ロシア情報機関とデジタル影響工作

  • URLをコピーしました!

 デジタル影響工作の世界的なフロントランナーは、もちろんロシアである。その担い手は同国の各情報機関だ。しかし、実際にどの機関がどの案件の黒幕かというのは、なかなかわかりづらい。

目次

西側への心理戦に力を入れた冷戦時代

 そもそもサイバー空間が出現する以前から、ロシア(ソ連)は対西側の心理戦に力を入れていた。冷戦時代、旧KGBやGRU(軍参謀本部情報総局)は諜報活動と並行して「アクティブ・メジャーズ」と呼ばれる積極工作に力を入れており、工作対象の内部に自分たちに都合のいい方向に組織内方針を誘導する「影響力のエージェント」と呼ばれる人物をアセットとして育成した。篭絡して正規のエージェントとして獲得した人物もいれば、本人がそう自覚しないままに意識をコントロールされる「無意識のエージェント」と呼ばれるアセットもいた。

 さらに同時に、西側社会の主にリベラル勢力を標的に、時に偽情報も含むプロパガンダを流し、世論誘導も盛んに行った。だが、80年代半ばから90年代にかけてのソ連・ロシアの覇権崩壊の時代には、そんな余裕はあまりなく、90年代以降のFSB(連邦保安庁)やGRUはかなり長期に渡って、影響工作を停滞させた時期があった。

プーチン政権成立とともに復活したKGB人脈

 しかし、90年代半ば以降のインターネットの発達が、状況を変えた。ネット空間での情報誘導を、安価にできるようになったからだ。1999年にプーチンが政治的主導権を握り、翌年にプーチン政権が誕生すると、旧KGB人脈が大復活。2003年頃からの石油価格上昇でプーチン政権が強化されると、一時は凋落していた軍や情報機関が再び大幅に強化される。プーチン政権は当初、ロシア国内での権力奪取に注力。当初の標的はエリツィン前政権時代に隆盛をきわめた新興財閥グループだった。その後はさらに旧ソ連圏内での覇権再獲得に邁進した。

 プーチン政権が対西側の覇権競走に本格的に乗り出すのは2010年代以降だが、それ以前の2000年代、彼らはロシア語圏の言論統制を強力に進めている。まずはメディア支配を徹底し、さらにネット世論にも介入し、ロシア国内の洗脳工作を確立した。プーチン独裁はこうして完成されたのだ。

2011年「アラブの春」以降本格化した西側への影響工作

 その後、2011年の「アラブの春」で中東の同盟者であるシリアのアサド独裁政権の延命に加担した頃より、プーチン政権は欧米西側諸国への表立った挑戦に態度を硬化させた。2014年のウクライナ政変への直接介入で西側との敵対的姿勢は決定的となり、今日に至っている。その間、2000年代半ば以降の世界でのSNSの隆盛に対応し、デジタル影響工作を強力に進めた。かつて冷戦時代の影響工作を、そのまま安価で効果の高いSNSに持ち込んだわけである。

 そんなロシアのデジタル影響工作のうちの対外工作では、やはり上記のようなプーチン政権の姿勢と連動し、2011年以降に本格化している。シリアで2013年にアサド軍が反体制派地域の住民にサリンを使用した際など、実質的なプーチン政権のプロパガンダ機関である国営メディアと連携し、「反体制派の自作自演」説などの陰謀論を拡散した。また、2014年のウクライナ介入からのクリミア占領、さらにウクライナ東部への介入で、プロパガンダやフェイク情報の裏工作に邁進。2016年の米大統領選ではトランプ当選を強力に支援した。当時、トランプ応援側でブームとなった陰謀論インフルエンサー「Qアノン」との直接的な関係は不明だが、Qアノンの初登場直後の時点において、すでにその拡散にロシア系アカウントが関与していたことも判明している。

 この2016年の大統領選時のロシアのデジタル影響工作は広く注目されたが、その後もイギリスのEU離脱問題、スペインのカタルーニャ独立運動騒動、フランス大統領選、ロシアのスポーツ選手ドーピング問題など、あらゆる国際的な問題でロシアのデジタル影響工作は観測されている。2000年の米大統領選挙でも同様であり、2022年のウクライナ全面侵攻でももちろん同様だった。

デジタル影響工作の実行部隊IRA

 こうしたデジタル影響工作の主力はもちろんFSBとGRUであり、その双方がそれぞれ個別にこうした工作に邁進しているが、前述したように具体的な役割はかなり秘匿されており、詳細は不明なケースが多い。たとえば初期からのデジタル影響工作の実行部隊だったIRA(インターネット・リサーチ・エージェンシー)という会社があるが、その背景もよくわかっていない。IRAは2013年春にサンクトペテルブルクで設立された。設立者はプーチンの旧知の側近であるエフゲニー・プリゴジン。後に民間軍事会社「ワグネル」を設立したことで有名になる人物だ。

 IRAは対西側のネット世論でプロパガンダをまき散らす「トロール工場」とも呼ばれた組織で、おそらくFSBと連携している。だが、FSBのダミーかというと、そこがよくわかっていない。同じプリゴジンのワグネルは実質的にGRUのダミーとして設立された組織だが、プリゴジンはプーチンと直結している人物なので、それらの情報機関の手下という立場ではない。IRAもおそらくFSBの指揮下という関係性ではないだろうが、FSBが事実上、指導した可能性は充分にある。生前のプリゴジンはIRAも自分の手柄として吹聴しているが、彼の言葉はそもそも信憑性がない。

FSB・GRUのダミーとみられるハッカー・グループ

 ロシアではデジタル影響工作は、ハッキング工作機関の当然の重要任務と考えられている形跡がある。そして、そうしたハッキング工作機関の主力こそがFSBとGRUだ。たとえば、2016年の米大統領選で米民主党などにハッキングを仕掛けていたロシアの有力なハッカー・グループが2つあった。「ファンシーベア」(または「ストロンチウム」「APT28」)と「コージーベア」(または「コージーデューク」「APT29」)である。ファンシーベアはGRUのダミー。コージーベアはFSBのダミーとみられている(「対外情報庁/SVR」とも関係が深いとの見方もある)。また、同大統領選で米民主党から情報を抜き取った「グーシファ―2.0」と名乗るハッカーが「自分はロシアと無関係」と主張したが、後にGRU将校だったことが露呈している。

ロシア安全保障理事会を通じてクレムリンと直結する実働部隊

 こうしたロシアのサイバー部門について、インテリジェンス分野の情報に定評のある独立系WEBメディア「Агентура.Ру」の2022年10月11日付記事「ロシアのサイバー軍/その仕組み」では下記のように解説している。

 まずロシアには、サイバー作戦を統括するサイバー司令部のような機関はない。検討はされたが、それが実現していないのは、軍に対するFSBの優位性が原因との見方もあるようだ。サイバー司令部は存在しないが、その代わりに大統領府(クレムリン)の下でロシア安全保障理事会がサイバー戦略を統括する。サイバー工作はこうしたラインでクレムリンと直結している。主な実働部隊は以下の機関だ。

①FSB(連邦保安庁)

 旧KGBの国内部門の後継組織で、プーチン政権内で最も強大な権限を持つ。部内に秘密工作・破壊工作を担当する部門を多数運用しているが、通信に関連する部局としては、「第3局」(科学技術局/STS)の隷下に「特殊通信部」と「情報保安・特殊情報センター」(第8センター)がある。このうち第8センターがサイバー分野も監督している。

 もっとも、対外的なデジタル影響工作を担当する主力セクションは「通信電子情報センター」(第16センター)と「情報保安センター(CIB)」(第18センター)である。

 第16センターはサイバー技術的な開発を主導。優秀なハッカー人材をスカウトする任務も担当する。サイバー攻撃部隊も運用しており、欧米のサイバーセキュリティ専門家からは「バーサーカーベア」「ドラゴンフライ」「エナジーベア」などと呼ばれている。たとえば2021年に米国当局は、エネルギー企業にサイバー攻撃を仕掛けた第16センターの3人を告発している。また、同センター要員は、原子力規制委員会(NRC)などの米国政府機関をハッキングしようとした件でも特定されている。それだけではない。第16センターの下請けには、2009年からさまざまな不正なサイバー攻撃を行なってきた「SyTech社」もある(関係者は2018年に米国より制裁)。

 他方、CIB(第18センター)もサイバー作戦全般を統括するが、とくに能動的な情報収集や影響工作などの作戦を担当する「作戦総局(DU)」がある。FSBでサイバー影響工作を担当する主な部署は、CIB内のDU、つまり情報保安センター作戦総局の内部におそらく配置されている。

 加えて、FSB内の担当部局は不明だが、ロシアのサイバーセキュリティ企業「ポジティブ・テクノロジー社」や「デジタル・セキュリティ社」もFSBと連携している。

②GRU(参謀本部情報総局)

 軍の情報機関。さまざまな部局があるが、情報戦を統括するのが「第6総局」(電子情報局/OSNAZ)である。

 その統括下でサイバー攻撃を担当する主力は「第85主要特殊任務センター(GCSS)」(第26165部隊。通称「ファンシーベア」「APT28」「ストロンチウム」)と、「第74455部隊」である。前者は前述したファンシーベアとして、米大統領選に介入。もっとも2000年代半ばから活動が確認されており、日本へのサイバー攻撃も確認されている。後者の第74455部隊は、ハッカー業界で有名な「サンドワーム」というグループをダミーとしている。サンドワームは「APT44」「テレボッツ」「ブードゥーベア」「イリジウム」「シーシェル・ブリザード」「アイアン・バイキング」などの名称でも知られる。

③SVR(対外情報庁)

 2010年代にサイバー部門が大幅に整備。サイバーセキュリティの研究を担当するのは「デルタ研究生産センター」。SVRは「Pasit JSC」などの民間企業と連携している。

④軍参謀本部第8参謀総局

 国家機密保全を統括する部局で、「情報セキュリティ研究センター」を監督。ネット監視の技術開発を主導しているが、その活動の中でデジタル影響工作の技術面にも関与しているとみられる。

ネットを監視する政府機関と民間の「インターネット安全連盟」

 その他の政府部局のデジタル影響工作について詳細は不明だが、「連邦警護庁」(FSO)内の「特殊通信情報部」(SIS)は政府機関の通信とネットワーク内の世論監視を担当しており、デジタル影響工作に関与している可能性がある。

 また、「内務省」にも国内監視部門があり、一部はネット監視を行なっている。そうした部門が近年の潮流に乗ってデジタル影響工作に乗り出している可能性は高い。

 デジタル影響工作との関連性は不明だが、ロシアにはロシア語圏インターネットの監視・検閲を行なっている特殊な組織に「インターネット安全連盟」(LBI)という表向きは非政府系の機関もある。主要なネット回線プロバイダーを中心に組織され、内務省、通信省、ロシア下院などが管轄するとされている機関だが、実際はおそらくFSBの監督下にある。業務内容も、現在ではネット環境の安全確保よりも、もっぱらネット検閲を主任務としているとみられる。こうした検閲機関なら、プーチン政権の意向でロシア語圏内でのデジタル影響工作にも関与している可能性は高い。

それぞれの部局がサイバー攻撃とサイバー防御を担う

 以上、ロシアにはFSBやGRUを中心に数多くのサイバー活動部局があるが、それぞれ同じ部局がサイバー防御と並行してサイバー攻撃を行なっている。サイバー攻撃の中心は標的のネットワークへの破壊工作、あるいはサイバースパイとなるが、ロシアでは伝統的にそうした活動は広義の“情報戦”と考えられており、情報戦の中には当然、心理戦・影響工作が含まれると見なされている。ロシアの情報機関に関する内部情報はそのほとんどが秘匿されており、本稿で紹介した内容には、もしかしたら現在は改編されている部分もあるかもしれないが、サイバー影響工作のセクションは拡大されこそすれ、縮小していることは考えられない。

よかったらシェアお願いします
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

黒井 文太郎のアバター 黒井 文太郎 リサーチフェロー

軍事ジャーナリスト。NY、モスクワ、カイロを拠点に紛争地多数を取材。帰国後、月刊「軍事研究」特約記者、「ワールド・インテリジェンス」編集長などを経て現職。現在、「軍事研究」誌などで国際紛争全般をカバーしており、情報戦分野の執筆も多い。著書・編共著に「イスラムのテロリスト」「北朝鮮に備える軍事学」「日本の情報機関」(以上、講談社)「生物兵器テロ」「プーチンの正体」(以上、宝島社)「インテリジェンス戦争〜対テロ時代の最新動向」(大和書房)「日本の防衛と世界情勢」(秀和システム)など。近刊は「工作・謀略の国際政治〜世界の情報機関とインテリジェンス戦」(ワニブックス)

目次