アルゴリズムの黒き心臓:飲食店の生き残りを決めるのは「おいしい」ではない

①あぶりだされたグーグルマップの闇
https://laurenleek.substack.com/p/how-google-maps-quietly-allocates
上記はSubstackで公開された社会科学研究者の記事である。
今回はこの記事を起点に進めていきたい。
ロンドンでレストランのおすすめを探していた著者は、グーグルマップに表示されるレストランに疑問を感じたという。
何か不自然な、意図的な偏りがあると直感したのだ。
グーグルマップのレストランはアルゴリズムに従って表示される。
その偏りを調べるべく、著者は1万3千件以上のデータをスクレイピングして機械学習モデルを構築した。
手順は以下だ。
- 特定エリアのレストランに絞り、その中にあるレストランをすべて拾い上げる
- 拾い上げたレストランについて、アルゴリズムが参照すると考えられる特徴を確認する。
レビュー数、評価点、チェーンor個人経営か、料理のジャンル、価格帯、立地、店舗密度――。 - それらを点数化する
この手順で作成されたランキングは、その地域におけるオーソドックスなレストランへの評価になるはずだ。
そして出来上がった評価とグーグルマップで表示されるレストランとの差異を確認する。
その差異から炙りだされるものは、グーグルマップのアルゴリズムの特徴であり、意図的に組み込まれたものと考えることができる。
結果わかったのは、グーグルマップのアルゴリズムには「累積的優位性」が存在している可能性があるということだった。
端的に言えば、「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」という仕組みだ。
経済格差、社会的不平等を助長しかねないものが、意図的に埋め込まれているのだ。
グーグルマップが上位に表示させるレストランは「おいしい」店ではない。
表示させるのは「総合的な注目度スコア」が高い店だ。
レストランが「既に注目されている存在」かどうかが、上位に表示させる条件となっている。
それは認知度と言い換えてもいいだろう。
そしてこの認知度は“既に”獲得していなけばならない。
この総合的な認知度を重要視したランキングには、新規店、独立系、マイナーな料理を出す店などは上位に入らない。
例外として、大手チェーンの新規店に限っては、ブランドによる注目度をすでに獲得しているため、スコアが高く、新規でも上位に表示されるようになっている。
認知度が低い店はスタート時点からグーグルマップには表示されないため、認知度を上げる手段は極めて少ない。
何かイレギュラーなことで注目を集めでもしない限り、グーグルマップのレストラン表示の上位に出てくることは永遠にないだろう。
グーグルマップ上において、チェーンではない新規店、独立店やマイナーな料理店は、存在しないも同然なのだ。
②日常生活に溢れるアルゴリズム
当然ながら、グーグルマップのレストラン表示のような事案は、グーグルマップ上だけで起きていることではない。
「ユーザーの選択をサポートするために検索結果を表示する」タイプのサービスは大方当てはまる。
それらのサービスは「戦う前から“生存確率”を配分している」ともいえる。
じゃらん、楽天、ヤフーなどのホテルやアクティビティ予約、トリップアドバイザーなどの旅行先選定、ウーバーイーツなどのデリバリー、dodaやリクルートエージェントなどの求人サイト、YouTubeの動画サービス、Spotifyなどの音楽配信――。
世の中には検索サービスが溢れている。
私たちが日常使っているありとあらゆるサービスは、アルゴリズムを使って店舗や商品を選別して表示させている。
その裏で、店舗の生死が不均等に振り分けられ続けている。
③作成者の目的を忠実に実行するしもべ、アルゴリズム
アルゴリズムは、「目的を達成するための、手順の集合」を指す言葉だ。
入って来る情報に、どんな順番で判断や計算をするか、最終的にどんな結果を出すか、この一連の流れがアルゴリズムとなる。
例えば、料理のレシピはアルゴリズムそのものといえるだろう。
- フライパンを温める
- 油を入れる
- 卵を割る
- 固まるまで混ぜる
この手順を正確に守れば、誰がやっても似たような結果になる。
デジタルの世界でいえば、どの条件で、どちらに進み、何を優先し、何を捨てるか――
これらを事前に書いた設計図がアルゴリズムということになる。
たとえば検索エンジンなら、新しい情報を優先するか、人気があるものを上に出すか、信頼性を重視するか、そのような判断基準の組み合わせがアルゴリズムということだ。
これらのアルゴリズムを設計するのは人間だ。
アルゴリズムには同時に、何を「良い」と定義するか、何を「無視してよい」とするか、「効率」と「公平」のどちらを取るか、といった価値判断を埋め込むことになる。
ゆえにアルゴリズムは「技術」というより、「思想の実装」と呼ばれることもある。
アルゴリズム作成者の意図が、結果にダイレクトに反映されるからだ。
https://www.profuture.co.jp/mk/column/about-algorithm
④アルゴリズムに埋め込まれた黒き心臓
①において、グーグルマップのレストラン表示に使われるアルゴリズムが見ているものは、「おいしさ」ではなく、「すでに認知度を十分に獲得している」かどうかであるという話をした。
一方でレストラン選びにおいてユーザーが求めているのは、多くの場合「おいしさ」だと考えられる。
だがアルゴリズム作成者は、レストランの「おいしさ」の追求をアルゴリズムに求めることはしない。
それはグーグルマップにしろ、YouTubeにしろ、じゃらんや楽天にしても同じだ。
その理由は、彼らが営利企業であるからに他ならない。
営利企業である以上、彼らが求めるものはユーザーが求める「おいしかったやよかった」ではない。
営利企業の心臓である最終目的は――「収益」の確保だ。
ユーザーのためのプラットフォームである前に、収益化を成立させることが至上命題としてアルゴリズムの心臓には刻み込まれている。
GoogleもAmazonもトリップアドバイザーもYouTubeなどもすべて同じだ。
サイトの滞在時間、クリック率、購買率、広告収益、離脱率の低減といった「ビジネス上の指標」を最適化しなければならない。
目的のために最適化していくと、以下のようなケースが起こってくる。
- グーグルマップのレストランなら、チェーン店は認知度からレビュー数が多く、結果ユーザーがレビューを確認するためにクリック率が高くなる傾向がある
→チェーン店は無条件に上位へ。 - YouTubeであれば、派手なサムネイルや過激なタイトルのものはクリック率が高い
→内容に少々問題があろうともどんどん上位へ。
これらのクリック率は、「おいしさ」や「内容の充実度」について直接的には関係がない。
だが収益という点で見れば、とても重要な指標になる。
そして私たちは、アルゴリズムにより意図的に選択肢を絞られた結果から物事を選んでいる。
表示されない店や動画について、存在さえ知らぬまま自分で選んだ気分になっている。
チェーン店や話題の店舗以外にも、あなたの周りには店がある。
実際には、あなたにとって有益な動画がいくつも上がっている可能性がある。
あなたがもしかしたら得られたかもしれない満足度の高いディナーや、心震わせたかもしれない動画は、あなたのスマホでは存在しないことになっている。
https://www.nationalacademies.org/read/27396/chapter/4#32
https://www.researchgate.net/publication/389590032_Engagement_user_satisfaction_and_the_amplification_of_divisive_content_on_social_media
⑤再び生まれ落ちる身分制度
これらのアルゴリズムには、加えて学習AIも利用されている。
学習AIには、アルゴリズムをベースとした上で収益をあげるためのサイト滞在率やクリック数増加といった目的が与えられ、目的達成のために随時調整をしている。
「おいしさ」や「内容の充実度」といった本来求められる目的から遠ざかるための調整が続けられているのだ。
その先には何があるのだろう。
ぱっと思いつくのは多様化の消失だろうか。
アルゴリズムは「富めるものをさらに富めるものへ」と同時に、「皆が注目するものにもっと注目させる」からだ。
レストランは大手チェーンに塗り替わって行き、動画は刺激の強い「似たもの」になっていくだろう。
ドラマなども同じようなものだ。
どの話も冒頭5分の引きつけるフック、毎話毎話にクライマックス、共感しやすい善人である主人公が活躍する。
そして怖ろしいのは同質化する私たちだけでない。
もう一方で私たちは「固定化」するのだ。
都市がアルゴリズムによって「階層化」していくからだ。
高評価エリアは投資が集まり治安が改善し、低評価エリアは人も金も流入せず荒廃していく。
私たちがどちらのエリアに住めるのかは、収入によって明確に線引きされていくだろう。
アッパー(上層)、アッパーミドル(上中層)、ミドル(中間層)、ロウアーミドル(労働者階級)、ワーキングプア(就労貧困層)、アンダークラス(下層)――。
流動的とされるこれらの社会階層は、やがて完全に固定化される。
それは落ちることはあっても、這い上がることは決してできない明確な線引きがされるということだ。
アルゴリズムはすでに私たちの社会に深く根付いている問題であり、恐ろしいのはブラックボックス化していることだ。
ゆえに私たちは気づけない。
気づくのは世界が取り返しのつかないほどのダメージを受けた後だったとしても不思議ではない。
そう遠くない未来――グラデーションではなく、はっきりと自覚せざるを得ない身分制度が復活するかもしれない。
取り返しがつかなくなる前に、私たちは気づかなければならない。
