男性主義的政治が極右とマノスフィアを接近させる

1 はじめに
今回は、Taylor and Francis Onlineに掲載されたレポート「Masculinity, masculinist politics, and political extremism( https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/09589236.2026.2654169 )」を紹介する。
近年、西洋社会において、若年男性の極右支持の拡大と、オンライン空間における男性権利運動、いわゆる「マノスフィア」の拡大という二つの現象が並行して進行している。前者は主として民族や移民をめぐる政治的対立に関わり、後者は女性やジェンダー関係をめぐる不満や対立を軸として展開してきたものであり、両者は本来、異なる領域に属する現象である。しかしながら本レポートは、こうした異なるはずの2つの領域が接近しつつある可能性を指摘する。本稿では、このようなマノスフィアと極右の接近という現象に着目し、その背景および構造を整理する。
2 マノスフィアとは
前提として、マノスフィアと極右は完全に重なり合うものではなく、歴史的にも多くの男性権利活動家が極右政治と特段の結びつきを持たないことが指摘されている。
「マノスフィア(Manosphere)」とは、男性至上主義や伝統的な性別役割を強調し、女性蔑視的な言説を伴うオンライン上のコミュニティの総称である。INODSの過去のレポート「ドイツにおけるManosphere オンラインの女性差別」( https://inods.co.jp/topics/news/6455/ )では、「マノスフィア」内部には複数のサブグループが存在し、「インセル(非自発的独身者)」のように自らの不遇の原因を女性に帰し、それが差別的・暴力的言動に発展しうるものや、男性の権利が不当に軽視されていると主張する運動などが含まれると説明する。また、これらのコミュニティは必ずしも一貫した思想を持つわけではないが、女性に対する敵対的態度を共有することで緩やかに結びついているとされる。
これに対し、極右は主として民族的少数者や移民に対する敵意を中心に構成される。本レポートは、極右はこれらの集団を脅威あるいは危険な存在として位置づけることで、自らの政治的主張を形成しているとする。すなわち、マノスフィアが女性やジェンダー関係をめぐる不満を軸とするのに対し、極右は民族や移民といった外部集団への敵意を主軸としているのであり、両者は敵視の対象および問題設定において明確に異なっており、本来は異なる領域に属する現象として区別される。
3 媒介者としての男性主義的政治
前章で述べたように、マノスフィアと極右は本来、敵視の対象や問題設定において異なる領域に属している。しかし本レポートは、こうした相違にもかかわらず、両者のあいだに一定のイデオロギー的な収斂が見られると指摘する。その接続点として位置づけられているのが、「男性主義的政治(masculinist politics)」である。男性主義とは、男性の支配を正当化し自然化するイデオロギーであり、男性性そのものとは区別される。それは、男性性に結びつけられた価値や思考様式を普遍的かつ中立的なものとして位置づけることで、男性の優位を維持しようとする枠組みである。このような男性主義的政治は、暴力的なサブカルチャーに限定されるものではなく、極右ポピュリズムや反ジェンダー運動、さらには男性権利運動にも広く浸透しているとされる。
具体的な接近の構造としては、以下の4つが挙げられる。
接近の構造①:共通する「男性性の喪失」物語
本レポートは、極右とマノスフィアの双方において、男性が本来持っていたはずの地位や力が失われたという認識が広く共有されていることを指摘する。そこでは、フェミニズムやジェンダー平等の進展が、男性性を周縁化し弱体化させた原因として語られる。このような語りは、男性を被害者として位置づけると同時に、「失われた男らしさ」を回復すべきだという要請へとつながる。本レポートではこうした物語を「再男性化(remasculinization)」と呼び、極右とマノスフィアの双方で共有される基盤になっていると指摘する。
接近の構造②:多様な形態の男性主義
本レポートは、男性主義的政治が単一の形をとるわけではないことを強調する。
まず極右について、本レポートはそれ自体が「異質で分断されながらも相互につながった領域」であると位置づける。議会政党から過激な運動体まで幅広いアクターを含み、それぞれが異なる形で男性主義的政治を表現している。例えば、露骨な女性蔑視を掲げる集団もあれば、LGBTQの権利言説を利用して反移民・反イスラムを正当化する「ホモナショナリズム」を採用するもの、あるいは表面的には男女平等を装うものも存在する。しかしこうした差異にもかかわらず、男性を「保護者」や「家計の担い手」として理想化する点で、男らしさの規範は驚くほど収斂しているとされる。
同様に、マノスフィア内部もまた一枚岩ではない。本レポートによれば、性的関係をめぐる不満に焦点を当てるグループがある一方で、経済的疎外や社会的地位の低下に対する憤りを中心とするグループも存在する。さらに、インセルのように女性への暴力を正当化する極端な立場もあれば、露骨な女性嫌悪を否定しつつも「現代社会は女性を優先し男性を軽視している」と主張する潮流も確認される。つまり、マノスフィアにおける男性主義的政治もまた、単一の形ではなく複数のバリエーションを持っている。
しかし、こうした差異にもかかわらず、両者は男性の優位性の正当化や男性の権力回復という方向性においては共通している。したがって、こうした多様性は分断ではなくむしろ接近を可能にする補助軸として機能していると位置づけられる。
接近の構造③:感情(affect)の政治
本レポートはさらに、男性主義的政治が単なる理念ではなく、強い感情に支えられていることを指摘する。怒り、不満、被害者意識、さらには連帯感や帰属意識といった感情は、男性としての主体性を形成し、政治的動員を促す重要な要素となる。例えば、「男性が不当に扱われている」という感覚は、単なる認識ではなく情動的な経験として共有され、それが政治的過激主義への関与を支える基盤となる。原文が示すように、このような感情は周縁的な現象ではなく、極右とマノスフィア双方において中心的な役割を果たしている。
接近の構造④:オンラインとオフラインの融合
また本レポートは、男性主義的政治の形成と拡散において、デジタル空間が決定的な役割を果たしている点を強調する。マノスフィアはもともとオンライン空間に基盤を持つが、極右もまた、ミーム、音楽、視覚文化、SNSなどを通じてオンライン上で言説を展開しており、それがオフラインの政治や運動と結びついている。これにより、両者の言説や実践は相互に影響し合いながら循環し、特定の組織や場に限定されない形で広がっていく。原文は、このオンラインとオフラインの融合が、男性主義的イデオロギーの生成・洗練・拡散の基盤となっていると位置づけている。
なお、このようなオンライン空間とオフライン暴力の連続性は、東南アジアにおけるニヒリズム的暴力過激主義の事例とも共通している。別のレポート「東南アジアにおける虚無主義的暴力過激派(NVE)の台頭と若者の変容」( https://inods.co.jp/topics/report-reviews/8899/ )では、加害者の多くが「末期的にオンラインに閉じこもった」若年男性であり、SNSやゲームプラットフォームを通じて過激化し、最終的に現実空間での暴力行為へと移行していることが示されている。
以上のように、原文が示す極右とマノスフィアの接近は、単に同一の思想を共有しているからではない。むしろ、「男性の喪失」をめぐる語り、多様で可変的な男性主義の形態、感情に支えられた動員、そしてオンラインとオフラインの連動という複数の要素が組み合わさることで生じている。したがって、この接近は固定的なイデオロギーの一致ではなく、複数の要因が絡み合う構造的な現象として理解されるべきものである。
4 結論
以上のように、本レポートが示すマノスフィアと極右の接近は、本来であれば異なる問題領域を扱う二つの現象が、男性主義的政治を媒介として接続されていく過程として理解される。すなわち、ジェンダー関係への不満を中心とするマノスフィアと、民族・移民などをめぐる政治的対立を中心とする極右は出発点において異なるが、いずれにおいても「男性性の喪失」や男性の地位低下といった語りが繰り返し動員されることで、共通の認識枠組みが形成されている。さらに、それらの語りは感情的動員やオンライン空間を介した拡散構造を通じて共有されることで、異なる領域を横断的に結びつける機能を持つに至っている。したがって、この接近は、男性主義的政治によって共通の語りと実践が接続されることで生じる現象として把握される。
本レポートでは、ジェンダーに根ざした不満や男性主義的ビジョンが世界中で政治的過激主義を煽り続けている中、これらの運動を理解し、それに立ち向かうためには、男性主義的政治に対する批判的関与が依然として不可欠であるとし、男性主義的政治の日常的かつ感情的な側面に対する学術的な関心を高めるよう呼びかけ、また、極右の男らしさを維持する上で感情、美学、文化が果たす役割を検討するよう促している。
