「悪役」から読み解く脅威情報の本質

「ディオ・ブランドー」といえば漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の第1部に登場する「悪のカリスマ」であり、悪役にも関わらず絶大な人気を博したキャラクターだ。このような魅力的な悪役は物語を大きく動かす原動力となる。荒木飛呂彦氏の著書「荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方」 では、「悪役」の描写が物語の中核を担う重要な要素であることが指摘されている。さらに、荒木氏は「悪役」は単なる敵対者ではなく、読者に「どうして彼らがその行動に至ったのか」を考えさせるべきだと主張している。
一方、国家間の脅威情報においても、「悪役」の描写は物語同様に重要な役割を果たしている。脅威情報における「悪役」とは、サイバー攻撃を仕掛ける国家や組織、いわば脅威アクターであり、その存在が情報の信頼性や受け手の反応を大きく左右する。物語の「悪役」が読者の関心を引きつけるように、脅威情報における「悪役」の設定は、情報を駆動し、受け手に行動を促す鍵となる。本稿では、物語の「悪役」設定と国家間の脅威情報における「悪役」の共通点を探りつつ、日本がその情報環境でどのように振る舞うべきかを考察する。
脅威情報における悪役の位置付け
現代の脅威情報において、「悪役」をどのように描くかは、単なる事実報告を超えて政治や文化的要因が大きく影響する。特に、サイバーセキュリティ分野においては、実態が見えづらいこともあり各国の政治的バイアスが多分に含まれることも少なくない。サイバー領域では、各国からの脅威報告が完全な虚偽であることは意外に少なく、いずれの主張も何らかの事実を絡めて行われている。それにも関わらず情報発信を行う国家の立場での視点一つでその見え方やシナリオはまるで異なって見える。これは、情報発信側にとっての「悪役」の位置付けが異なるためだろう。
荒木氏の作品の登場する「悪役」は、単なる敵対者ではなく、そのキャラクターごとに明確な目的や価値観、動機が設定されている。これは、脅威情報における脅威アクターにおいても同様だ。特定の国家や組織を「悪」と断定することは容易であるが、その背景や動機を無視すると単なるプロパガンダになってしまう。そのため、各国から発表される脅威情報には、各国情報機関やセキュリティベンダーなどが有する様々なインテリジェンスを活用した高度な戦略や情報が含まれている。その観点では、脅威情報は非常に奥深い読み物だ。そのため、正確な分析を行うためには複数の「信頼度の高い情報」と「具体的なデータ」などから多面的に「事実」を評価する必要がある。1つの脅威情報について、数ヶ月もの間、研究者間で議論されるのはそのためだ。
Volt Typhoonを巡る米中論争にみる情報戦
各国の主張を対比できる脅威情報として、中国の脅威アクター「Volt Typhoon」を巡る米中の論戦は、いずれも政治的バイアスが浮き彫りとなった好例だ。大国同士の論戦は、まさに主人公と悪役の関係であり、両国とも相手国の背景や動機を組み込みシナリオを構成している。なお、本稿では各国の主張に対しての是非善悪については触れない。
「Volt Typhoon」は、2023年5月にMicrosoft社が報告した脅威アクターで、中国政府が支援する脅威アクターとされ、主に米国の重要インフラを狙った長期的な諜報活動を行っているという。この発表は、米国のサイバーセキュリティー・インフラセキュリティー庁 (CISA)と同時に行なっている。
この発表を受け、中国の国家コンピュータウイルス緊急対応センターは2024年4月に反論レポートを公開した。
● 米中の「悪役」の描写の比較
米国のレポートの軸は技術的証拠や攻撃手法を強調し、事実として「悪役」を位置付け、「防衛の正当性」を強調している。それに対して、中国のレポートは米国の指摘する技術的証拠の矛盾と陰謀論への反論を軸とし、「米国の不信」を煽ることで、国民の団結を図る手法がみられる。つまり、基本的にはいずれも自国内の読み手を意識した内容となっていると言える。下表に米国と中国が相手国を「悪役」としてどのように描写しているのかを整理した。
比較項目 | 米国のレポートによる中国の描写 | 中国のレポートによる米国の描写 |
悪役像の特徴 | 技術的に高度で、国家支援のもと、米国の安全保障を脅かすスパイや攻撃者として描写。 | 政治的・経済的利益を追求するために虚偽を拡散し、中国をスケープゴートにする不誠実な存在として描写。 |
行動の意図 | 破壊的で攻撃的な意図を持ち、米国インフラを無力化し、戦争時に大混乱を引き起こす準備をしていると主張。 | 国内外の監視権限や予算拡大を目的とし、国際社会における自国の地位を維持するために中国を利用していると主張。 |
国際的影響 | 米国と同盟国への直接的脅威とし、サイバー戦争を加速させる要因と強調。 | サイバー空間における国際協調を破壊し、中国と他国の関係を悪化させる存在として非難。 |
目的 | 中国との協力を検討している第三国に対し疑念を抱かせて中国を孤立させる。 同盟国と連携した新ルール策定におけるリーダーシップ強化。 中国脅威論による中国企業の排除の正当化と米国企業への優先的な支援の強化。 国家安全保障の名目で監視技術やデータ収集を拡大。 | 非同盟国や発展途上国との協力を促進し、「公平な国際秩序」の構築をアピール。 愛国的な感情を煽り、国内の一体感を強化。 米国の制裁に対抗して、自国技術を開発しデジタル経済を自立させる。 インド、ロシアなどの技術的に高度な新興国との協力を拡大。 |
Volt Typhoonに関しては、米国は中国を「米国の重要インフラを標的とする破壊的行動」と描写しており、米国主導の国際秩序(経済、軍事、技術的ルール)を乱す国家と評している。一方で、中国は米国を「自国の利益を守るために相手国を利用する存在」として描写している。基本的には、米国の技術的観点での主張に対して中国が矛盾点を指摘する状況となっているが、いずれも憶測が含まれた内容となっていることは否めない。
● 政治的支持の得られる地域へのアプローチ
米中のサイバー領域における論戦はこれまでも幾度となく行われている。「Volt Typhoon」のレポートがこれまでと異なる点の1つは、中国がターゲットとしている読み手の地域が拡大している点だ。一般に、脅威情報に限らず公開情報の発信において選択された言語は読者の居住地域を想定したものである。とりわけ、脅威情報の発信については、情報発信国の同盟国の他に政治的支持が期待できる地域を想定していると考えられる。その観点で見ると、米国のレポートは英語とスペイン語で発表されており、英語圏と米国内のスペイン語話者、ラテンアメリカ地域を意識している。一方で、中国は初期段階では中国語と英語であったが最新版のレポートではドイツ語、日本語、フランス語を加えている。
この中国の複数言語での発信は、中国が透明性を重視し、国際社会の多様な視点を尊重していることをアピールするためであることは容易に想像がつくことだ。特に日本語の選択は、地理的な近さに加え、日本国内の親中・媚中の政治家、政府、研究者、メディアに直接的な影響を与えることを目的としていると推察される。この中国の多言語戦略は、ターゲット地域の文化的背景や社会情勢、読み手の価値観、期待を理解したカルチャー・インテリジェンスに基づく戦略であると推察される。
各国の心理戦部隊による活動
対立構造にあるのは韓国と北朝鮮、ロシアとウクライナの関係性も同様だ。例えば、ウクライナとロシアの関係では、互いに相手を「悪役」として描写することで論戦が繰り広げられている。ウクライナはロシアを「主権と自由を侵害する象徴」とし、ロシアはウクライナを「外部勢力によるロシア圏の破壊の象徴」として位置付けている。ウクライナ戦争では、NATO軍がウクライナを間接的に支援していることもあり、欧州の情報配信の取り組みが窺える。彼らにもウクライナを支援する「動機」があり、その取り組みは「悪役」の設定とストーリー作りと言える。
● 親ロシア派ハッカーによるNATO軍による心理戦訓練の暴露
親ロシア派(厳密には反ウクライナ政府)のハッカーグループ「ベルジーニ」はNATOの加盟国向けに実施される「SLP for Ukraineプロジェクト(グローバル社会の安全保障における戦略的リーダーシップ・プログラム)」の枠組みの中で、NATOの心理戦の特別コースが実施されていることを暴露した。このコースはイタリアのITSTIME(治安、テロ問題、緊急事態管理のためのチーム)が担当しているとされ、その指導者にはフェデリコ・プリッツィ氏(NATOの将校、心理戦専門)が含まれている。この訓練の詳細は不明であるが、「ベルジーニ」はロシアに対して悪意あるストーリーを宣伝させることを目的としていると主張している。
● ロシアが嫌がるNATO軍心理戦部門
NATO軍の心理戦部門は、NATO及びPfP(平和のためのパートナーシップ)加盟国から30名以上の専門家が参加し、19カ国の軍事・民間防衛の専門家で構成されている。彼らは認知戦にも関与しており、以下のような方針のもとで活動している。
目的:敵対勢力の士気を低下させ、敵対勢力の隊列内に疑念、反感、不和を生じさせることにより敵対勢力の効率を低下させる。
手法:テレビやラジオ、出版物、ソーシャルメディアなどを活用して配信する。
対象:国内外の敵対勢力だけでなく、一般市民や国際社会を含む広範な層。
ポーランドの著名な軍事専門家であるZbigniew Modrzejewski氏(1969-2023)は、心理戦が第二次世界大戦後のすべての軍事紛争において使用されており、重要な戦闘方法の一つとなっていると指摘している。また、同氏は国内への情報キャンペーンによる国民の支持の構築・維持についても強調している。なお、同氏は分析結果として「心理戦の世界的環境において、米国が間違いなくリーダーであることを示している。」と評している。これらを勘案すると、NATOの活動はその象徴的なものであると考えられる。
「多層的分析」に適した中立的立場が活かせる日本
現在の日本は、明確に二極対立する国家が存在しないため、特定の国を強く非難するなど、自国の「正義」を主張するような脅威情報を発信する必要性がない。また、日本はFiveEyesやNATOといった同盟にも属していないため、他国の主張に追従する義務もない。このような立場は、日本独自の情報分析能力を発揮する絶好の環境であると考える。
一方で、対立構造が曖昧であることは、日本に、各国の情報を多層的に分析し、バイアスを排除した公正な脅威情報を発信する機会を与えている。日本はこれまでに中国からのサイバー攻撃という事実の発表や報道はあるものの、同国を直接的に非難するような内容の脅威情報を公開するケースは少ない。仮に大国を非難する発表をする場合は、相手国との経済的依存関係を考慮しつつ、特定の行動や政策を批判する形で「悪役」を部分的に設定している。
実際、これまでも他国が発表した脅威情報に対して、不審点について反論はしないまでも独自の分析を継続的に行なえるのは国内に脅威情報の配信に対して政治的バイアスが殆ど無いためだろう。このような立場を効果的に活かすことで、国際社会において独自の役割を果たすと同時に、国益を守るための基盤を築ける可能性がある。
特に、脅威情報において公平性を重視し「悪役」を特定しすぎないスタンスは、日本独自のスタイルとして機能すると考える。このアプローチにより、日本は「知的中枢の要石」として国際社会での存在感を高めると同時に、国益を守るための基盤を築くことが可能である。
日本が目指すべきは、偏りのない脅威情報を発信しつつ、各国から信頼される情報拠点となることであると考える。公正な情報提供は、国際社会の混乱を避けるだけでなく、第三国との関係強化や外交的地位の向上にも寄与するものだ。このような中立的かつ多面的な情報分析を継続することで、日本は独自の立場を活かした戦略的な役割を果たせるだろう。