デジタル主権への挑戦 カナダが目指すAI立国

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はじめに

今回はCIGI(国際ガバナンス・イノベーション・センター)のJoel Blit氏によるレポート“Like Maple Syrup and Hockey, AI Must Become a Part of Our National Identity”を紹介する。

Blit氏は2025年11月13日付のこの論説において、カナダの将来はAI(人工知能)を生活のあらゆる側面に深く組み込めるかどうかにかかっていると強調している。AIを単なる産業ではなく汎用的なツールとして国家戦略の中心に据え、カナダ人全員がその恩恵を享受できる社会を築くべきだという主張だ。

本記事では、Blit氏の議論を軸に据えつつ、デジタル主権とは何か、なぜ今この概念が重要視されているのか、カナダの現状とデジタル主権の方向性、そして同氏の主張について順に紹介する。

デジタル主権とは

「主権」とは本来、国家が対外的にも対内的にも他の干渉を受けず独立して統治できる最高の権力を意味する。この概念をデジタル領域に援用した「デジタル主権」は、平たく言えば国家がデジタル技術やAIに関するインフラやデータ、技術、人材を自律的に掌握し、他国や海外企業に依存せずに開発・活用できる能力を指す。

その中でも同じく主権(sovereignty)の語を用いた「ソブリンAI」とは、国家や組織(企業など)が自国や自社のデータおよび技術を基に、独立して運用・管理するAI運用体制のことを指す。

「デジタル主権」が、デジタル領域における自律的な意志決定機能や統治能力を指すのに対し、「ソブリンAI」は主権を実現できるAIそのものに焦点を当てた言葉である。

たとえばAccentureの調査では、ソブリンAIについて「自国のインフラ・データ・モデル・人材を用いてAIを開発・展開する能力であり、データを外国から守り競争力を高めつつ、海外技術への依存を減らすこと」だと定義されている。

このデジタル主権の概念が注目され始めたのは欧州だ。2000年代半ばから欧州各国やEUで議論が高まり、2019年には欧州委員会のフォン・デア・ライエン委員長が「デジタル時代に欧州の道を歩み続けるため、欧州自らがAIを含む技術を開発・保有し、研究を促進し、デジタルインフラを整備し、個人データ保護やAI規制を徹底し、サイバーセキュリティを強化しなければならない」と演説している。

これは、欧州が外国の巨大IT企業(DPF)の台頭に対抗できるよう自らをエンパワーし、デジタル空間における統治権=主権を守ろうとする戦略だ。具体的な施策として、EU一般データ保護規則(GDPR)では個人データの域外移転を制限し、EU市民のデータが外国政府や企業に利用されるのを防いでいる。

欧州の論調では「米国や米企業に『我々の』データを自由に利用させることは、我々の主要な資産と決定権の重要部分を明け渡すことであり、一言でいえば主権を放棄することだ」との指摘もある。

つまりデジタル主権の推進とは、データや技術の支配権を他者に渡せば国家の主導権(主権)も失われるという認識に基づき、自国でデジタル領域の統制権を確保しようとする取り組みである。

なぜ問題になっているのか

では、なぜ近年このデジタル主権がこれほど重要視されているのか。その背景には、AIが経済・社会・安全保障に不可欠な基盤となりつつある一方で、その開発・提供を担う巨大企業や大国が限られている現状がある。AIを巡る地政学的緊張が高まる中、各国は技術面での自立を急いでいる。

実際、Accentureの2025年の調査によれば、現在の地政学的不確実性への対応として、欧州の組織の62%がデータやインフラの制御強化による「ソブリンAI」の導入を模索しているという政府にとって、医療や金融、防衛など重要インフラのAIが外国企業のクラウドやプラットフォームに依存していれば、万一対外関係が悪化した際にサービスが停止させられたり、機密データが他国の法制度下で覗かれたりするリスクがある。

また、自国でAIモデルを構築・運用できない国は、結局は他国で生まれたイノベーションを消費する「デジタル小作人」となり、自らはその技術標準やルール作りに影響を及ぼせなくなる恐れも指摘されている。こうした危機感が各国にデジタル主権・ソブリンAIの導入を唱えさせている大きな要因だ。

さらに、AIは情報戦のツールともなりつつある。一田和樹の記事「米中のプロパガンダ・エージェントと化すAIボット」(https://inods.co.jp/topics/news/6649/)によれば、米国ではトランプ大統領が署名した大統領令の一つで「DEI(多様性・公平性・包括性)支持の回答をするAI」は排除され、彼の主張を支持するAIだけが政府機関で使えるとされた。ChatGPTをはじめとする米国製AIチャットボットがこの方針に従えば、トランプ氏の主張を拡散するプロパガンダ・マシンになりかねない。

一方、中国でも百度やDeepSeekといった主要AIボットが台湾選挙や米台関係に関して親中的な虚偽回答を行っていることが報告されている。米中両国がそれぞれ自国のAIを政治的プロパガンダに利用し始めている現実が浮き彫りになっているのだ。しかもLLM(大規模言語モデル)は検索エンジンに取って代わりつつあり、例えば米国では検索結果の要約がトランプ寄りの内容に傾き、中国では親中バイアスがかかった回答が表示されるなど、AIが生み出す「情報のフィルターバブル」が勢力圏ごとに作り出され始めていると指摘する。一田は、自前のAIモデルを持たない国は最終的に米中いずれかの偏向したAI基盤を選ばざるを得なくなると主張する。

このようにAIは大国の影響力競争の道具ともなっており、他国のプロパガンダに自国の世論や情報空間が呑み込まれないよう、ソブリンAIの確保が重要な課題となっている。

加えて、AIはグローバルなガバナンス(統治)構造にも影響を与えている。最新の研究では、各国政府がAIを巡って「インフラの主導権を確保する主権(統制)志向」と「AIを自ら活用して能力を高める主権(活用)志向」の両面を追求していると指摘される。言い換えれば、各国はAIインフラを自国管理下に置こうとすると同時に、自国の行政や産業にAIを組み込み活用力を高めようとしている。

これは単に「GAFAなどのテック企業vs国家」という図式ではなく、国家と企業が協調と対立を繰り返しながらAIを組み込んだ新たな国際秩序が形作られつつあることを示唆している。こうした動向もまた、各国に自国のAI戦略を見直すことを迫っている。

カナダの現状と政府のデジタル主権のビジョン

こうした中、カナダはデジタル主権・ソブリンAIにどう向き合っているのか。記事によれば、カナダ政府は最近、エヴァン・ソロモン AI・デジタルイノベーション担当相の主導で「国家AI戦略タスクフォース」を立ち上げ、30日以内に政策提言をまとめるという非常にタイトな日程で活動を開始した。ソロモン大臣はこの場で、信頼醸成のための緩やかな規制スタートアップやスケールアップ企業への資金供給カナダ製AI製品・サービスの調達支援利用可能な計算資源の拡充人材育成――という5本柱の大胆なアジェンダを示した。これに対しBlit氏は、政府がわずか1か月で包括的なAI戦略の骨子を練るという迅速な対応は、カナダがAIを国家の最優先経済課題と位置付けた表れだと評価している。

しかし記事は、このビジョンは刷新され幅広いものの、肝心な点である「すべてのカナダ国民がAIを使いこなせるようにすること」を見落としていると指摘する。カナダは過去数十年、生産性の低迷に悩まされてきた(G7で労働生産性の伸びが最も低く、直近では一人当たりGDPも減少傾向にある)にもかかわらず、従来型のイノベーション政策ではこの流れを変えられなかった。

ソブリンAI実現よりも使いこなす国家に

そこでBlit氏は発想を転換し、AIを国民誰もが活用できる汎用技術として社会に浸透させることが必要だという。AIは特定企業の「産業」ではなく、電気やコンピュータのようにあらゆる部門・職業を変革し得る汎用目的ツール(GPT)だと捉え直すべきだとの主張である。その上で、カナダは自前の基盤的AIモデル(ファウンデーションモデル)の開発に固執するよりも、既に利用可能なそれらのモデルを活用して自国経済を変革することに注力すべきだと説く。次世代のカナダ経済を牽引する企業群は、基盤モデルそのものよりも、むしろそれらを応用したサービスやアプリケーションの普及・起業から生まれるだろうという見立てだ。

幸い、現在はそのための条件が整いつつある。高性能なオープンソースのAIモデルが広く公開され、アルゴリズムや半導体の進歩でそれらを動かすコストも急速に低下している。重要なのは「技術」そのものではなく「人」だと強調している。大規模言語モデルの登場で専門知識がなくとも自然言語でAIを使える時代が来ており、肝心の問いは「カナダが数社のAIチャンピオン企業を育てられるか」ではなく「農業従事者から教師、小規模ビジネス経営者まで含む国中の人々がAIを自分の仕事に役立てられるかどうか」である。

他国もこの「人」に着目した戦略に舵を切っている。シンガポールはAIリテラシーを市民の必須スキルとして位置付け国家的に推進し、英国も何百万人もの労働者に基本的なAI技能を提供する計画を掲げ、台湾でも数十万規模の教師や学生に対するAI教育が進められている。各国が競って国民全体のAI活用力向上=「AI文化」醸成に動き出していると言えるだろう。カナダも同様に、人材への投資と社会全体のAI理解増進に本腰を入れるべきだ、とBlit氏は訴える。

具体策として、全国規模のAIリテラシー啓発キャンペーンの必要性を挙げる。例えば図書館での市民向けAI講座や地域のタウンホールでの対話型イベント、公共・民間メディアを通じた技術の平易な解説などで国民の意識と信頼を高める。それと並行して、学校のカリキュラムにAI教育を組み込み、社会人が学び直せるよう税控除やマイクロレジデンシャル(短期の学修認定制度)を整備し、誰もが学べるオープンなオンライン学習機会を全国に提供するといった施策も提案している。こうした草の根から国家規模までの取り組みにより、中小企業でのAI導入が加速し、市井の人々が産業現場にAIを取り入れることで新たな起業やイノベーションが生まれるだろう。そして何より、AIによる変革の果実を一部の大企業オーナーや専門家だけで独占するのではなく、幅広い国民が享受できるようになると期待される。

Blit氏は「カナダの成功はAIが経済と文化の隅々に根付いたAI国家を築けるかにかかっている。何しろ現代AIを生み出したのはカナダなのだから、今やAIをメープルシロップやホッケーと同じくらい我々の国家アイデンティティの一部にしなければならない」として結んでいる。カナダにおいては、「ソブリンAIを確立できるか」以上に、「自国の誰もがAIを使いこなせるか」が将来を左右する。

課題は残る

(本節のみ、一田和樹のコメント)
こうしたアプローチは欧州ではよく目にするものであが、厳密には非常に難しい。なぜならデジタル主権は、データ主権、運用主権、技術主権、ソフトウェア主権などで構成される(いくつかバリエーションはあるものの、共通している部分も多い)。データ主権、運用主権、技術主権、ソフトウェア主権のすべてを実現できる国が米中以外にあるのだろうか? という問題だ。

たとえばSNSで米中以外の国のサービスの存在感は薄い。自国独自のSNSを作って国内で普及させることは可能かもしれないが、禁止しない限り、多くの国民は米中のSNSも使い続けるだろう。プラットフォームにデータの扱いを要請することはできるかもしれないが、それがどこまで守られるかは微妙だ。
現在の家電製品は情報製品となっているうえ、使用するためには個人情報のデータバンクでもあるスマホにアプリをインストールする必要がある。ロボット掃除機でも体組成計でもそれぞれメーカーのアプリをスマホにインストールする。他国で製造された家電製品とそのアプリが収集したデータを全て自国内に留めるのは不可能だ。自国内にデータを置いて管理することも莫大な製品数を考えればきわめて難しい。自国のメーカーだけに限定することも非現実的だ。
すでに米中の製品は我々の生活に深く浸透しており、それら全てを排除することも、管理下に置くことも現実的には難しい。法規制を課すことはできるが、莫大な製品数とデータ量を考えると規制通りに実施されているかを確認するのは至難の技だろう。
EUは世界にさきがけてデジタル主権、データ主権を提唱し、社会に実装すべき法制度の整備を進めてきた。しかし、近年のEUとトランプ政権や米プラットフォームのやり取りを見ている限りでは、目標の実現には大きな課題があるように思える。

「ネットにおいて利用者は客ではなく商品なのだ」と以前から言われている。商品という意味は、我々はネットを介して自分たちの関心や行動を差しだしているということを指す。つまり、とっくの昔に我々は主体性を売り渡した「デジタル小作人」になっていたのだ

これまでの欧州の施策や今回のカナダの論考は、デジタル小作人の発想の域を出ていないような気がする。もっと根本的な見直しを行わないと現在の状況は変わらないのではないだろうか?

参考資料

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この記事を書いた人

2003年生まれ。茨城県の大学で情報科学を専攻している。情報安全保障・認知戦について興味がある。

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