陰謀論と差別を主張する権力者が支持される理由―フロム『悪について』から学ぶ

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 世界中で、デマや陰謀論が流行し、政治的な力を持ち、混乱が広がっている。アメリカで顕著だが、日本もその状況に本格的に突入しそうである。

 個別具体的な陰謀論やデマに対するファクトチェックや、規制などの議論は非常に重要であるということは前提とした上で、この事態を理解するために、歴史を参照し、少しばかり人文学的な視点から考えることも大きな意義があると思われる。

 今回は、ナチス・ドイツを経験し、その社会心理を分析し、処方箋を書いたエーリッヒ・フロムを扱うことにしよう。フロムと言えば、一般には『愛するということ』における恋愛論が良く読まれており、主著として『自由からの逃走』が知られているが、両者はともに深い関係を持っている。『愛するということ』の内容自体が、ファシズムへの処方箋のような部分がある。

 今回、この記事で中心に論じたいのは、その二冊ではなく、『悪ということ』という小著である。そこにおける「集団的ナルシシズム」、そして「衰退のシンドローム」と「成長のシンドローム」という人間の心理的傾向の対比を紹介しながら、現在の世界の状況との関係を考え、どのような処方箋が可能なのかを考えてみることにする。

目次

集団的ナルシシズム——「個人」として「分離」してあることの不安から逃れるために

 現代に生きるとは、原始的な社会や村社会のように、共同体や歴史や神などと密接な繋がりを持たない「個人」に分離され、その不安と孤独の中で選択する自由を強いられる状況である。それにより不安になると、人は何かに属したり、権威に服従することで、自由を捨てる代わりに安心を得ようとする。それが、『自由からの逃走』でも語られてきたフロムの分析の基本である。恐怖と孤独から解放され、安心感、連帯感、所属感を得る必要があり、その方法に悪質なものと良質なものがあるとフロムは考えている。悪質なものは、現在であれば陰謀論やカルト、過激な党派などへの(オンライン上での無自覚なものも含む)所属だろう。

「多くの人が原始的な状態に退行するようになると、万人精神病とでもいうべき現象が現れる。多数の人が同意するという事実によって、愚考が賢明な行動に、虚構が現実になる。この広がる愚行には、完全なる孤立や分離といった感覚がない。そのため進歩的な社会で経験する強烈な不安を感じずにすむ。大半の人にとって、理性や現実とは世論にすぎないということを覚えておかなければならない」(p163)

 その結果として、ナチスドイツや大日本帝国は、合理的な事実や予測を無視し、多くの死者を生み出し自ら壊滅に向かうような神がかり的な狂気に至ったという歴史を、我々は忘れるべきではないし、今我々がその渦中にいるかもしれないという疑いを捨てるべきではないだろう。

「ナルシシスティックな愛着の結果で何より危険なのは、合理的判断がゆがめられることである」「彼によって、異質な(「私ではない」)世界は劣等で、危険で、不道徳である。そしてナルシシスティックな人は結局、大きな歪みを持つことになる」「理性と客観性が損なわれるのは明らかだ」(p96-97)「真実のかけらを寄せ集めても、それをまとめあげた全体は、虚偽と虚構で成り立っている」(p113)。「政治的行動がナルシシスティックな自己賛美に基づくものであれば、客観性の欠如から悲惨な結果が引き起こされることが多い」(p113)

 そしてそれが行き着くと、異質な他者や異論を言う人々を、直接的に殺害し抹消することで、妄想的なナルシシズムを維持しようとする現象が起こる。これは、ナチスドイツ、大日本帝国で顕著に起こったが、スターリン時代のソビエトでも起こっており、右か左かはおそらく関係ないのだろう。ファシズムに反対するリベラルやフェミニズムの集団の中でも、その心理的傾向が集団に発生することがあり、「集団的ナルシシズム」が悪質になるか良質になるかは、個別具体的なケースに拠る。大衆文化のファングループなどでもそれは起こる。

 悪質なナルシシズムは、批判に対して過激な怒りを覚える。「孤独でありおびえている」から「孤独と恐怖の感覚を埋め合わせる」ために「ナルシシスティックな自己肥大化」(p98)をする。外部の客観的現実が存在しないような、母子一体であったり胎児のような世界だと安心できるから、そのような妄想を抱く。外部に、実在しない「脅威」を感じやすく、破壊しなければと思い込みやすい。ナルシシスティックな自我は脆弱で、傷つけられると鬱になるので、それを避けるために怒りを用いることもある。白人至上主義や男性至上主義者たちの加害者や差別主義者たちが、被害者であると自分たちを考え、防衛を正当化に用いるのは、このような心理メカニズムがあるのではないか。

「集団的ナルシシズム」の政治による破滅の帰結

 多くの者が自信を失い無力感を覚える社会において、妄想的なナルシシズムを提供し、満足を与えるという政治的な動員の手法がある。

「成員の多く(あるいは大部分)が満足できるだけのものを供給する手段のない社会において、その不満を取り除きたければ、その成員に悪性のタイプのナルシシスティックな満足を与えるしかなくなる。経済的、文化的に貧しい人々にとっては、その集団に属しているというナルシシスティックなプライドだけが満足の源になる」(p104)。そしてそれが、人種差別などに帰結する。

 人種差別などにおいては、サディズムが感情の満足を与える。自分が「上だ」「特別だ」と感じることができるからである。

「サディズム」は「他人を完全に支配し、自分の意のままにできる無力なものにしたい、その神となって好きなようにしたいという願望である。その人を辱め、従わせるのは手段であり、根源にある目的は彼を苦しめることだ」「他人(あるいは動物)を完全に支配する喜びこそ、まさにサディスティックな衝動の本質をなしている」「完全で絶対的な支配を受けることで、生物は生の本質の一つ、すなわち自由を失うのだ」(p32)。それを、無能、無力さへの「補償的暴力」と呼ぶ。

 このような悪質な「集団的ナルシシズム」を必要としてしまう人々が多くいる社会であれば、現実を否認する狂気を持つ者がカリスマになりやすい。「自分たちのナルシシズムに適合するよう現実を変形し、すべての批判者を破壊しようとするのは、狂気の暴発を防ぐ試みだとわかる。逆説的だが、そのような狂気の要素があるからこそ、指導者として成功するという部分もある。その狂気によって確信を持ち、疑念から解放されている姿は、一般人に強烈な印象を与えるのだ」(p101)

 現実を歪め、誇大な自己愛を持つ者が権力を持つと、病はより深まっていく。「神になろうとすればするほど、人間のなかで孤立し、孤立によってさらにおびえ、誰もが彼の敵になる。その結果として生じる恐怖に耐えるために、彼はさらに大きな権力を持ち、非情さを増し、ナルシシズムを高めなければいけなくなる」「自らの持つ権力によって現実をゆがめて」(p85)しまう。そして、その妄想により、権力から降ろそうとする者や暗殺者を招き、自身の妄想を現実化し確信を深めてしまうのだ。

 繰り返すが、その先に、豊かで平和な社会はないだろう。現実に基づいた合理的な判断が出来なくなっていけば、破滅に向かう可能性は高まる。否認や逃避ではなく、辛くても直視し、合理的に判断し、前向きに、創造的に生きていくことこそが、逃避したくなり無力感を覚えるこの社会の状態を根本的に変えるのだという、希望を持つことが必要である。

「衰退のシンドローム」と「成長のシンドローム」

「衰退のシンドローム」とは何か。一言で言えば、自信を失い、無力感に囚われた人々が、外界を無視してナルシシスティックな妄想を肥大化し、母子一体的な幻想の世界に固執しようとし、破壊や暴力や差別によって自尊心を増大させようとするような状態である。第一次世界大戦に敗北し、経済不況で中産階級が没落していく戦前のドイツの大衆心理は、このような状態に捉えられやすくなった。

「衰退のシンドローム」における三つの性向は、「死への愛(ネクロフィリア)」「悪性のナルシシズム」「共生・近親相姦的固着」である。それは、無力感と不安感を基調とし、母親の胎内に留まろうとするかのような退行した状態である。無力で不安であるがゆえに、ナルシシズムが歪んで増大し、他者への攻撃などで優越感を感じてそれを紛らせることになる。そして恋愛などにおいても境界線の曖昧な癒着的な関係になりやすい。様々な集団と一体となる「集団的ナルシシズム」が現れることも多い。生を発展し成長する流動的なものとして愛することなく、「機械」「モノ」として支配したがるような、「合理化、数量化、抽象化、官僚化、物象化」(p72)が起こることもある。

 「ヒトラーは、“衰退のシンドローム”の顕著な一例にすぎない。暴力、憎しみ、人種差別、ナルシシスティックな国家主義によって出世する人々には、このシンドロームを示すものが多い」(p153)。「ネクロフィリア的な人間は、未来ではなく過去に住んでいる。彼らの感情は基本的に感傷」(p43)。このような人物が支持され権力を持つには、そのような人々をカリスマとして求めてしまう大衆・民衆の状態があると考えなくてはならない。ヒトラーは、末期になると「彼にとっての最大の満足は、全面的、絶対的な破壊——ドイツ民族、彼の周囲の人々、そして彼自身——を目撃することにあったことがわかる」(p43)

 一方、「成長のシンドローム」には「生への愛(バイオフィリア)」「人間への愛」「独立」があるのだと言う。こちらは、独立し個人であることの不安や恐怖に耐える勇気を持ち、創造や成長を愛し、他者と境界線を保ちながら愛し合うことが出来る。「生を創造することは」「神の創造物としての立場を超越することである」(p31)。子どもの成長を喜ぶこと、芸術の発展を愛すること、達成や成果を誇ること、驚異や発見や冒険を愛することなどがここに該当する。

「成長のシンドローム」に転換するために

 「衰退のシンドローム」と「成長のシンドローム」は、一人の人間や社会の中に両方があり、バランスが変わっていくものであるとフロムは言う。現在、国内外で「衰退のシンドローム」に類似する言動が広まっているように感じられるが、どうすれば「成長のシンドローム」に変わっていくことが出来るか。それには、科学的思考とヒューマニズムが重要であり、前向きに創造し達成していく勇気が大事だと言っている。

 フロムは、良性のナルシシズムもあると言っている。たとえば、「物質、知識、芸術といった生産領域」での達成は、その仕事の過程の中にナルシシズムを矯正する要素がある。科学や芸術であれば、人間の意のままにならない物質的現実と格闘するフェイズなどがあるからである。そして、「良性のナルシシズムの特徴はすべて、成果に目を向けているということである。特定の集団、階級、宗教ではなく、誰もが人間であることを誇れるような仕事を完成させることをめざすべきなのだ」「病気や飢餓への共同の闘い、コミュニケーション手段を使って知識や芸術を普及させるための闘い」(p122)が重要なのだと言う。民族や国家などではなく、人類全体の行っている偉業自体を誇る良性のナルシシズムが必要であり、国連や、世界を平和に導こうとするあらゆる事業がその対象になりうると彼は考えている。

 そしてもうひとつ、悪質なナルシシズムや補償的暴力で自我を守るような「衰退のシンドローム」になるか、「成長のシンドローム」になるかにおいて、幼少期の養育環境の影響をフロムは指摘している点にも注目したい。親や身近な人間を信頼できず、絶望を味わったり、支配的で暴力的な環境で生きると、権威主義化していったり、「生への失望が生への憎悪へとつながる」(p29)。

 逆に、「幼児期に他人とあたたかく愛情深いふれあいを持つこと。自由であること、脅威がないこと。内なる調和と強さを助ける原則を——説教ではなく模範によって——教えること。“よりよく生きるための技術”を指導すること。他人からのよい影響とそれに対する反応。本当に張り合いのある生き方をすること」(p61)は、バイオフィリア=生への愛を発達させるという。

 同様のことは、社会全体にも言えるだろう。新自由主義の政治・経済システムの中、過度な競争と生の不安、格差などに怯えて生まれ育った者は、一部の勝ち組以外は「衰退のシンドローム」になりやすいのではないか。社会や国家、世界全体が、「成長のシンドローム」になるような、成長や創造や愛の喜びや安心を伝えているならば、後者の人間たちも増えるのではないだろうか。

 デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』によると、新自由主義とは公共のものを破壊し私企業化する傾向があると言うが、様々な中間共同体や公共が衰退していったのは多くの人が知っていることだと思う。おそらく現在では、親密さや性愛の領域、そして所属などの安心感などの領域まで食いつぶし、商業化していっている。そのような社会だからこそ、「衰退のシンドローム」から悪質な「集団的ナルシシズム」が発展しやすくなっているのではないだろうか。それはおそらく、民主主義や国家の安全保障上、大きなリスクになるだろうと思う。おそらくこれは対症療法でなんとかなるものではなく、格差を拡大し過度の競争で生命の再生産すら困難になっていくこの収奪的な経済体制から、協調的で平和的で安心できて愛と創造性と人類の連帯を育むような価値観やシステムに移行していくことが必要なのではないかと思われる。様々な社会課題に創造的に対応していかなければいけない日本の未来を豊かなものにするためにも、「成長のシンドローム」を育む社会への移行が必要だろう。

 世界的に宗教へのニーズが高まっているのも、そのせいではないのだろうか。フロム的な考えを採用するならば、必要なのは「成長のシンドローム」を伝え、所属と愛の欲求を満たし、平和と安心と協調を、創造と成長の喜びと未来への希望と、未知に飛び出す勇気を伝える宗教や集団や文化であろう。

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この記事を書いた人

藤田 直哉のアバター 藤田 直哉 リサーチフェロー

1983年、札幌生まれ。批評家。博士(学術)。日本映画大学准教授。著書に『現代ネット政治=文化論』『攻殻機動隊論』『虚構内存在 筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』『シン・ゴジラ論』『新海誠論』(作品社)『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)『娯楽としての炎上』(南雲堂)『シン・エヴァンゲリオン論』(河出書房新社)『ゲームが教える世界の論点』(集英社新書)、編著に『3・11の未来』(作品社)『地域アート』(堀之内出版)『東日本大震災後文学論』(南雲堂)など。1995年からインターネットに触れ、「ネット万華鏡」(共同通信)「ネット方面見聞録」(朝日新聞)などネット時評も担当。https://x.com/naoya_fujita

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