密かに変質を続ける「男性」という物語が過激派を生む

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なぜ若い男性は、怒りの物語に引き寄せられるのか

https://www.isdglobal.org/isd-publications/fostering-healthy-masculinities-building-resilience-against-online-misogyny

本稿で参照するのは、ロンドンを拠点とする国際研究機関ISD(Institute for Strategic Dialogue)のDPL部門が主導したレポートである。
この論文は、以下について語っている。
なぜ若い男性は、過激なオンライン上のミソジニー(女性嫌悪)や反フェミニズム思想に引き寄せられるのか
そして、それにどう対抗できるのか。
重要なのは、この論文が「個人の歪み」ではなく、構造の問題として男性の過激化を捉えている点にある。

「負けた気がする男たち」は、どこから生まれたのか

該当する若い男性たちには、いくつかの共通点がある。
最大の特徴は、自分自身を「うまくいっていない側」、つまり敗者だと認識していること
だ。

問題は、こうした自己認識を抱く人間の母数が、静かに、しかし確実に増えている点にある。
その一部が、ミソジニーや反フェミニズム思想へと引き寄せられている。

なぜ、敗者だと感じる若者が増えたのだろうか。
そこには、かつて当たり前とされていた「男らしさ」という男性性が、時代に適合しなくなってきていることがある。

――弱さを見せてはいけない
――助けを求めるのは恥
――感情は怒り以外、表に出さず抑え込む
親の世代において、これらは生存戦略として機能していた。
弱さを隠し、助けを求めず、感情を抑えることは「一人前の社会人」の証であり、
それができることは報酬や地位、評価へつながる振る舞いであった。

だからこそ、彼らは息子たちにもそれを教えた。
社会で生き残るための、現実的な処世術として。

教えられた正解が、通用しなくなりつつある世界

企業にとって、弱さを隠し、助けを求めず、怒りや圧を使って部下や周囲を支配できる男は「使える」人材であり、長期的に利益を回収できる人材だった。
条件に適う者には見合った報酬が支払われ、「男らしい」という男性性が肯定的に受け入れられる土壌となっていた。

だが、時代は変わった。
社会が許容する、振る舞いの基準が引き上げられたのだ。
企業は旧来の男性性が内包していた暴力性を、正当なものとして扱えなくなった

同時にグローバル化によって、企業が長期的な人材回収モデルを維持できなくなったこともある。
市場競争が激化し、利益は短期で求められ、人を育てる余裕は削られていったからだ。

それらの結果、企業は欲する人材に使い勝手のよかった「男らしさ」を求めなくなった。
旧来の「男らしさ」という男性性が報酬に直結しなくなったのだ。

敗者と“思い込まされる”構造

市場が変わっても、人はそう簡単には変われない。
若い男性もまた、旧来の「男らしさ」という男性性を志向しつづけた。

問題は若い男性のうち、上澄みである勝ち組ではなく、ボリュームゾーンである中間層だった。
旧来の「男らしさ」という男性性は、以前の社会では報酬と地位を与え、社会での立ち位置を与えてくれた。
中間層もそれによって、自身のアイデンティティを維持していた。

だが、若者たちが旧来の「男らしさ」を必死にアピールしても、企業は報酬と地位をくれなくなった。
どれだけ不満を言わず耐えようが、報酬は不安定であり地位は安定せず、常にリストラの恐怖がつきまとった。
その過程で、中間層に属していた男性たちは程度の差こそあれ、自分は認められていないと思い始めた。
報酬も地位も安定しない自分を、自身で認められなくなっていったのだ。

さらに追い打ちのようにSNSが現れた。
ごく一部の勝者たちが、毎日、成功や優雅な生活を可視化する。
人気、影響力、他人からどれだけ認められているのか。
それらが残酷なほど数値化され、誰が上で誰が下かが、一目でわかる世界が目の前で展開された。

収入は伸びない。結婚は遠のく。一人前になったという感覚さえ持てない。
その結果のすべては、自己責任だとされた。
これらの環境は中間層を静かに蝕み、「自分は負け組だ」という認識を加速させていった。

社会は彼らに代替ルートを示せていなかった。
若者が思う「敗者」という認識が、無数にある価値基準のうち、たった一つの側面からでしかないという事実を。

ミソジニーという、救済

「敗者」と錯覚して落ちていった底で囁くものがある。
それこそが、ミソジニー(女性嫌悪)や反フェミニズム思想だ。
それらは明確な敵を与えてくれる。
自己責任ではないと言ってくれる。
明確な敵とは――、「女性」や「フェミニズム」だ。

お前をこんな場所に追い込んだのは、あいつらだ。
女性たちは努力もせずに利益を得ている。
本来お前が手に入れるはずだったものを、奪っている。

それは甘美な物語だ。
自分が失敗したわけではない。
世界のほうがおかしい。
悪いのは、自分ではない。
そう信じることでようやく息ができる。

こうした動きは、単なるネット上の一過性の炎上ではない。
海外メディアでも、オンライン上のミソジニーや反フェミニズム思想が若者の性役割観やアイデンティティ形成に影響し、恋愛関係や対人関係に具体的な悪影響を及ぼしているケースが報じられている。
https://www.lemonde.fr/en/our-times/article/2025/06/07/a-guy-like-him-sinking-into-that-so-fast-how-the-manosphere-is-destroying-relationships_6742113_39.html

また、こうしたオンラインコミュニティは単独の人物ではなく、いわゆる“manosphere(男性中心主義的コミュニティ)”としてネット上の文化として成熟しつつあることも確認されている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Men_Going_Their_Own_Way

正論で、人は沼から這いだせない

では、こうした若者たちに 「それは間違っている」「自己責任だ」と正論を突きつければ解決するのだろうか。
答えは否だ。
規制を強めても、ヘイトを叫ぶアカウントをBANしても、正面から論破しても、結果は変わらないだろう。
彼らはより見えにくい場所へ移動し、より過激な言葉を選び、攻撃されるほど「自分たちは正しいがゆえに迫害されている」という意識を強めていく。

必要なのは、別の道が存在することを示すことだ。
稼げているか。
支配できているか。
上に立っているか。
モテているか。
それだけが価値ではないと、社会全体で認識し共有すること。

時代に合った男性性がある。
感情を持っていい。
助けを求めていい。
強さは支配ではない。
責任と共感は両立する。

「君は間違っている」と攻撃しても諭しても意味はない。
「その苦しさは理解できる。でも、別の道もある」
それを提示することだ。
今の社会には、別の物語を提示する場所が少なすぎる。
教育や若者支援の中で、意識的に扱うべき課題だと論文は結論
づけている。

https://www.theguardian.com/education/2024/feb/26/labour-to-help-schools-develop-male-influencers-to-combat-tate-misogyny

日本という社会が抱える、もう一つの問題

この論文は主に欧米の動向を見て組み立てられた論文だ。
この構図を、日本に当てはめるとどうなるだろう。

日本には他国とは違った状況がある。
日本は近代国家形成と戦争へ向かう総動員体制の中で、意図的に「使いやすい一種類」へと強く圧縮された。
感情を抑える。
弱音を吐かない。
我慢する。
家庭より仕事を優先する。
組織に忠誠を尽くす。
これは価値観ではなく、国家が必要とした機能だった。

そしてこの男性性は、驚くことに敗戦によっても否定されなかった
戦後は企業によって再利用されたのだ。
特に欧米との違いは、組織に忠誠を尽くすという部分だろう。
「葉隠(はがくれ)」に代表されるような忠の心が美徳化された。

「企業戦士」という言葉が象徴するように、主語が国から企業へ変わっただけで、男性に求められる振る舞いはほとんど更新されなかった。

さらに高度経済成長という成功体験によって、日本ではこの男性性が「正しかったもの」として固定化していった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Salaryman

壊れながら生きる男性が標準になる社会、日本。

こうした状況ではあるが、それでも日本もまた、世界と同じ方向に進んでいる。
旧来の男性性は、すでに運用コストの限界に達している。
助けを求めない男は、美徳ではなくリスクであり、孤立、自殺、依存、家庭内不和、そして過激化への道が待っている。

日本は歴史的特徴により、世界的に見ても旧来の男らしさと、男性としてのアイデンティティが密接な関係にある。
ゆえに、旧来の男らしさの否定について論じると、強い反応が出やすい。
新しい男性性を模索することさえ、難しい傾向にあるのだ。

だが、このまま放っておけば、日本はもっとひどいことになるだろう。
多くの男性の中に沈黙と諦めが漂い、別の道は提示されず、敗北感だけを植え付けられて放置される。
旧来の男性性にのっとり、助けなど求めない。
それらの若者へ、ミソジニーや排外主義といった過激な物語が耳元で甘く囁くのだ。
そして甘言に乗った若者たちが、仄暗い地下の底で叫ぶ。

それは表面上は穏やかだが、暮らしてみて初めてわかる陰惨な社会だ。
静かで、疲弊していて、誰も助けを求めない、求められない社会。
それが日本の中で作られていくかもしれない。https://academic.oup.com/joh/article/58/6/632/7250743

ミソジニーや反フェミニズムを入口とするNVE

NVEという比較的新しい用語がある。
日本語では『虚無主義的暴力過激主義』や「虚無主義的暴力過激派」などと言われている。
米FBIがテロ分析の文脈で用い始め、現在は複数の研究機関によって分析・整理が進められている分類概念だ。

イメージとしては以下のようなものだ。
「信念なき暴力」
「意味を破壊するための暴力」
「何かを実現するためではない暴力」

欧米では、こうしたNVE的特徴を持つ個人やネットワーク化した集団による事件が実際に起き始めている。
学校銃乱射事件、未成年を標的にした脅迫・自傷強要・暴力強要、さらには路上での暴行や殺害を動画撮影し共有する事例などだ。
彼らは社会や人類全体への憎悪、虚無感、疎外感を背景に、特定の政治・宗教信念を持たず、破壊願望で行動しているとされる。

NVEから連想できるものはないだろうか。
そうだ。敗者と思い込まされ、ミソジニーや反フェミニズムに親和性を見出した若者たちだ。
これらのコミュニティが、しばしばNVEへの入口として機能
している。

NVEは通常のテロ行為と違い、政治的信念が希薄なため、従来の枠組みでは予測が極めて困難だ。
どこでどんな事件を引き起こすかわからない。
それゆえに、散発的に、いつどこでも起きる可能性がある。

現在、日本ではNVEとして明確に分類される事件は、今のところ確認されていない。
だが、日本でも土壌はすでに整ってしまっている。
いつそれが始まってもおかしくはない。

それを防ぐためにも、旧来の男性性以外を肯定する物語を、早急に教育や若者支援の中に組み込んでいく必要があるだろう。

https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2026/01/nve.php
https://spectee.co.jp/report/online_ecosystem_driving_borderless_violence/

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この記事を書いた人

脳と心のメカニズムに惹かれ、神経科学や認知の分野を中心に執筆。
複雑な現象に潜む共通性や、本質的な問いを掘り下げることを大切にしています。
情報が溢れるこの時代にこそ、選ぶべきものより「捨てるべきもの」を見極める思考が必要だと感じています。
記事を通じ、新しい認知や価値観に目を向けるきっかけを届けられたら嬉しいです。

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