初めての人のための#1 「404 Media」のZINEが明らかにするICEの実態

本稿は、新領域の脅威についてあまり知識を持たない学生がはじめて触れる情報に対して率直な感想を綴ったものです。本サイトの他の記事とは傾向が異なりますが、この分野の初学者にとっても参考になると考えて掲載しました。
「初めての人のための」シリーズとして不定期掲載してゆく予定です。
「問合せフォーム」から、ご意見やご感想をいただければ幸いです。
はじめに
この記事を書いている私は工学系の学生で、セキュリティや軍事に関してあまり詳しいわけではありません。ですが、記事を書くことに興味があるかと訊かれ、「ある」と答えたのでこれから紹介するZINEの感想記事を書くことになりました。今回は、404 Mediaというアメリカの独立系メディアがICE(米国移民関税執行局)について調査し、それに対する抵抗の手段をまとめたZINEについて紹介したいと思います。
Our Zine About ICE Surveillance Is Here – 404 Media
https://www.404media.co/icezine/
先日行われた第68回グラミー賞で年間最優秀アルバムに選ばれたのは、プエルトリコ出身の歌手バッド・バニーによる『DeBI TiRAR MaS FOToS』でした。バッド・バニーは受賞スピーチの冒頭で「ICEは出ていけ!」と言い放っていましたが、日本に住んでいるとICEについてあまり把握していないのが実情ではないでしょうか。ICEはアメリカ国内での不法入国者の取り締まりや強制送還を担う組織ですが 、バッド・バニーは会場を訪れたファンがICEに拘束されるリスクを考慮し、今回のツアーではアメリカでの公演を回避しています。それほどまでに、現在のICEは移民コミュニティにとって脅威となっています。
ICEの監視を増長させるテクノロジー
まず驚かされるのは、ICEという組織がいかに莫大な予算を投じ、残酷なまでに創意工夫を凝らしてテクノロジーを捜査に利用しているかという点です。404 Mediaは1年以上をかけて、政府の調達データベースや機密情報源からのリーク、さらには訴訟を通じてICEの監視実態を暴いてきました。
その中でも強力なのが、投資家として知られるピーター・ティールが創立したデータ分析企業Palantir(パランティア)社が提供する「ImmigrationOS」というツールです。本来、民主主義国家では、納税記録や教育、医療といった行政サービスを通じて収集された情報は、法執行目的での転用を防ぐために厳格に分離されていました。しかし、トランプ政権はこの情報の壁を破壊しました 。IRS(内国歳入庁)はパランティアの技術を使用し、移民の住所データをICEに提供することに同意しています。このシステムは、タトゥーや傷跡といった身体的特徴、さらには社会保障番号や雇用場所などで移民をフィルタリングし、追跡することを可能にしています。かつてオバマ政権下で作られたツールが、後の政権によっていとも簡単に、より強力な監視マシンへと変貌してしまったのです。
また、今後普及すると予測されているスマートグラスも、すでにICEの捜査官に使用されているという事実にギョッとしてしまいます。ロサンゼルスでの捜査現場では、捜査官がメタ社の「Ray-Ban AIスマートグラス」を着用している姿が目撃されました。このスマートグラスにはカメラやライブストリーミング機能、3つのマイク、そしてAIによるシーン認識機能が搭載されています。当局は「捜査官の個人所有物だ」と説明していますが、このような夢のテクノロジーが、人々を威圧したりプロパガンダ動画を撮影したりといった、極めて邪悪な目的で真っ先に使用されています。
個人のプライバシーを侵食する国家権力とビッグテック
民間企業が得たデータを国家が流用している例として、Flock Safety(フロック・セーフティ)社の防犯テクノロジーも挙げられます 。この会社はナンバープレートを読み取るカメラを全米6,000以上の都市、計8万台以上設置しています 。本来は地域の防犯用として、住宅地やショッピングモール、ホームセンターなどに設置されているものですが 、実際には地元の警察が、ICEなどの依頼を受けて移民捜査の目的でこのデータを検索している実態が明らかになりました。たとえ州法で移民捜査への協力が禁じられている地域であっても、警察はこのシステムを通じて他州のカメラデータにアクセスし、移民の移動を追跡しています 。2000年代ごろには、監視カメラの普及によって人々のプライバシーが守られなくなるといった指摘が行われていましたが、その指摘は正しかったのです。
また、顔認識技術の危険性についても、かつての警告が正しかったことが証明されています。ICEが使用する「Mobile Fortify」というアプリは、2億枚規模の画像データベースと照合を行い、対象者の氏名や外国人番号、強制送還命令の有無を瞬時に表示します 。当局はこのアプリの判定を「決定的」なものと考えており、たとえ出生証明書を持っていたとしても、アプリの判断が優先されることさえあるそうです。AmazonもICEに対して顔認識製品の売り込みを行っており、ビッグテックが権力側に利している構図が鮮明になっています。
さらにICEは、イスラエルのParagon(パラゴン)社から「Graphite」という強力なスパイウェアを200万ドルで購入しました。これはターゲットにWhatsAppでPDFファイルを送るだけで、クリックすらさせずにスマートフォンをハッキングし、SignalやFacebook Messengerといった暗号化されたチャットの内容を奪取するものです。国家が個人の手のひらの中にある最もプライベートな空間まで侵食しようとしているのです。
ビッグテックの姿勢についても考えさせられます。AppleやGoogleは、ICEの存在をコミュニティに知らせるための「ICE spotting」アプリを、政府の要求や独自の判断でアプリストアから削除しています。一方で、捜査官が使用する顔認識アプリなどはホストし続けており、GoogleにいたってはICE捜査官を「脆弱なグループ」と表現してアプリを削除した例まであります。私たちが普段依存しているサービスが、実は権力による抑圧を加速させている現実に、私たちはもっと自覚的になるべきなのかもしれません。
ビッグテックに依存しない抵抗・抗議活動
ICEが用いるテクノロジーに比べて非力であると思われるかもしれないですが、市民が用いる草の根のテクノロジーとして、シカゴでは住民たちがICEの出現をコミュニティに知らせるためのホイッスルを3Dプリンターで自作しています。短く3回吹けば「ICEが近くにいる」、長く3回吹けば「緊急事態(コード・レッド)」というように、言語を介さず即座に情報を共有する仕組みです。Amazonなどで購入せず、自分たちで生産手段を持つことで、ビッグテックのサプライチェーンに依存しない抵抗を可能にしています。
また草の根の抵抗として、強制送還への抗議のシンボルとなった「ポートランド・フロッグ」も例に挙げられるでしょう。重装備の捜査官に対し、空気で膨らませたカエルの着ぐるみを着た人間が立ちはだかる姿は、その不条理さを浮き彫りにしました。カエルといえばオルタナ右翼のミームとして悪用されたこともありましたが、今やそれはICEに対する抵抗の象徴に塗り替えられたのです。また、顔認識を撹乱するための「CV Dazzle」と呼ばれる特殊なメイクや、赤外線カメラを遮断するサングラス、偽のナンバープレートをプリントした「Adversarial Fashion」といった、ファッションによる抵抗の試みも紹介されています 。これらは100%完璧に監視を防げるわけではありませんが、人々に監視の仕組みを理解させ、対話を生むきっかけになっています。
終わりに
日本においては、まだ権力とテクノロジーがここまで剥き出しの暴力として結びついているようには感じないかもしれません。しかし、監視カメラの高度化やマイナンバーなどのデータ統合が進む中で、これらの例はいずれ日本にも訪れるであろう事態への備えになると思えました。404 Mediaが、デジタルではなく物理的な「紙」のZINEを発行したのも、ビッグテックのアルゴリズムから離れ、現実世界で情報を手渡していくためだといいます。プライバシーとは「自分自身を選択的に明らかにする力」であるという言葉を胸に、私たちもテクノロジーとの付き合い方を考え直す時期に来ているのかもしれません。
