ロシアの「経済的なハイブリッド戦」に対抗する道は

軍事の専門家は戦争の分析にあたり、「戦略」「戦術」と同等あるいはそれ以上に、軍事行動を支え継続させる「兵站(ロジスティクス)」や「資金調達」といったファクターを重視する。
ウクライナとの戦争が長期化するなか、特に2024年以降、欧州におけるロシアの破壊工作が激しさを増している。そこでしばしば見過ごされる重要な要素が、こうした作戦遂行の継続を支える金の動きである。
英国王立防衛安全保障研究所(Royal United Services Institute for Defence and Security Studies:RUSI)が2026年1月に発表した報告は、ロシアの破壊工作について資金調達の側面から分析している点でも興味深い。RUSIは、1831年に創設され、防衛・安全保障分野における世界最古のシンクタンクである。
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ロシアの破壊工作資金への対応策
Responding to Russian Sabotage Financing
https://www.rusi.org/explore-our-research/publications/insights-papers/responding-russian-sabotage-financing
報告は、RUSIの金融安全保障センター(Centre for Finance and Security:CFS)が、ポーランド国際問題研究所(Polish Institute of International Affairs)と2025年11月にワルシャワで開催した専門家ワークショップで議論した内容をベースとしている。
記事の前半ではまず、前提となるロシアの破壊工作の現在の状況を整理する。そして記事の後半で、補足情報も参照しつつ、RUSIの報告の要点を見ていこう。
(1)あらゆるものを戦争に動員するロシアのハイブリッド戦
ウクライナ戦争を通じて、ロシアは「ハイブリッド戦(Hybrid Warfare)」を仕掛けている。従来型の正規戦だけに頼るのではなく、脅迫的な外交・情報戦・認知戦・サイバー攻撃・テロ工作などを総動員して戦う発想であり、その範囲は現在も拡大を続けている。それは究極的には「あらゆるものを兵器化する」戦略である(*1)。
ハイブリッド戦は、2013年にロシアの軍人ヴァレリー・ゲラシモフが「ゲラシモフ・ドクトリン(Gerasimov Doctrine)」で掲げた、「新世代戦争(New Generation Warfare:NGW)」の中核をなす概念である。「新世代戦争」の特徴のひとつは、人間の心理など非軍事的要素の影響力が重視されていることだ。敵の軍隊や民間人を心理的に抑圧したり、道徳的に堕落させたりすることで、最小の軍事コストで大きな影響を挙げることを目論む、コスパ志向ともいえる戦争観である。
2014年にロシアがクリミアを併合した時期のハイブリッド戦は、情報戦・サイバー攻撃・軍事的な威嚇が中心だった。2016年以降はそこに、中東などから大量の難民を組織的に連れてきて送り込む「難民・移民の武器化」という手口が加わっている。
そして2022年のウクライナ侵攻以降、欧州全域を標的とするロシアのハイブリッド戦はますます攻撃的なものになった。西側陣営の信頼や結束を損なうことを主眼として展開する「認知戦」の一環として、2024年頃から特に物理的な破壊工作(Sabotage)が目立つようになっている(*2)。駅やショッピングモールへの放火や小包爆弾など一般人が関わる施設の物理的破壊、海底ケーブルの切断やGPSの攪乱といった高度な技術を駆使したインフラ攻撃、ドローンを使った航空交通の妨害などが相次いで報告されている。
ロシア大統領ウラジーミル・プーチン(Vladimir Vladimirovich Putin)は今後、NATO加盟国に対するハイブリッド戦を、新世代戦争のドクトリンに沿ってさらに本格的なものにエスカレートさせる可能性が高い、と世界最大級の脅威インテリジェンス・プラットフォーム「Recorded Future」は報告する(*3)。それは、現在のように情報戦・サイバー攻撃・破壊工作を場当たり的に組み合わせるパターンから、より計画的で、NATOの力を弱体化させるための体系的な戦略に進化するという。
[参照元]
*1:ロシアは今やハイブリッド戦争の恒久化に向けて戦略を練っている
Russia now has a strategy for a permanent state of hybrid war
https://theconversation.com/russia-now-has-a-strategy-for-a-permanent-state-of-hybrid-war-266936
*2:欧州諸国でロシア関与の破壊工作が急増
Russia’s suspected sabotage campaign steps up in Europe
https://www.reuters.com/world/russias-suspected-sabotage-campaign-steps-up-europe-2024-10-21/
*3:欧州におけるロシアの新世代戦争への備え
Preparing for Russia’s New Generation Warfare in Europe
https://www.recordedfuture.com/research/preparing-for-russias-new-generation-warfare-in-europe
(2)RUSIの報告のポイント①使い捨てエージェントによるギグエコノミー的破壊工作
ここからは、RUSIの報告の要点を確認していこう。それによれば、最近のロシアの破壊工作は、あたかもフリーランスにオンラインで仕事を発注する「ギグエコノミー(単発の労働)」のように、専門の工作員ではない人間たちによって実行される傾向にあるという。
■小さな破壊工作の蓄積が、社会を疲弊させる
欧州では、放火や小包爆弾といった物理的な破壊工作が増加を続けている。個々の事件は小規模であったり場当たり的であったりしても、それが蓄積されることで社会の緊張が煽られ、警備コストの負担が増していく。NATO諸国の国家安全保障システムに対する国民の信頼を揺るがし、ウクライナを支持するコストを意識させることを促して、じわじわと欧州を疲弊させるのが目的になっている。
EUには現在、「破壊工作」を包括的にとらえる法的な定義が存在していないため、実際には大きな破壊工作の鎖の一部をなす事件も、ちんまりした妨害行為として片づけられるケースがままある。しかし事態は深刻の度を増しており、ポーランド首相ドナルド・トゥスク(Donald Tusk)は、ウクライナへの支援物資輸送の主要ルートであるワルシャワ・ルブリン鉄道で2025年11月に発生した爆発事件を「前例のない破壊工作」と非難し、ロシアの諜報機関と連携する勢力によるものだと公に主張した。
■使い捨てのエージェントで遠隔地をつなぐギグエコノミー
冷戦時代には専門的な訓練を受けた諜報員が担っていた破壊工作の任務だが、現在の実行犯のプロフィールは、きわめて多様である。ロシア人(ロシアは自国領土における青年動員に多額の投資を行っている)以外にも、旧ソ連軍出身の高齢者、経済的に脆弱な移民、任務の本質を知らされないまま利用されているウクライナ人、欧州各地の地元の犯罪者やならず者のネットワークなど、さまざまなチャネルを通じて要員が調達されている。そのスキームには3つの特徴がある。
(i)デジタルプラットフォームでの採用
TelegramやViberなどの暗号化メッセージアプリでの採用が、冷戦時代の対面による育成にとって代わっている。さらに、Twitchのゲームコミュニティが未成年の工作員の獲得に活用されていることも確認されている。
(ii)使い捨ての「一日エージェント」
目先の金銭的動機で仕事に飛びつく工作員は使い捨てのコマとして扱われ、約束された金額の報酬を受け取れないことも多い。
(iii)遠隔の工作員による分散型ネットワーク
遠方にいる工作員を指示して動かすことで、地理的に分散し、断片化された破壊工作が可能になる。これは拡張が容易で、かつ維持コストも安価だ。また、たとえ具体的な作戦が失敗に終わっても、欧州に恐怖と混乱の種を拡散することで、目的の一端は達成できたことになる。
この、使い捨てエージェントを活用する分散型ネットワークは、ウクライナ侵攻後に多くのロシア諜報員が追放されたことから生まれた。ロシアは結果的に、費用対効果にすぐれ、場当たり的ゆえに捕捉しにくい破壊工作のエコシステムを構築することができたというわけだ。
(3)RUSIの報告のポイント②破壊工作の金の流れを支える暗号資産(仮想通貨)
RUSIはまた、ロシアが破壊工作を維持する資金の流れを分析している。安いコストでこき使われる一日エージェントは少額ゆえに動きが把握しづらく、さらに金の流れを暗号資産メインにすることで、捕捉がより困難になっている。
■金銭の欲望が破壊工作を推進する
破壊工作に参加する工作員たちの動機は、イデオロギーなどではなく、何よりもカネである。ポーランドの元諜報員によると、ポーランドにおける実行犯スカウトの実に95%において、金銭的利益が主な動機となっている。暗号化メッセージアプリを通じてリクルートされたエージェントには「落書きで数ドル」「カメラ設置で400ドル」「殺人などの重大犯罪で最大10,000ドル」といった、具体的な内容の報酬が提示されている。またウクライナ人には、西欧諸国の工作員に支払われる金額の一割程度が提示されることが多いという。
■主要な決済手段としての暗号資産
破壊工作に最も多く利用されている決済手段は、暗号資産である。その利点は主に、参入障壁の低さ、顧客確認(Know Your Customer:KYC)システムの回避、そして決済の階層化による否認可能性にある。
公開取引所を避け、ブローカーや非公式キャッシュデスクを通じて暗号資産を売買できる店頭取引(Over The Counter:OTC)は、大きな抜け穴となっている。東ヨーロッパと中央アジア全域でこうしたサービスが蔓延しているほか、マイアミ、ワシントン、ニューヨーク、モントリオール、ロンドンといった西欧の主要都市でも大規模なネットワークが運営されている。これらのサービスは、短期間で数千万ドル規模の取引を行うことが多く、Instagramなどのプラットフォーム上で公然と運営されており、サービス利用に必要な書類は最小限か、あるいは全く不要となっている。
欧州政策分析センター(The Center for European Policy Analysis:CEPA)は、ロシアが制裁を回避して欧州内の戦争資金を確保するための最新の手段として、2025年初頭に出現し、はやロシアにとって不可欠の血液のような存在となったステーブルコインA7A5などの例を挙げている(*4)。
[参照元]
*4:暗号資産がロシアの戦争に資金を提供する方法
How Crypto Funds Russia’s War
https://cepa.org/article/how-crypto-funds-russias-war/
(4)RUSIが提示する、ロシアの最新の破壊工作への対応策
欧州におけるロシアの破壊工作の資金調達への対応において、RUSIは施策のビジョンをそれぞれ示しているので、主なものを見ていこう。
国境を越えたギグエコノミーのネットワーク、暗号資産をはじめとする最先端の金融フローを駆使して展開される破壊工作に対して、対抗する欧州側は、国や機関ごとにサイロ化された対応、スピードを欠く金融捜査といったように、大きなギャップを抱えている。その障壁を解消することが喫緊の課題である。
■破壊工作に関する「制度のギャップ」
[課題]
現行の大きな課題は、NATO加盟国やEU加盟国の間で、破壊工作に関する一貫した法的定義が存在しないため、それに対処するための共通の基盤も持ち得ないことである。その結果、使い捨てエージェントによる破壊工作が、単発的で目に見える犯罪行為としてのみとらえられ、その背後にある全体の戦略的意図が無視されることになる。
大きな河川沿いの製油所の近くにある塗料工場が放火されたケースを例にとれば、火災が延焼した場合のエスカレーション、環境汚染を含む複合被害のリスクは考慮されず、犯人はごく軽微な放火罪のみの起訴にとどまる可能性がある。しかし、こうした軽微な罰則では十分な抑止効果が得られず、「ギグエコノミー」の破壊活動に従事することが潜在的に深刻な結果になることを国民に広く伝える役にも立たない。
[対策]
放火、小包爆弾、偵察、運び屋行為などを網羅する、EUおよびNATO諸国全体で共通の破壊工作の運用定義を採用し、対応するシステムを整備する必要がある。実行犯の「帰属」まで考慮しなければ、犯罪の防止策は適切なものとなり得ない。
■金融インテリジェンスなどに関する構造的制約
[課題]
破壊工作の活発化以前からの長年の問題だが、EU域内の安全保障における構造的な障壁が存在する。
(i)国境を越えた破壊工作に対し、旧態依然たるサイロ化された仕組みを通じた対応にとどまっている(国内治安当局・外交政策当局・金融当局などがばらばらに対応)。
(ii)資金移動のペースと法的・運用上の対応に必要な時間との間に、根強い「スピードギャップ」が横たわっている。金融捜査は本質的に長期にわたり、従来の国境を越えた協力の仕組みは、現代の最先端の金融フロー(暗号資産やステーブルコインといった代替金融システム)のタイムラインに全く追いつけていない。このギャップは、多言語化の潮流によってさらに深刻なものとなっていく。
(iii)官民両セクター間および政府内部における情報共有の障壁が、金融データの有効活用を妨げている。近年EUは、共通のプラットフォームやマネーロンダリング対策パッケージでの官民連携を進めているが、実際には、加盟国間の協調にはばらつきがある。
[対策]
(i)国境を越えて展開される、断片的な破壊工作のネットワークに対処するため、国内治安機関、金融情報機関、外務省を連携させた共同分析チームを創設する必要がある。ハイブリッド戦の脅威に対するNATOとEUの情報チャネルを強化し、破壊工作の資金調達に関連する情報を迅速に交換できるようにすることが重要である。
(ii)金融インテリジェンスを向上させ、「スピードギャップ」を埋める努力をする。ブロックチェーンリテラシー、オープンソースインテリジェンスの活用強化、多言語監視機能の作成など、金融情報機関(FIU)と法執行機関の分析能力に投資を惜しまない。また、ウォレット凍結などの国境を越えたリクエスト、取引所からのデータアクセスに対する迅速な対応フローを開発し、暗号対応の支払いの速度に合わせた対応を実現する。
(iii)FIUと民間部門の分析チームとの間で、より実効的な連携の強化を進める必要がある。リスクの高いパターンに関する情報の共有を可能にし、支払いなどに関連する疑わしい活動を自主的に報告するための、安全で標準化されたチャネルを推進する。
■プラットフォームの説明責任
[課題]
各種プラットフォームが説明責任を果たそうとする姿勢は依然として消極的だ。特に、ロシアの資金工作の主要なデジタルツールであるテレグラム(Telegram)は、その傾向が強い。テレグラムは、デジタルサービス法に基づくEU法定代表者の所在地としてブリュッセルを指定し、EUにおける月間平均ユーザー数は4,100万人と報告している。だが専門家は、実際の数字は7,500万人近くになると推定している。もしこの計算が正しければ、テレグラムは、FacebookやXのような巨大SNSと同様に、はるかに広範なリスク管理や透明性が要求され、監査義務の対象となる超大規模オンラインプラットフォーム(VLOP)に分類されるのが妥当となる。
[対策]
EUのデジタルサービス法に基づき、ソーシャルメディアプラットフォームには調査データの協力を義務付ける。必要な場合には、法執行機関と関連メタデータ(IPアドレス、デバイス識別子、リンクされたウォレットアドレスなど)をタイムリーに共有する。
RUSIの報告は「ロシアが関与する破壊工作には、構造的なギャップを埋め、事後的な捜査から積極的な妨害へと転換することに重点を置いた、機関横断的かつ国境を越えた対応が必要だ」と締めくくられている。ハイブリッド戦に立ち向かうには当然、対応手段も単一のものではなく、多次元的・複合的であることが求められるのだ。