参政党はナチス・ドイツと似ているのか?

ファシズムにおける性と政治
前回までの二回において、ナチス・ドイツにおいて、どのように性と政治が影響し合っていたのかについて、ヴィルヘルム・ライヒの『ファシズムの大衆心理』の記述を参照して確認してきた。
非常にリベラルで性にも寛容で先進的だったヴァイマル共和政のドイツが、不況などを経て家父長制的で権威主義的な国家と化していき、家族や生殖を重視するナチスのイデオロギーを如何に女性たちが支持し、禁欲を強いることで捌け口を求める男性たちの性的衝動をいかにイデオロギーや体制の支持、そして差別や暴力に振り向けてきたのか、ライヒの分析により心理メカニズムを分析してきた。田野大輔『愛と欲望のナチズム』によると、ナチスは理想的な家庭を目指すような禁欲と、ヌード写真を活用したり性的満足を与えるための施設を作るなど、性欲の抑圧と解放により、政権やナチズムがある種の「希望」「満足」を与える対象であるかのように男性たちに錯覚させていったようである。
さて、ナチス・ドイツを確認したのは、「性と政治」の絡み合う複雑なメカニズムを歴史的な事例を参考に学ぶためであり、本当に考えたいのは、現在におけるフェミニズムとマノスフィアの衝突による「文化戦争」である。それはアメリカの文脈では、およそリベラルと保守の対立と重ねられて理解され、準内戦のような状態に国を導いている。
今回は、前半でそのようなインセルやマノスフィアと、フェミニストやリベラルが対決している「文化戦争」の現状を分析し、その上で、日本における参政党がナチス・ドイツに類似した思想・政策を提案している状況について考えていくことにする。
逸脱と精神的補償
インターネット上でのマノスフィアを研究し博士論文を書いたアンジェラ・ネイグルは『普通の奴らは皆殺し インターネット文化戦争、オルタナ右翼、トランプ主義者、リベラル思想の研究』の中で、現在の女性差別的な傾向を持つオルタナ右翼たちの美学は、ロマン派、1930年代の前衛芸術家、1960年代の新左翼、パンクロッカーなどと類縁性のある美学を持っていると分析している。
「『至高性』としての支配と、良心の拘束からのイドの解放は、すべてこの侵犯の伝統に由来している。ニーチェがナチスに訴えかけたのと同じく、右派の反道徳主義を形成する手段として侵犯的な感受性が用いられ、オルタナ右翼のインターネット空間で女性や少数民族の人間性をあからさまに損なうことに口実と合理性を与えている。彼らが生み出した侵犯の文化は良心を解き放ち、第二次世界大戦以来保持されてきた、人種政治に反対するというタブーを犯したことによる潜在的な人的補償を真面目に考えねばならないという考えから解放する。60年代のサド的な侵犯の要素は、文明の破壊、堕落、そして虚無主義(ニヒリズム)の核心だとして何十年ものあいだ保守派から批難されてきた」(p81)
筆者は、ロマン主義も、前衛芸術も、60年代のカウンターカルチャーも好きであり、「タブー」に挑戦してきた作家である筒井康隆で博士論文を書いてきたので、このような美学にはむしろ親和性が高い。率直に言えば、「ハマる」のがよく分かる。
『週刊読書人』で安田峰俊と対談した際、ネット右翼や2ちゃんねらーの「反日教組」「反マスコミ」などの心性の背景に、家庭や学校での抑圧に対する反発という心情があるという話を伺ったが、自分を抑圧し惨めな思いをさせる様々な存在に反抗し解放感を得たいという心理的な動機はよく分かるのだ。筆者自身も抑圧的な父の家庭に育ち、強い反発と反抗の気持ちを持っていたので、その心情そのものを全否定したいわけではない。
ここまでの議論と照らし合わせて確認されるべきなのは、それがライヒが権威主義的な父による抑圧とその反動としてファシズムを分析したことと類似している点である。ただし、その抑圧者は、必ずしも実際の父とは限らず、制度やシステムやマスコミや規範などであることもあるのだろう(実際にそうである場合も、そのように心理的にスライドしてしまっている場合も)。
その原因として彼女が分析しているのが、格差である。学歴や賃金の格差が極端に拡大しているアメリカの社会では、日本と同じように生涯未婚率や、恋愛やセックスを経験しない者の数が膨大になっており、「一夫一婦制の凋落」(p184)が起こっている。「男性エリートにとっては性的選択の自由度が大いに増し、序列の最下層に位置する大勢の男性のあいだで独身主義が強くなった。最下層の男性たちの、自分たちのランクの低さに対する不安と怒りこそが、まさしく、世界の中での女性や非白人の階層を政治的に主張する強硬なレトリックを生み出したものなのである。拒絶されたことによる容赦なき痛みがフォーラムのなかで腐敗し、それによって彼らは、彼らに多大な屈辱をもたらす残酷な自然の諸階層の支配者になろうとしたのである」(p184)。
それは「精神的補償」であり、かつて経済的に没落していくナチス・ドイツの人々を惹きつけたニーチェが体現していたものだった。彼は「超人」「力への意志」などと誇大な内容を著作に書いていたが、実際には「近眼、精神衰弱、慢性的な体調不良、消化器の不調、そしてもちろん、女性たちからの無情な拒絶がニーチェの現実だった」(p184)。同じことが、ネット内だけで「イキ」り集団で嫌がらせをする人々や、ゲームなどの中だけで強くなった気分になっている人々に起こっているのだろうと思われる。
「絶滅」というナラティヴ
性と政治が結びつくのは、「絶滅」の感覚を通じてであろう。格差が拡大し、製造業などが衰退し中間層が没落しても、進化論の適者生存の理論を援用した新自由主義的な正当化によって、見捨てられた状態に置かれたと感じる者は多いだろう。社会的に劣位にある者は、恋愛や結婚、出産や家庭を持つ機会に恵まれず、「絶滅」させられているという危機の感覚を引き起こす。マノスフィアの議論は「白人至上主義」などと結び付きやすいが、それは「グレートリプレイスメント」と呼ばれる、白人を別の人種に置き換え絶滅させる計画があるという陰謀論で心理的につながりあっている。リベラルやフェミニズムも、恋愛や結婚・生殖を困難なものにするという性質と、それが大学に行くことのできる富裕層に片寄って習得機会が多いという性質により、自分たちを絶滅させようとする陰謀の主体に見えてくる。それにより、一夫一婦制や、女性が従順であるなどの旧来の「男らしさ」「女らしさ」を提示する宗教右派や保守的なジェンダー観へのシンパシーが高まっていく、という構造があるのではないかと思われる。
筆者はこの議論において、「彼ら」が一方的に愚かで勘違いしてデマを信じている、と見下し侮蔑したいのではない。大元にはグローバル資本主義や新自由主義の政治・経済・倫理の間違いが存在していたし、それを是正することに成功しなかったアメリカの「リベラル」にも、それを正当化したような能力主義や様々な宗教的信念にも問題があったのではないか、と思っている。
マノスフィアに吸引される人々
戦略対話研究所の上席主任研究官のユリア・エブナーは『ゴーイング・メインストリーム』で、マノスフィアの調査を行った。
インセルのコミュニティは「ほとんどのグループは、社会に溶け込めないと感じる人に居場所を与える目的でつくられたもの」(p45)だと言われている。そこにいる人は「ソーシャルスキルや自信の欠如」(p49)があることが多い。精神疾患や障害、健康上の問題などで苦しんでいる者もいる。そこでは、相互批判により、不安、自己嫌悪、絶望と怒りが高まっていく。「彼らのミソジニーや暴力的なファンタジーがおそらく自己嫌悪や自己憐憫から生まれている」(p55)とエブナーは観察している。
挙げられている一人の参加者は、ひどく孤独で、「バーチャルな友人という新たな家族を求めてインセルのフォーラムを訪れた」(p56-57)。そのフォーラムは「親密な絆があるとの幻想」を抱かせ「親近感」を生むが、長続きし手応えのある「揺るぎない愛情や帰属意識」(p57)は手に入らない。その代わりシニカルなニヒリストに批判されて過ごすので、鬱や不安がより悪化していくのだという。
マノスフィアはネット上の周縁的なサブカルチャーだったが「内輪の言葉やミームや引用は、ゲームやアニメ、ポルノのコミュニティといった他のオンラインのサブカルチャーと受粉し合っている」(p87)。今や、日本でもSNSやショート動画などでこの思想は広範に流通し、メインストリーム化している。それは、白人男性が「被害者」で「絶滅」させられているというナラティヴにより、白人至上主義やレイシズムとも結びつきやすい。
ロシアからの情報工作・政治工作
これらの問題を引き起こしたのか、乗っかったのかは不明であるが、ロシアは反リベラリズム、反フェミニズムの姿勢をはっきりと打ち出し、保守主義の国として人々の支持を集めようとしている。様々な国に対する情報工作も行っている。
ユリアが「代理戦争の遂行」の章で述べていることだが、プーチンはロシア文化に対する西側の「キャンセルカルチャー」を批判し、J・K・ローリングを持ち出し「ジェンダーの銃とやらを愛する連中の不評を買った」(p283)のだと主張した。
「欧米の反LGBTのアクティビズムとロシアのつながりの歴史は古い」とユリアは言う。オリガルヒのウラジーミル・ヤクーニンとコンスタンチン・マロフェーエフは、「同性婚、中絶、トランスの権利に反対する欧米の反リベラル運動とロシアによる資金提供との橋渡し役を務めていた」(p283)。プーチンはリベラリズムは「時代遅れ」だと言い、ジェンダー流動性を教えることは「人道に対する罪」だと言っているという(ロシアからの情報工作については、拙稿「世界の裏で暗躍する「工作活動」の実態 ロシア・アメリカ情報戦争の100年」および、『現代ネット政治=文化論』を参照してほしい)。
「何年もかけてプーチンは、世界の極右派に向けて、自分の戦いは彼らの戦いでもあるのだとシグナルを送ってきた。西側の白人ナショナリスト、反民主主義の陰謀論者、キリスト教原理主義者は、彼のなかにヒーローを見出した。プーチンの強い男性的なイメージと進歩的な現代性に対するその敵意は、リベラルな民主主義が台頭する自国で喪失感を味わう人びとに強い共感を生んでいる」(p313)。
つまり、世界中で抑圧され疎外感を感じている人々が、その「抑圧」する何かを破壊し解放してくれる存在として、プーチンにカリスマの夢を見ているのだろう。そのような人々を吸引し扇動するためにそのような思想と自己演出を用いているということでもある。それは、シリコンバレーなどのテクノリバタリアンや暗黒啓蒙や加速主義の思想の中にある「EXIT」を求める心境と近しいものがあるだろう。とにかく抑圧され生きにくいので、解放されたいという願いがあるのである。それを体現できるように見せかけたカリスマが、その約束を叶えない空手形であることなど、よくあるのだが、そのような合理的な検討よりも先に信じたいという心理、屈辱や苦痛や抑圧から逃れたいという憧れの心理が先に来ているのだろう。魅力の要素として「男らしさ」「昔に戻る」が使われている点は、ナチス・ドイツを思わせる。
ユリアは、過激主義が主流化している現在について、「世界的なパンデミック、ヨーロッパで再開される戦争、加速を続けるテクノロジーの変化といった試練が続くなか、急激なアイデンティティ・シフトにわたしたちの民主主義体制は備えておく必要がある。さもないと、おそらく目下起きているアイデンティティの衝突が、暴力やテロリズム、戦争へとエスカレートしていくさまを目にすることになるだろう」(p43)と警鐘を鳴らす。そして「過激なイデオロギーの奥にあるアイデンティティ・クライシスを理解するのはとても大切なことだ。政敵同志がお互いを同じ人間としてますます扱わなくなっているときには、なおのことだ」(p42)とも言う。
参政党はナチス・ドイツに似ているのか?
さて、現在、日本において参政党が勢いを増し、その保守的な思想や、女性を「子どもを産む」機能に押し込めようとする発言、そして移民や外国人に問題を押し付ける排外主義的な(ナチス・ドイツにおける「神秘主義」と同型の)議論を行っている点において、ナチスとの類似が語られている。これらの点においては、間違いなく参政党はナチスに似ている。
ここで、参政党のホームページに乗っている文章、特にNEWSの「海外情報」に挙げられている記事を分析してみよう。
欧州で、ロシアからの選挙工作・積極工作の関与が深いと見なされている極右政党「AfD(ドイツのための選択肢)」について、参政党はホームページで何度も言及している。たとえば2024年10月12日「AfD(ドイツのための選択肢)というタブーの正体」で、AfDに対して擁護的・好意的な記事を書いている。その中にはナチスへの言及もある。
AfDは「ナチス擁護発言」や「ナチス『ヴァーンゼー会議』再来」騒動などで、ナチスと結びつけられて論じられることが多い。参政党は、AfDを欧州の中でタブーにされていて、政治的迫害を受けている存在だと記事の中で印象付けようとしている。
そして、こう書く。「AfDは『愛国主義』や『ナショナル保守主義』を掲げ、伝統的な家族や国家の価値を重視する一方で、EUの中央集権化やグローバル化に反対する姿勢を強調している」「ドイツでAfDが攻撃される時、常に話題にのぼるキーワードは『ネオナチ』『ナチス』である。それではAfDが右翼として反社会的行動に出ているかといえば上記のごとく、ナチスを擁護するというよりは『非難しすぎに対する反省』の弁に留まっているに過ぎない。だがこれだけでもドイツでは誹謗中傷の対象となりうる。哀れな有権者はこの境界線で右往左往させられているのだ。AfDという勢力が現代の世にナチスを復活させるかの如く伝える報道こそがグローバリズムによる大衆煽動とは言えないのか?」「一国民が故郷を愛し、家族を想い護らんとする。人としてごくごく自然な『愛情』や『誇り』がドイツの社会においては一種の罪悪感と結びついている。これこそがドイツという国の最も奥底に眠る国民病なのである」「行き過ぎた気候変動対策やポリテイカル・コレクトネス、大量移民による弊害としての犯罪を含む様々の受難に遭って、国民はようやく家族という単位や国や国語の意味について考えを巡らせるようになった」。
明らかにAfD擁護である。2024年7月3日の吉岡綾子の記事「「ドイツのための選択肢」〜顔を持たぬ新興勢力」では「危険な極右として迫害される政党AfDの受難」と、迫害を受け受難に遭っている存在として描かれており、似た境遇の者の共感を誘おうとしている。
2024年5月1日のこれも吉岡綾子の記事「ジュネーブにおける人知れぬ闘い〜沖縄先住民族問題②」では、国連と日本の間に楔を入れようとする記述がある。「慰安婦、捕鯨、南京、アイヌ、、、日本がその歴史的解釈や戦後問題その他で国際的不利益を被っている諸問題はそのほとんど全ての震源地を国連(又はその付属機関)に依っている。むしろ国連そのものが被害者を創り出し、その被害者を護っているかのごとくに装い、各国に分担金の増額を要請し組織を太らせているなどという例をいくつも思いつけないだろうか?メリークリスマスも言えない社会がある。あなたは男らしいと言えば問題になる学校がある。ブラックライヴズマター、LGBT問題、、沖縄先住民族決議勧告もまた、それらと構造的に無関係ではない。/国連とは戦後、特にここ2〜30年の間に世界に蔓延るようになったキャンセルカルチャーと密接に結びついている組織だ」と、「男らしさ」を擁護し、反LGBT、キャンセルカルチャー批判を行っている。このナラティヴが、先に触れたプーチンがアピールしようと発信している像・イデオロギーと重なることは、偶然だろうか。
2024年4月2日の山下政治の記事「日米軍事指揮統制の罠」では「以上の日米軍事指揮統制の提案は、日米同盟の強化により日本に強力な抑止を加えようとしているように聞こえる。日本の自衛隊を米国が完全に管理してしまう構造なのではないか、と筆者は考える」と、日米同盟に楔を打ち込もうとする記述が目立つ。「日本人ファースト」の路線は、移民や外国人の排斥のみならず、ゆくゆくは(アメリカと同じように)様々な軍事同盟などを破棄し日本を孤立させ弱体化させていく方向に繋がっていくのではないだろうか。
2025年2月20日の藤野はるかの記事「第2次トランプ政権:DOGE(政府効率化省)は「狂気の沙汰」なのか?」ではトランプ政権のDOGEを擁護している。おそらく現在の日本の減税ポピュリズムも、その方向に日本を向かわせるための下準備だろう。
2025年7月6日現在、参政党のHPのNEWS内の「海外情報」というコーナーには、143の記事がある。そこでは、軍事の問題などがしきりに議論され、中国の脅威についての記事はたくさん書かれ、インドやドイツの状況などが書かれるが、ロシアを扱った記事は極めて少ない。批判的な論調の記事が一つもなく、扱われるときは擁護される文脈であることには、極めて不自然さを感じざるを得ない。防衛の中でもロシアからの侵攻に対する防衛は、ウクライナ戦争以後、すぐ隣の国である日本では当たり前に浮上してきている議論であるが、その議論が全く行われていないのである。
たとえば言及されている場合でも、2022年4月22日の台湾軍事ニュースネットと署名された記事「ウクライナ紛争の歴史的背景(1) – アシュケナージのユダヤ人誕生編」では、「もちろん軍事的侵攻の口火を切ったロシアに責任があることに疑いはありませんが、ウクライナは侵略されただけの純粋な被害者でしょうか?」といった具合だ。2022年3月15日の同名の筆者は「ウクライナのゼレンスキー大統領は愛国者か?」という記事で「ボクにはどうしてもゼレンスキー大統領がロシアを執拗に挑発し、それに耐えかねてロシアが侵攻してくれば和平を拒否し、徹底抗戦のふりをしてウクライナを破壊したというように見えてしまう」と、責任をロシアではなくウクライナに押し付ける論法が展開している。2022年6月17日の「ウクライナ紛争の歴史的背景(2)なぜユダヤ人が迫害されるのか?-編」では「日本の大手マスコミのように一方的に『ロシアは悪』、『ウクライナは善』、『ゼレンスキー大統領は英雄』だと報道するのは問題の本質から目をそらしているよう感じます」とし、ロシアがウクライナを自分の領土だと感じる背景を説明している。
これらの記事の内容の偏りから、参政党は、ナチスに極めて似ているだけではなく、ロシアに極めて似ている政党なのではないかという強い疑いを禁じ得ない。そこで語られているナラティブ、イデオロギー、そして批難と擁護の対象、そしてそれらの言説の利害を考えると、AfD同様、ロシアとの関係性を強く疑わせる政党であろうと思われる。参政党の主張はナチスに極めて近いが、それ以上に、ロシアに近いように筆者には思われる。
では、ロシアに似ていることと、ナチス・ドイツに似ていることには、どのような関係があるだろうか。
プーチンのブレーンであるアレクサンドル・ドゥーギンは、2014年の論文「第四の政治理論の構築にむけて」でナチス・ドイツを参照し、ファシズムの活用を提案している。『諜報国家ロシア』を書いた保坂三四郎は、ドゥーギンを「ネオファシズム的新興宗教」の「教祖」と呼んでいる。2025年3月9日に、ドゥーギンはXにおいて、突然日本語で、「今こそ『日本を再び偉大にする』方法を考える時です。中国は偉大です。これまで日本は、グローバリストシステムの惨めな付属物に過ぎませんでした。主権ゼロの占領された国。過去の偉大さの影しかありません。トランプはその状況を変えるチャンスを与えてくれます」と呟き、ホームページでは日本人に「覚醒」を呼びかけている。
筆者には「日本人ファースト」という路線は、その言葉と響き合っているように見える。もちろん、これは、表に出ている発言などをベースに、思想やイデオロギーの類似性を比較したものにすぎず、実際にどのような繋がりがあるのかないのかは、筆者には感知し得ない。
