正しい情報やリテラシーではなく、社会的アイデンティティが問題という指摘

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目次

1.はじめに

今回は、アメリカ哲学会(American Philosophical Association, APA)によるレポート「The Problem is Epistemic. The Solution is Not.(https://blog.apaonline.org/2025/11/12/the-problem-is-epistemic-the-solution-is-not/)」を紹介する。本記事は、民主主義の変容の原因として注目される「認識論的」価値(個人が、どの情報源を信頼し、自らの信念を形成するかというプロセス)について詳細な分析を行っている。ここでは、人々が誤情報を信じてしまうのは、各人が所属するコミュニティのアイデンティティ(社会的アイデンティティ)に強く影響されているためだと指摘する。そのため正しい情報に触れていない/理解していない(認識論的失敗)ことを原因としてきたアプローチは現実に即していないのだと分析している。

2.「代替された現実」に生きる人々

本レポートでは、「認識論的」失敗の実例として2021年1月に米国で発生した議会議事堂襲撃事件を分析している。筆者は、このような行動をとった「抗議者」たちは、あらゆる証拠が反証しているにもかかわらず明らかに虚偽の事柄を信じていたと指摘する。多くの人が現実と明らかに矛盾する信念を持ち、それが政治的行動につながっていることは、民主主義の危機が単に情報不足や情報操作の問題に留まらないことを示し、誤った信念が政治における意思決定に深刻な影響を与えている現実が浮き彫りとなっている

3.社会的アイデンティティと政治的認識論

前章のような背景から、哲学や政治学の世界では「政治的認識論」の問題が再び注目されている。例えば個人レベルでは、動機づけられた推論や認知バイアス、「政治的無知」が認識に影響する。これらは人間の認知的弱さと相まって、民主主義の認識論的基盤を損なう原因となっていると指摘されることが多い。
一方で、このような原因に民主主義の衰退の原因の全てを求めることは間違いであると筆者は指摘する。これまでの研究が示してきたように、政治的信念と行動は「社会的アイデンティティ」、すなわち人が帰属意識を持つ集団によって形成される。この依存関係を考慮しない限り、認識論的失敗への対策は不十分に終わると筆者は指摘する。現代社会では、人は多くの事柄を直接経験ではなく他者への信頼によって判断する。したがって、認識論的成功は誰を信頼するかに左右される。ここで重要となるのが社会的アイデンティティである。

4.信頼を失う「真実形成」

そもそも、人間社会は本来、情報源を検証し、その性能を評価し、信頼性についての判断を更新することで合理的に判断できるはずだと筆者は述べる。しかしこれまでの認識論に関する研究は、どの情報源を信頼するかという判断が、偏りを生み出す「心理的免疫システム」によって左右されることを示している。この仕組みは自己の社会的アイデンティティを保護し、所属集団を肯定する情報を選択し、反する情報を無視する傾向がある。これは教育水準や合理性の高い人々にも当てはまる。ただし、人は複数の社会的アイデンティティを持ち、それらは重なり合いながら変化する。年齢とともに多様性は低下するが、アイデンティティの内容や重要性は生涯にわたり変化しうる。アイデンティティは他者や政治的働きかけによって形成・動員されるが、個人の選択や解釈の余地も残されている。
それでも、多くの社会的同一性は合理的・自律的選択の結果ではない。人は認識的信頼性にもとづいて集団を選ぶわけではなく、既存のアイデンティティの影響を受ける。このため、成功した認識実践は個人ではなく集団的な仕組みに依存する。科学研究、学術研究、ジャーナリズム、法的・行政的手続きは、個人の限界を補正する規範と制度によって支えられている。
これらの仕組みにも誤りや偏りはあるが、現在の主要な問題はこれらの仕組みが存在しないことではない。信頼できる研究・報道・法的判断は依然として生み出され、広く利用可能となっている。問題は、これらの集団的真実形成の慣行が存在しないことではなく、多くの人々がそれらを信頼しなくなったことにある。その結果、そこで確立された真実は政治的拘束力を失っている。

5.一般的な解決策とその誤り

これまで提示してきたような問題を解決するために、一般的なアプローチとして、市民の認識的実践が最適ではない点が注目されてきたと筆者は指摘する。より良い認識的習慣があれば、これほど多くの虚偽は信じられないはずだという考えである。ここで提示される解決策は、そのような習慣の改善であり、これらはメディアリテラシーや批判的思考の教育、情報アクセスの改善、審議機会の拡大、市民的・認識的徳の育成という形で実践されることが多い。これらが達成され、市民の認識的実践が改善すれば、問題は解決すると考えられる。
しかし、政治的認知の社会的性質に目を向けると、こうした認識論的改革は実現可能性が低く、それに依存するのは賢明ではない。過去の市民が現代より認識論的に優れていたわけではなく、彼らが成功したのは、不完全な合理性でも信頼できる集団的実践への信頼に結びついた「認識的幸運」によるもので、つまり、帰属した社会集団が偶然正しい方向へ進んだだけだと筆者は指摘する。したがって、必要なのはすべての市民に最適な認識的実践を求めることではなく、陰謀論的集団との同一化を弱め、科学・学術・ジャーナリズム・法など信頼できる実践との同一化を強めることである。このような問題は認識論的に見えるが、その根源は社会的アイデンティティにある。
一方で、この解決策も容易ではないとレポートは指摘する。課題は情報や討議の機会ではなく、社会的アイデンティティそのものにあるため、民主主義の基盤を回復するには、人々が自分をどう捉え、どのアイデンティティを重視するかを変える必要があるからである。
筆者は、民主主義の再生を実行することは容易ではないとしている。しかし、これらの問題の解決に向け、それぞれの問題を正確に説明し、社会に判断材料を提供することが政治理論の役割であると述べている。

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この記事を書いた人

茨城県出身の2003年生まれ。軍事・非軍事を問わず安全保障に興味を持っている。専攻は日米関係史だが主に東アジアの安全保障体制を扱っている。専攻外では中世ヨーロッパにおける政治体制の勉強が趣味。とくにポーランド・リトアニア共和国における民主制が対象。

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