哲学が値札を持つとき:AI企業との結びつきと、利益相反開示という宿題

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2026年7月、300名を超える哲学者が、自らの学術誌に対して、利益相反(COI。企業からの資金提供など、研究の公正さを疑わせかねない利害関係のこと)の開示を義務づけるよう求める公開書簡を出した[1][2]。医者や政治家、科学者や研究者にそれが必要とされるのなら、哲学者も例外ではないはずだ、という主張である。一見すると地味なこの要求は、しかし学問と産業の関係が静かに変わったことを映している。哲学はいま、AIが意識を持ちうるか、チャットボットに権利があるかといった問いを論じている。最先端のAI企業は、ほかでもないその問いのために、高額の報酬を払って哲学者の助けを求めている[1]。にもかかわらず、経済学や医学の学界が制度として整えてきたCOI開示を、哲学の学界はほとんど持たないままでいる。

目次

1. 距離が縮んだ5年

哲学と産業は長く距離を保ってきた。抽象的で概念的なその営みは、製品や利益とは縁遠いと見なされてきたからである。だがこの5年で、両者の距離は急速に縮んだ。書簡を共同で立ち上げたカリフォルニア大アーバイン校のケイリン・オコナー(Cailin O’Connor)は、Science誌の取材に「この5年で、産業界と哲学のつながりは格段に増えた」と語る[1]。需要はAIにとどまらず、気候変動から偽情報まで広がっている[1]。最先端のAI企業は高額の報酬を払い、技術が抱える最も厄介な問いに哲学者の助けを求めている[1]

それでいて、大半の科学分野とは違い、哲学の学術誌が著者に産業とのつながりなどのCOI開示を求めることはまれである[1]。距離が縮んだのに、それを可視化する仕組みがない。書簡はこの空白を突いた。

2. 企業の中の哲学者

結びつきは抽象的な懸念ではなく、すでに具体的な形をとっている。AI企業のAnthropicは、社内の哲学者チームにチャットボットClaudeの「憲法」を書かせている[1]。この文書をAnthropic自身は「Claudeの価値観と振る舞いに関する当社の意図を詳述したもの」と位置づけ、「Claudeに向けた我々のビジョンの最終的な権威」だと述べる[3]。主筆はAnthropicのアマンダ・アスケル(Amanda Askell)だという[3]。公開されているその憲法は84ページに及び、同社は他のすべての指針や訓練をこれに整合させることを目指すという[3]

さらにAnthropicは2025年、AIそのものの「福祉(model welfare)」を扱う研究プログラムを社内で始めたと公表した[4]。その関心は、AIの選好や苦痛の兆候にどんな意味がありうるか、実務的で低コストの介入は何かにまで及ぶ[4]。もっとも同社は、現在または将来のAIが意識を持ちうるか、考慮に値する経験を持ちうるかについて「科学的な合意はない」とも認めている[4]。直接の雇用だけではない。コンサルティングや助成金、フェローシップといった形でも、哲学者と産業の関わりは広がっている[1]

利害と問いは、こうしてすでに絡み合っている。ただし、企業がその問いを都合よく閉じていると即断することもできない。

3. 先行分野が築いた開示の制度

開示が必要とされるのは、この結びつきが無害では済まないからである。オコナーは、こうした関係には一度踏み込むと歯止めが利きにくくなる危うさがある、とも言う[1]。企業は最終的に製品と利益を追求しており、尊敬される学者との提携はその取り組みに正当性を与える。彼女はこれを「評判の武器化(weaponization of reputation)」と呼ぶ[1]

十分な産業資金は、個々の研究者の結論を必ずしも変えなくても、分野全体の研究の重心を動かしうる。その悪名高い例がタバコ産業である。タバコ企業はかつて、肺がんの別の原因、たとえばアスベストの研究に資金を提供した。個々の研究をゆがめなくても、別の原因の研究が増えれば、タバコを名指す証拠は全体の中で埋もれ、因果の輪郭がぼやける[1]。「不正な研究をしろと金を渡すわけではない」とオコナーは言う。「『君はこのテーマの人だ、良いテーマだ、もっと多くの人にやってほしい、だから資金を出す。会議を開き、学生を増やし、論文を書き続けてほしい』と言うのだ」[1]

もっとも、タバコ産業の例を哲学とAI企業の関係にそのまま重ねるには限界がある。両者を同じ構図と断じるのは行き過ぎだ。それでも、資金が個々の研究者の結論を書き換えなくても、問いの分布を静かに変えうることは、分野を問わず変わらない。

他の分野は、この種の問題に制度で応えてきた。経済学では、米国経済学会(AEA)が2012年に開示ポリシーを導入したとされる[5]。報じられるところでは、2010年の映画『インサイド・ジョブ』が経済学者と金融業界の不透明な関係を暴いたことが、その引き金になった[5]。ポリシーは、論文に資金源を明記し、過去3年で1万ドル以上の重要な資金提供を受けた利害関係者を開示し、第三者が公表前に論文を閲覧する権利を持っていたかどうかまで申告するよう求める。公表された論文については、こうした開示がすべて公開される[5]。医学分野でも、医学雑誌編集者国際委員会(ICMJE)が統一開示様式を運用している[5]。日本でも、日本医学会が2011年から医学研究の利益相反を管理する指針を整え、名称を変えながら現在の「日本医学会 COI管理ガイドライン」として2025年にも改定している[6]

こうした制度と比べたとき、哲学の学界の立ち遅れはいっそう際立つ。この5年で産業との結びつきは急速に深まったのに、著者に開示を求める規定を持つ哲学の学術誌は、いまなお少ない[1]

4. 書簡が開いた論点と、論争の現在地

書簡の要求は具体的である。著者本人または近親者が、研究に関係する産業と、資金提供、雇用、無償の協働や助言、投資などの金銭的な関わり、そのほかの関わりを持つかどうかを申告する。過去に公表した論文にさかのぼって開示し、その内容を公表記録に加える。開示を怠った場合には、訂正や、場合によっては撤回の方針を設ける。書簡は、こうした仕組みを各誌に求めている[2]。それは哲学研究の健全性を守り、哲学的探究に対する社会の信頼を保つ助けになる、と書簡は述べる[2]。署名は現在までに300名を超え、その中にはハーバード大のナオミ・オレスケス(Naomi Oreskes)のような著名な研究者も含まれる[1][2]

導入は一筋縄ではいかない。哲学の学術誌には、著者と査読者、担当編集者が互いに匿名を保つ三重盲検(triple-blind)査読の長年の伝統があり、開示がこれと衝突しかねないとの懸念がある[1]。開示は学術誌にとどまらず、学会の大会や専門団体、大学の学科にも及ぶべきだ、さらに将来は産業と似た影響力を持つ私的財団の資金も対象にすべきだ、という声もある[1]

問いそのものの正しさと、そこに利害が混じることとは、別の問題である。プリンストン大のメル・アンドリューズ(Mel Andrews)はScience誌の取材に対し、AIマネーの流入が、AIの意識やチャットボットの権利といった、開発者が推したい問いへの注目を促していると述べ、そうした問いを「ばかげた非哲学的な問い」と評した。今のAIを実際より「超知能」に近いものと見せることで企業の商業的利害に資しかねず、より差し迫った社会的影響の問いから目を逸らすことにもなりかねない、とアンドリューズは見る[1]。だが、AIの意識や福祉をめぐる議論には、企業から独立した学術的な蓄積も、その問い自体への批判も存在する。予防的にAIの福祉を真剣に受け止めるべきだとする議論があり[7]、逆に、AIの福祉は設計上の選択にすぎず外的な検証を欠くと切り捨てる論考もある[7]。問いを企業が作り出したと単純化することはできない。

生命倫理学者でニューヨーク大のマシュー・リャオ(Matthew Liao)は、書簡を「名指しで辱めるため」ではなく学術規範を強めるためのものだと説明する。「学界では、本当に真実であることを大切にする。金銭的なつながりのせいで、それが曇ったり偏ったりしてほしくない。開示は、何か悪いことをしたという意味ではない」[1]。共同組織者のクレイグ・キャレンダー(Craig Callender)は、より端的にこう述べる。「哲学は分野として大人になる必要がある」[1]

5. 私見

COI開示を求めるこの公開書簡が試しているのは、制度の空白を、危機が起きる前に埋められるかどうかである。経済学の学界では、社会の批判を経て開示の制度が整えられたと報じられる。医学の学界にも同様の制度がある。哲学の学界には、まだそれがない。

これは日本にとっても、まったくの対岸の火事ではない。AI企業が社内の哲学者に「憲法」を書かせるような英米型の直接の結びつきは、日本では、報じられている範囲ではまだ見当たらない。だが日本でもAI事業への投資は活発で、たとえばソフトバンクは2025年、OpenAIと企業向けAIの合弁会社を設けた[8]。日本で先に問われるのは、哲学の学会誌よりも、AIの政策や実務を助言する場のほうかもしれない。政府の「AI事業者ガイドライン検討会」の委員には、一橋大と慶應の法学や政策の研究者が、Preferred Networksや日本IBMといったAI開発企業の関係者と並んで名を連ねる[9]。企業でも、富士通は法学や生命医学の研究者、ジャーナリストなど、分野横断の外部有識者を招くAI倫理委員会を設けている[10]。書簡が哲学に求めるような利害の開示は、こうした助言の場にも見当たらない。開示すべき利害が生まれつつあるのに、それを可視化する制度は、まだ用意されていない。

もっとも、そもそも哲学に開示など要らない、という反論はありうる。哲学の産物は公開された論証であり、その当否は誰でも検証できる。資金源を理由に論証を疑うのは、人ではなく議論を見よという学問の作法に反する。だが、開示が守ろうとするのは個々の論証の妥当性ではない。どの問いが立てられ、誰の声が大きくなり、誰の名が企業の実践に正当性を与えるのか、という議題設定の水準である。そこでは、論証を後から検証できることは歯止めにならない。

開示は解決ではなく、最低条件にすぎない。資金がアジェンダを動かす力そのものは、開示があっても残る。それでも、哲学の学界には、その最低条件すらほとんど整っていない。哲学者が値札を持つことそのものは、恥ずべきことではない。問われているのは、その値札を見えるようにしておく仕組みを、学問の側が自ら用意できるかどうかである。

【注】

[1] Celina Zhao「Philosophers call for their journals to require conflict of interest disclosures」Science、2026年7月6日、https://www.science.org/content/article/philosophers-call-their-journals-require-conflict-interest-disclosures

[2] 「Open Letter about Industry Funding and Disclosure in Philosophy」(公開書簡)、2026年、https://docs.google.com/document/d/e/2PACX-1vR8EKzJIDXUWk9WZM4qV_RWzHGnpkxlKTP6uC8jP_uSVo8Bgf1cOEfeF1UY1G-QTFExTfpJVIElDdH7/pub

[3] Anthropic「Claude’s Constitution」2026年1月、https://www.anthropic.com/constitution

[4] Anthropic「Exploring model welfare」2025年4月24日、https://www.anthropic.com/research/exploring-model-welfare

[5] American Economic Association「Disclosure Policy」、https://www.aeaweb.org/journals/policies/disclosure-policy / International Committee of Medical Journal Editors「Disclosure of Interest」、https://www.icmje.org/disclosure-of-interest/

[6] 日本医学会「日本医学会 COI管理ガイドライン」(前身「医学研究のCOIマネージメントに関するガイドライン」2011年初版、2017年3月に現名称へ改称、2025年6月一部改定)、https://jams.med.or.jp/guideline/

[7] Robert Long ほか「Taking AI Welfare Seriously」2024年11月4日、https://arxiv.org/html/2411.00986v1 /「Position: AI Welfare Is Bullshit」、https://philarchive.org/archive/XIAAWI

[8] ソフトバンクグループ/ソフトバンク「OpenAIとの合弁会社『SB OAI Japan 合同会社』設立」2025年11月5日、https://group.softbank/news/press/20251105

[9] 経済産業省、IPA/AISI「AI事業者ガイドライン検討会」(委員名簿)https://www.ipa.go.jp/disc/committee/expert-group-on-aigfb.html (2026年7月13日閲覧)

[10] 富士通「AI倫理ガバナンス(富士通グループAI倫理外部委員会)」https://global.fujitsu/ja-jp/technology/key-technologies/ai/aiethics/governance (2026年7月13日閲覧)

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この記事を書いた人

大学で哲学を専攻。偽情報や陰謀論がなぜ広まり信じられるのかに関心を持っている。サイバーセキュリティや認知戦にも興味がある。

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