づくりや人材育成を行っている。
英国のNCSC(国家サイバーセキュリティセンター)も、大学のサイバーセキュリティ関連学位を認証している。
日本でも防衛大学校のように、国家安全保障と高等教育が直接接続する例はある。ただし、防衛大学校は将来の幹部自衛官を教育訓練する防衛省の施設等機関であり、米英のように一般大学のサイバー教育を国家安全保障機関が制度的に評価・認証する仕組みとは性格が異なる。
形は異なるが、これらはいずれも国家安全保障と大学教育が接続する例であり、公開された制度として運用され、制度上は防御、教育、人材育成を目的とする。

バウマン大学の「Department No. 4」が異質なのは、非公開の部門が、攻撃的サイバー技術、諜報、心理操作、宣伝を教え、卒業生をGRU部隊に送り込む構造として報じられている点にある。その関係性は、大学が軍事技術に協力しているというより、大学教育そのものが軍事情報機関の人材育成機能を担うという構造だ。

この構造は知の公共性を弱体化させる可能性がある。
大学とは本来、批判的思考、検証、公開性を重んじる制度である。しかし、教育が秘密工作機関への選抜と接続され、講義内容にプロパガンダが組み込まれれば、大学に本来求められる批判精神、検証可能性、公開性は薄められていく。

社会制度の内部に入り込む戦争の種

これまで見てきた「Department No. 4」をめぐる報道が示す危うさは、大学が軍事情報機関の人材育成機能を担うことで、大学の本来の意味が失われることだけではない。
もっとも危ういのは、戦争が日常を浸食することだ。

戦争の決断と継続は軍事力だけで決まるものではない。世論は大きな影響を及ぼす。
影響の仕方は異なりはするが、ロシアでもそれは同じだ。
戦争が長引けば長引くほど、世論の影響は無視できなくなる。

だが、バウマン大学のような事例があらゆる分野や階層に拡張していけばどうなるだろう。
あらゆる分野や階層に存在するはずの戦争を抑止するストッパーが緩んでいくことになる。
戦争を止める社会的ブレーキは錆びつき、効かなくなっていく。

大学が批判的思考の場ではなく、国家作戦の人材供給装置として機能し、
メディアが検証ではなく動員の道具となり、
企業が民生技術を通じて軍事作戦を支えれば――。
国家は安易に戦争を選び、そして継続しやすくなる。

ロシアのような核兵器を持つ大国が、こうした本質的な意味で軍事化を進める危険性は国内問題にとどまらない。
戦争への抑止力を失った大国ほど危険なものはないだろう。

人による厄災は、突然現れるわけではない。
制度の中で準備され、教育の中で正当化され、技術の中で実装される。
今回のVSquareの共同調査が示したのは、その始まりの一端なのかもしれない。

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この記事を書いた人

脳と心のメカニズムに惹かれ、神経科学や認知の分野を中心に執筆。
複雑な現象に潜む共通性や、本質的な問いを掘り下げることを大切にしています。
情報が溢れるこの時代にこそ、選ぶべきものより「捨てるべきもの」を見極める思考が必要だと感じています。
記事を通じ、新しい認知や価値観に目を向けるきっかけを届けられたら嬉しいです。

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