無意識下で吹き鳴らされる極右への犬笛

国家機関の広告は、どこまで「偶然」で許されるのか
2026年2月、CBC Newsは、U.S. Immigration and Customs Enforcement(ICE)の採用キャンペーンをめぐる論争を報じた。
問題とされたのは広告の内容そのものではない。
その手法が極右や白人至上主義の言説と「重なりうる」構造を持っていたことだった。
それは意図的だったのか、偶然だったのか。
だが本当に問われるべきは、そこではない。
https://www.cbc.ca/news/ice-recruiting-9.7058294
広告に対する具体的な指摘① ネオナチ書籍タイトルとの類似
2025年8月、ICEは「X」に、交差点に立つアンクル・サム(アメリカ合衆国政府を擬人化したキャラクター)の画像を投稿した。
そこにはこう記されていた。
『Which way, American man?』
(アメリカ人よ、どちらへ向かう?)
このフレーズが、1970年代後半に極右系出版社から刊行された反ユダヤ主義的ノンフィクション本『Which Way, Western Man?』のタイトルを想起させると指摘されている。
「Western Man」という語は、極右思想の文脈ではしばしば白人・キリスト教文化圏の男性を象徴する言葉として用いられてきた。
そのため、「American man」という言い換えが同様の文化的メッセージを想起させる可能性がある、というのが批判の論点だ。
もちろん、「Western」と「American」が常に同義であると断定することはできない。だが、極右思想の中では両者が重なり合う概念として語られてきた歴史があるのも事実だ。
https://x.com/DHSgov/status/1955011982488228231
広告に対する具体的な指摘② 『We’ll have our home again』というメッセージと共に使われた楽曲
2026年1月の募集広告では次の言葉が使われた。
『We’ll have our home again』
直訳すれば「私たちは再び家を持つことになる」だが、英語の“home”は物理的な住居以上に、「帰属」「秩序」「本来あるべき場所」といった象徴的意味を帯びる語だ。
さらに、この投稿には同名の楽曲が添えられていた。
この楽曲は、オンライン過激主義の分析を行う調査機関Open Measuresによれば、2020年以降メッセージアプリ「Telegram」上で極右過激派と関係のあるアカウントによって主に拡散されてきたという。
https://www.instagram.com/reel/DTTviXmkm1w/
ICEの反応
これらの批判に対し、対応したのはICEの上位機関である国土安全保障省(DHS)だった。
DHSは「採用メッセージに極右的意図はない」と否定した。
今回の報道は政治・社会メディアでも広く議論を呼んでいる。
批判側が「政府が極右的文脈を助長している」と捉える一方、ICE側は「偏向報道だ」と主張するなど、論争が続いている。
“DHS did not respond to a request for comment from CBC News. But when asked by U.S.-based media about its social media posts, DHS has denied it was referring to white supremacist material.”
https://www.cbc.ca/news/ice-recruiting-9.7058294
ICEとはどのような組織か
ICEは「9.11」を契機に発足した国土安全保障省(DHS)の下部機関だ。
DHSとは、簡単にいえば「9.11以後のアメリカが“国内をどう守るか”を一本化した巨大省庁」と言える。
目的は明確で、
・テロ対策
・国境管理
・入国管理
・重要インフラ防護
・災害対応
といった、これまでバラバラだった機関を統合し「国内安全」を一元的に扱うことにある。
その中でU.S. Immigration and Customs Enforcement(ICE)は、「移民・国境・国家安全」を名目に、国内での捜査・拘束・強制送還を担う連邦機関として位置している。
ICEは主に二部門から成る。
・ERO(Enforcement and Removal Operations)
・HSI(Homeland Security Investigations)
今回批判の対象となっているのはEROだ。
EROは組織として武装し、強制的に不法滞在者を拘束し国外追放することができる。
国外退去は、移民法に基づく行政審理を経て決定される。
例えば、犯罪者であれば、警察に捕まった後に検察へと引き渡される。
そこから警察の手を離れ、検察が犯罪の立証をしていくことになる。
だが、武装したEROが拘束する相手は不法滞在者であり、犯罪者ではない。
不法滞在は原則として刑事犯罪ではなく、民事上の移民法違反に分類される。
そのため刑事裁判は行われず、移民法上の行政手続きによって審理が進められることになる。
しかし、この手続きは刑事司法とは異なる枠組みに置かれており、弁護権や証拠開示の在り方なども同一ではない。
強制力を伴う執行権限に比して、手続き上の保障が十分かどうかをめぐっては今も議論されている。
ICEは意図的に極右的なメッセージを仕込んだのか?
上位機関のDHSは採用メッセージに極右的意図はないと否定している。
現時点で、意図的であったと断定できる証拠はない。
実際のところ、アメリカの政府機関であるICEが意図的に極右的なメッセージを使用し、極右的な人間に対して募集を呼びかけたというのは考えにくいだろう。
それは国家が特定の思想に肩入れするのと同義であり、法治国家としての中立性が揺らぐということだ。
それは政治の勝敗を左右するといわれる中間層に決定的な不審を抱かせ、結果として次の選挙に大きな影響を与える可能性がある。
そこまでのリスクを冒すメリットは考えにくい。
現実的に考えられるのは、ICEは人材確保のために強い物語性を打ち出した結果、特定の思想圏と響き合う表現になってしまったという可能性だ。
だとすれば、なぜそのような状況になったのか。
ICEが置かれた状況
トランプ政権によって、ICEの特にEROの業務量は爆発的に増加した。
以前からEROは不法滞在を取り締まる組織だったが、それまでは優先順位があった。
不法滞在者の中でも重犯罪者やギャング、再犯者といった相手を優先的に対応していたのだ。
それがトランプ政権によって激変した。
優先順位をなくし、すべての不法滞在者が厳格に摘発対象とされたからだ。
その結果、ICEの印象は大きく変わることになった。
それまでのICEのイメージは、危険性の高い犯罪歴のある不法滞在者を送還する組織だった。
それが隣人や、罪がないように見える人々の家族を離れ離れにしてしまう組織へと変貌したように見えた。
左派やメディアは「残酷な政策」「行政判断で拘束・勾留が進む構造」などと、ICEを批判するようになった。
結果、ICEには極端な支持と極端な拒否、そしてどちらでもない一般市民もやりすぎというイメージを持つ者が多くなった。
政治に翻弄されたICEの募集方法
激務へと変貌し、社会からも手放しで喜べない組織となったICE。
離職率があがる中、それでも人員を募集し採用しなければならない。
不法滞在の厳格適用を謳うトランプ政権により、ICEにはその徹底の指令が下った。
だが、それを実施するのに十分な資金が配分されたわけではなかった。
結果、ICEが人材を得るには金だけではないものが必要になったのだ。
激務となって離職率も増える中での人材募集。
それにはある種の「物語」が必要になる。
その物語は“批判されること”を前提にしたものになる。
ICEの特にEROの現場は、応援されず、感謝されず、抗議される仕事となってきている。
ゆえに必要な物語は、
「理解されなくてもやれる者」
「嫌われ役を引き受ける覚悟がある者」
「選ばれた者だけが耐えられる」
そういったある種の物語性を誘起するものが必要になる。
結果として、広告は強いメッセージ性を帯びることになったのだ。
そしてこの構造は奇しくも、白人至上主義者やネオナチのスローガンと重なる部分があった。
彼らが謳うものと同じく、拒絶される中で戦う覚悟はあるかと問いかける物語性だ。
ここに今回の問題の核心があると言えるだろう。
放置の先にあるもの
広告は組織の自己像を反映する。
そして同時に、どのような人材が集まりやすいかにも影響を与える。
もし広告のメッセージが「拒絶される中で戦う覚悟はあるか」を強調し続ければ、強い使命感と同時に、敵意や自己正当化を抱きやすい人材を引き寄せる可能性がある。
それは必ずしも起きるとは限らない。
だが無視できない可能性を秘めている。
法執行機関にとって重要なのは、権限の強さに値する、法に照らし合わせた厳格で慎重な法の執行だ。
もし法よりも感情が優先されるような事態になれば、すべてが狂い始める。
権限の過剰行使、法的手続きの軽視。
これらが横行すれば、ICEへの苦情や訴訟への対応が増えていく。
上司は「抑え役」に回らざるを得なくなり、現場はさらに疲弊して離職率が上昇し、人材はどこまでも劣化していく。
そして一定レベルを超えれば、権限行使の逸脱が常態化するようになるだろう。
「合法か」より「組織にとって敵かどうか」で判断する文化ができあがる。
それは法治ではなく、感情優先の組織への転換に他ならない。
静かに手に負えない組織へと変貌していくのだ。
そのような未来が生じる可能性も否定できない。
問われているのは「ICEは極右的なのか」という単純な問題ではない。
国家機関が発する言葉が、意図的か無意識に関わらず、どの思想圏と共鳴しうるのか。
それを放置すれば、組織はどのように変質していくのか。
その意味するところを認識しないまま犬笛を吹き鳴らし続ければ、予想だにしなかったものを呼び寄せ、いつしか国家までも噛み殺すかもしれない。
それを是正できるかどうかは、組織の問題であると同時に、政治のあり方でもあるだろう。
