ウラジオストク渡航者が見たロシアの今・報道のズレ〈サイバー防衛研究会12月例会報告〉

今回のサイバー防衛研究会1では、すこし異色であるが、「海外渡航の安全対策とロシア渡航時の注意点」をテーマとする講演が行われた。内容は、最近、ロシア極東・ウラジオストクへ渡航した講演者(諸事情により氏名は伏せる)の経験に基づく報告である。
講演では、政治的評価や安全保障論を前面に出すのではなく、実際の渡航において直面した手続きや制約について、具体的な事例が紹介された。ロシアへの入国、経由地での移動、現地での決済や通信手段、日常生活の様子などが、講演者自身の体験に即して説明されている。
ロシアに関する情報は、日本国内では戦争や制裁を軸とした報道が中心となりがちである。一方で、渡航の可否や準備、現地での生活環境といった実務的な情報は、断片的にしか共有されないことが多い。今回の講演は、渡航前の準備から現地での行動までを時系列に沿って整理し、実際に何が起きるのかを具体的に示す内容である。
視点の転換:富山発「逆さ地図」が示す距離
講演の冒頭で示されたのは、富山県が作成した「環日本海諸国図」、いわゆる逆さ地図である。
参考 「環日本海・東アジア諸国図(通称:逆さ地図)の掲載許可、販売について」(「環日本海・東アジア諸国図」は、こちらのページに掲載されています)
日本列島を上下逆に配置し、大陸側から日本海を見るこの地図では、日本海はロシア、朝鮮半島、中国、日本に囲まれた閉鎖的な空間として浮かび上がる。
この視点に立つと、ウラジオストクは東京から見て「遠い北の都市」ではなく、富山の対岸に位置する近接都市として認識される。講演では、かつて富山空港から20人乗りのヤコブレフ機が就航していたこと、さらに2020年3月16日には成田―ウラジオストク直行便2が運航を開始していた事実が紹介された。現在はコロナ禍と「特別軍事作戦」の影響で運休しているが、地理的距離が変わったわけではない。
この「距離は近い」という感覚を共有した上で、講演は具体的な渡航の話へと進んだ。
ビザは取得できるが、少し違う〜電子ビザと200ディルハムの支払い〜
現在もロシアへの観光ビザ取得は可能である。講演では、電子ビザ申請の実例が画面共有を交えて説明された。
ただし、強調されたのは申請そのものではなく、支払いのプロセスである。
申請の最終フェーズで表示されるのが、「支払いに TLI というシステムを使用するが同意するか」という確認画面だ。これに同意すると、モスクワではなくドバイの GKD Global の決済ページに遷移し、200アラブ首長国連邦ディルハム(AED)3を支払う形になる。
ロシアの電子ビザ代金を、第三国・第三事業者・第三国通貨で支払うという構造は、制裁下にある国家の現実を端的に示している。講演者は評価を加えず、「Web上で同意しなければ先に進めない」「支払い後、きっちり4営業日でビザが発給された」という事実を共有した。
制度は機能しているが、渡航の入口からすでに「通常の海外渡航とは異なる感触」が生じるとのこと。
経由地で顕在化する不確実性〜中国経由と5時間の空白〜
日本からロシアへの直行便がないため、今回の渡航は中国経由となった。
ここで大きな意味を持ったのが、バゲージスルー(荷物の最終目的地転送)の可否である。
行きはスルーできず、中国国内で一度入国扱いとなったため、荷物をいったんピックアップしなければならなかったし、入国審査も必要だった。単なる乗り継ぎが「入国を伴うプロセス」に変わることで、手続きや時間管理の難易度が一気に上がる。
さらに、中国の空港では20時を過ぎると有人店舗が閉まるため、現金が使いにくくなる。
また、Alipayも万能ではなく、Alipayの外国人向けクレジットカード登録機能は、SMS認証(ショッピング時にショートメッセージで送られてくる確認コードを入力して本人確認を行う仕組み)にしか対応していないため、エポスカードVisaは使えたが、Eメール認証の三井住友VISAカードは使えなかったとのことである(※現在は違うかもしれないので必要な方はご本人で確認してください)。
講演では、この経験を踏まえ、エポスカードや三井住友カード(Visa)など、使える決済手段を複数用意する重要性が示された。
この話は、渡航リスクが、目的地だけでなく、経路と時間帯によって増幅されることを分かりやすく示している。
入国審査:問われるのは技術ではなく一貫性
ロシア到着後の入国審査について、講演者は「別室に回される前提で考えた方がよい」と述べた。
実際に確認された質問は、渡航目的、滞在先(ホテル名)、軍隊経験の有無、さらにスマートフォンの中身、ウクライナへの渡航経験の有無にまで及んだ。(今どき、専制国家に出入りする際にデジタルデバイスの中身までケアしておくことは、サイバー防衛関係者であれば常識であろう。)
このため講演者は、渡航前にスマートフォン内の不要なデータを整理し、SNS(特にFacebook)をログアウトまたは削除して、現地の携帯キャリアへは入国後にアクティベートした(入国時に国境警察が操作をして外部と通信させないため)という。また、ロシア出国まで通信が不安定なので、航空券、宿泊予約、ビザ情報をすべて紙で印刷して携行した。

機内から撮影したクネヴィッチ空港(講演者撮影)
空港自体が軍事施設でもあるため、ロシアの空港での撮影は控えるべきという注意も共有された。
ここで求められるのは高度な対策ではなく、「説明が矛盾しないこと」「その場で示せる証拠を持つこと」である、という整理が示された。
通信と決済:前提が通用しない生活インフラ
ロシア国内では、VisaやMastercardといった西側クレジットカードは基本的に使えない。決済手段は、現金(ルーブル)か、ロシア国内決済ネットワークであるMir(ミール)カード4に限られる。
参考 「2025年 外国人がロシアの銀行カードを取得する方法は?」(ロシア・ナビ、2025年03月20日)
通信についても、現地SIMの取得は外国人にとって非常に煩雑で、ローミングSIMやeSIMを用意していても、ロシアの携帯網に認識されてから24時間後に通信が許可されるため、すぐには使えないといった事例が紹介された。(渡航後、2025年12月には、一部の現地事業者が、データ通信とSMSの利用制限を即時解除できる機能の提供を開始した。)
ロシアで確実に使えるサービスとして、Yandex Maps、2GIS(地図)やVoiceTra(翻訳)が挙げられ、DeepLはロシアのIPアドレスからは利用できないようにDeepL社がブロックしているという指摘もあった。
これらは単なる不便さの話ではない。制裁下では、社会インフラの冗長性が失われ、使える選択肢が急激に減る。その影響が、日常の行動一つ一つに現れてくる。
日常の風景に溶け込む「戦争をしている国」という現実
ウラジオストクの街は、一見すると平穏である。スーパーには商品が並び、外食もできる。

2019年にウラジオストクにオープンした極東ロシア最大のショッピングモール「カリーナ・モール」(2GISから)
コーラやスプライトは、ロシア国産の代替品(1L)が1本114ルーブル5、中国からの輸入品(2L)は268ルーブルで、日本より高いものの、品切れではない。また、ロシア国内では、日本のJTI(日本たばこ産業(JT)の国際部門)のたばこも販売されており、日本は非友好国だが、JTIはトップクラスに位置するという事実が示された。

スーパーで売られる中国産のコーラやスプライト(講演者撮影)
しかし講演では、こうした「普通の生活」の中に、戦時体制が静かに組み込まれている場面が紹介された。
具体的には、市内の路線バスの車内に掲示されていた契約兵募集の広告である。
巨大な看板でも、街頭演説でもない。通勤や買い物で誰もが利用するバスの中に、あくまでさりげなく貼られている。
広告に記されていた一年間の報酬は500万ルーブル。日本円でおよそ1000万円である。講演では、別の都市では570万ルーブルといった条件も紹介され、地域によって金額が異なることが示された。

ウラジオストクの路線バスの車内に掲示されていた契約兵募集の広告(講演者撮影)
参考 「〈ロシア極東・シベリアに行ってみて分かったこと〉80年前の戦争は絶賛、ウクライナ戦争には沈黙…1000万円の現ナマに訴える契約兵の募集も」(シベリア内陸部の都市スルグト街頭の契約兵募集広告の写真が掲載されている)
広告には戦況の説明も、危険性への言及もない。ただ「勝利」とだけ書かれている。しかし市民はその意味を理解しているという。
この「説明されないが、前提として共有されている状態」こそが、講演者が感じ取った、戦争をしている国の日常的な空気だった。
街の表層だけを見れば、戦争は遠くにあるように見える。だが、日常の移動手段の中に兵士募集が自然に組み込まれているという事実は、この国が現在も戦争を遂行していることを、静かに、しかし確実に示している。
報道と現地のズレをどう読むか——事実ではなく「どの情報圏で観測されたか」を読み取る
講演の終盤で示されたのは、報道についてである。それは、報道内容を単純に否定する姿勢ではない。
むしろ講演者は、「多くの報道は事実を含んでいるが、その事実がどの範囲の、どの条件下のものかが省略されやすい」と整理していた。
例として挙げられたのが、ロシア国内のガソリン不足を巡る報道である。
ガソリンスタンドに行列ができているという映像や記事は確かに存在する。ただし講演では、それが主に補給路が一本の橋に依存するクリミア半島や、中央アジアに近い内陸の地方都市など、物流が構造的に不安定な地域で顕在化しやすい現象であることが補足された。国土の広いロシアでは、流通の偏在は平時からの課題であり、特定地域の状況をそのまま全国的傾向として読むと、評価が粗くなる。
同様の構図は、日常生活の描写にも見られる。
たとえば、前述の中国から輸入されたコーラやスプライトが販売されているという事実は、「西側製品が消えた結果」とも、「代替流通が成立している証拠」とも読める。どちらも事実だが、どの側面を強調するかで、受け取られるロシア像は大きく変わる。
講演が示唆していたのは、こうした違いを「真偽」で処理すること自体の限界である。(日本でも、『ファクトチェック』が流行ったが、一過性のブームで終わった。)
重要なのは、その情報がどの情報圏(information sphere)で観測・編集され、どの前提を共有する受け手に向けて構成されているかを意識することだろう。

マクドナルドが閉鎖し売却した店舗で営業するファストフード店「フクースナ・イ・トーチカ」の店内の様子(講演者撮影)

「フクースナ・イ・トーチカ」のメニュー、現金は使えない(講演者撮影)
日本の報道が属する情報圏では、ロシアは制裁下で追い込まれている存在として描かれやすい。一方、現地で観測される情報圏では、制裁や戦時体制はすでに前提条件として織り込まれ、生活は「制限付きの日常」として続いている。
講演で紹介された、普通に営業する飲食店や、居抜きで継続するハンバーガーショップやカフェ、そして路線バスに掲示された契約兵募集の広告は、そうした後者の情報圏に属する現実だった。
報道と現地の間に生じるズレは、必ずしも誤報や意図的な歪曲の結果ではない。異なる情報圏が、それぞれの前提と合理性に基づいて現実を切り取った結果として生じる差異である。
講演では、そのズレを埋めるには、情報を多く集めるだけでなく、「どの情報圏の現象を見ているのか」を自覚する必要があることを、具体例を通じて示していたと言える。
おわりに——現地に立つことでしか補正できないもの
今回の講演は、ロシアという国家を評価することを目的としたものではない。
制度、決済、通信、流通、日常といった要素を、実際に通過した経験として積み重ねることで、報道だけでは把握しにくい現実の輪郭を確認する内容だった。
決済の手順、経由地での手続き、国境で求められる説明、そして現地で続く日常と戦時の併存。個々は些細に見えても、プロセスを積み上げることで、その社会が置かれている条件が具体的に見えてくる。
私たちが接する情報の多くは、誰かの整理や編集を経たものであり、それ自体は避けられない。ただ、その前提を意識せずに情報を積み上げると、認識に小さなズレが生じやすくなる。
そうしたズレを確かめる上で、現地に立ち、自らプロセスを踏むことで得られる感触を一つの基準として持つことは、不確実な状況を過度な先入観なく見極めるための有効な手がかりとなる。
今回の講演は、その点を特別な主張を伴うことなく、具体的な経験として示していた。
注
- 元陸上自衛隊システム防護隊初代隊長の伊東寛氏らが始めた私的研究会。現在、INODS代表・齋藤孝道が主宰している。サイバー防衛研究会 連絡先:info@stratcyber.org ↩︎
- 成田―ウラジオストク直行便の場合、2時間半とのこと。 ↩︎
- 2025年12月現在で、約8500円 ↩︎
- Mir(ミール)カード:ロシア国内で利用されている決済カードネットワーク。2014年以降、西側の決済網(Visa・Mastercard)への依存低減を目的に整備され、現在はロシア国内の多くの店舗・公共サービスで使用されている。 ↩︎
- 2025年12月現在で、114ルーブルは約228円。(その後、2026年1月1月に消費税(付加価値税)が20%から22%に引き上げられている。) ↩︎
