英国における反ユダヤ主義の脅威

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目次

1 はじめに

 今回は、ISDによるレポート「Building a strategic response to antisemitism in the UK in a changing threat landscape」( https://www.isdglobal.org/digital-dispatch/building-a-strategic-response-to-antisemitism-in-the-uk-in-a-changing-threat-landscape/ )を紹介する。

 本レポートは、2023年10月7日のハマスによる攻撃以降に英国で深刻化する反ユダヤ主義的脅威が、放火や刺傷といった物理的暴力に加え、オンライン空間におけるヘイト言説や陰謀論、外国勢力による影響工作などを含む複合的な形態へと拡大していると分析している。また、その担い手もイスラム主義勢力、極右・極左、国家支援を受けた主体など多岐にわたり、オンラインとオフラインの双方で相互に影響しながら拡散しているとされる。こうした状況に対し英国政府は警備強化や対テロ対策、国家安全保障法制の整備を進めているものの、本レポートはそれらが依然として断片的対応にとどまっていると評価し、デジタル規制、過激主義対策およびヘイトクライム対策の統合、さらに教育やデジタルリテラシーを含む予防政策の強化を組み合わせた、包括的かつ長期的な戦略の構築を提言している。

 本稿では、まず英国における反ユダヤ主義的脅威と政策対応の現状を整理した上で、本レポートが提示する包括的対策の内容について概観する。

2 英国における反ユダヤ主義の脅威と政策対応

2-1 反ユダヤ主義的脅威の深刻化

 2023年10月7日のハマスによる攻撃以降、英国では反ユダヤ主義的事件が急増している。2025年には3,700件の事件が記録され、単年として過去2番目の水準となった。ユダヤ政策研究所(JPR)の調査では、英国ユダヤ人の82%が反ユダヤ主義を「非常に大きな問題」または「かなり大きな問題」と認識している。

 こうした状況の中で、2025年10月のヒートンパークのシナゴーグ襲撃事件は、反ユダヤ主義的脅威が致命的暴力へと発展した象徴的事例とされる。さらに2026年春には、シナゴーグやユダヤ人関連施設を標的とした放火事件や、ゴールダーズ・グリーンでの刺傷事件が発生した。これらの攻撃については、「Harakat Ashab al-Yamin al-Islamiya(HAYI)」を名乗る組織が犯行声明を出している。本レポートは、同組織がイランまたはその代理勢力と関係している可能性を指摘する一方で、その実体や指揮系統は不明確であるとする。

 なお、これについて、ISDによる別レポート「Islamic Movement of the Companions of the Right: The ‘gig-economy’ proxy group attacking Europe」( https://www.isdglobal.org/digital-dispatch/islamic-movement-of-the-companions-of-the-right-the-gig-economy-proxy-group-attacking-europe-hayi/ )では、HAYIは固定的な組織ではなく、SNSや暗号化メッセージアプリを通じて動員された個人が金銭報酬を動機に攻撃を行う「ghost proxy(幽霊のような代理組織)」と説明されている。つまり、国家や代理勢力が直接実行するのではなく、オンライン空間を通じて分散的に実行主体が動員される構造である。

 本レポートも、こうした脅威がオンライン上の分散ネットワーク、アルゴリズム、外国勢力の影響工作と結びついて拡大している点を重視している。特にTelegramやDiscordでは、過激派コミュニティや陰謀論ネットワークが接続し、反ユダヤ主義的言説や暴力の正当化が拡散されている

 また、本レポートは反ユダヤ主義が特定のイデオロギーに限定されない点も指摘する。イスラム主義的過激主義、極右、極左など、思想的スペクトラム全体に広がっているとされる。この点はINODSのレポート「反ユダヤ主義が多様な過激派を結びつけてきたことを検証」( https://inods.co.jp/topics/report-reviews/8615/ )でも、反ユダヤ主義が異なる過激思想を横断する「共通の動員資源」として機能していることが示されている。また、同レポートでは、ネオナチや白人至上主義者、外国テロ組織支持者などが、ユダヤ人陰謀論や中東情勢を利用して言説を拡散している実態が分析されている。

 こうした脅威の拡大は、ユダヤ人コミュニティに強い萎縮効果をもたらしている。本レポートは、宗教的実践やアイデンティティー表現が困難になる状況は、コミュニティへの攻撃にとどまらず、英国民主主義そのものへの脅威であると位置づけている。

2-2 英国政府による対策の現状と限界

 ヒートンパーク襲撃事件以降、英国政府は物理的安全保障を中心とした対応を進めている。具体的には、警備強化に対し最大1,000万ポンド、続く事件後に2,500万ポンドの追加予算が投入された。また、テロ脅威レベルは「severe(深刻)」へ引き上げられ、地域警察と対テロ機能を統合した専門部隊も設置された。さらに、外国勢力による活動への対策も強化され、2026年には代理活動を行う個人を処罰する法整備が進められている。IRGC(イスラム革命防衛隊)のような組織を禁止対象とする計画も示されている。

 一方で本レポートは、こうした対応が依然として断片的であり、現代の複合的脅威に十分対応できていないと指摘する。現在の政策は、放火や刺傷といった個別事件への対処や警備強化に偏っており、オンライン上の動員構造や言説拡散への対応が不足している。

 本レポートでは、特にソーシャルメディア上での反ユダヤ主義的言説の拡散が問題視されている。JPRの調査では、英国ユダヤ人が最も頻繁に反ユダヤ主義を経験する場はソーシャルメディアであるとされる。本レポートは、オンライン空間が単なる補助的領域ではなく、過激化や暴力動員の中心的環境となっている点を強調している。
 
 また、英国のオンライン安全法(OSA)は重要な枠組みであるが、限界も指摘されている。特に違法コンテンツへの対応は進む一方で、合法だが有害な言説への対応が不十分であり、日常的な反ユダヤ主義が残存しているとされる。

 さらに、ヘイトクライム対策や過激主義対策が分断されている点も課題とされる。反ユダヤ主義は暴力、陰謀論、オンライン扇動、外国勢力の影響工作など多様な形態を取るが、政策は領域ごとに分断されている。その結果、脅威全体を統合的に把握する枠組みが欠如していると本レポートは論じている。

3 今後の対策提言:包括的な反ユダヤ主義対策に向けて

3-1 オンライン規制の強化

 本レポートは、現代の反ユダヤ主義的脅威において、オンライン空間が中心的役割を果たしている点を強調している。
 
 特にソーシャルメディアは、反ユダヤ主義的言説の拡散のみならず、過激化、陰謀論、暴力動員、外国勢力による影響工作を促進する基盤として機能しているとされる。そのため本レポートは、オンライン安全法(OSA)を、反ユダヤ主義対策および過激主義対策の中核として位置づける必要性を指摘している。特に、違法コンテンツ削除のみならず、レコメンドアルゴリズムや拡散機能など、反ユダヤ主義的コンテンツの流通を促進するシステム設計そのものへの介入が必要であると論じている。また、本レポートは、TelegramやDiscordのようなプラットフォームが過激派コミュニティの主要活動空間となっている点を重視している。近年の反ユダヤ主義的脅威は、オンライン上の分散的ネットワークや外国勢力による影響工作と結びつきながら拡大しており、デジタル規制を暴力防止や安全保障政策と切り離して考えるべきではないとしている。

3-2 過激主義・ヘイトクライム対策との統合

 本レポートは、反ユダヤ主義対策を単独の問題としてではなく、過激主義対策、ヘイトクライム対策、社会的結束の推進に関する政策と統合的に進める必要性を強調している。
 近年の反ユダヤ主義は、イスラム主義的過激主義、極右過激主義、極左的扇動など、思想的スペクトラム全体へ広がっている。本レポートは、こうした脅威に対し、特定の思想のみを対象とした対策では不十分であると指摘する。この点については、先述のINODSによるレポート「反ユダヤ主義が多様な過激派を結びつけてきたことを検証」( https://inods.co.jp/topics/report-reviews/8615/ )においても、反ユダヤ主義が異なる過激派を横断して共有される「共通の動員資源」として機能していることが示されている。本レポートは、こうした脅威へ対応するためには、教育、法執行、情報機関、デジタル規制などを統合した政府横断的対応が必要であると論じている。

3-3 「保護」から「予防」への転換

 本レポートは、英国政府の現行の対応が警備強化や治安対策といった事後的な「保護」に重点を置いている点を指摘し、より上流段階における「予防」へ政策の軸足を移す必要性を強調している。特に、反ユダヤ主義対策のうち教育・予防プログラムへの予算配分が、安全保障関連予算と比べて限定的である点を課題としている。

 また本レポートは、単一の政策手段による包括的な解決は困難であり、暴力的過激主義から日常的差別まで、反ユダヤ主義の発生から拡散までの全過程に対応する必要があると論じている。その中で、prebunking(プレバンキング:誤情報に接触する前に、その手口や典型的なパターンを事前に示し、影響を受けにくくする介入手法)は、事前に認知的な「注意喚起」を行うことで、誤情報への抵抗力を高める手法とされる。またinoculation theory(イノキュレーション:心理的予防接種理論)は、説得や誤情報に対して心理的な免疫のような抵抗力をあらかじめ形成するという考え方である。これらは、事後的に情報を訂正するのではなく、事前に影響を弱める点に特徴がある。一方で、デジタルリテラシー教育や市民教育プログラムは、若年層がオンライン上の操作的な情報を見抜くための基礎的な能力を身につける手段として位置づけられている。

 さらに本レポートは、こうした取り組みを支える主体として、国家機関だけでなく地方自治体や地域コミュニティを含む、多層的な連携体制の構築の必要性を指摘している。

4 結論

 以上より本レポートは、英国におけるユダヤ人コミュニティへの脅威が多様化・高度化する一方で、政府の対応が短期的な治安対策や個別の措置にとどまり、一定の政策的進展は認められるものの、全体として統合性を欠いており、包括的な枠組みとしては十分に整理されていない点を指摘している。したがって本レポートは、既存の断片的な対応を超えて、暴力防止、デジタル環境への対応、教育、民主主義の保護といった関連領域を統合した、より体系的かつ戦略的な政策枠組みの必要性を示している

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この記事を書いた人

2004年生まれ、新潟県出身。大学で政治外交史を専攻している。安全保障体制に興味があり、台湾情勢をめぐる米中の言動に注目している。

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